大島育宙『なぜあなたの感想はふつうなのか』
実を言うと、最初は惹かれなかった。
でも、タイムラインで何度も巡り合ううちに、手に取ってみて大正解だった。
まずは第1章「感想検索病の時代」まで読んだ。
『自分の力で観て、自分の力で語れたら楽しい』
まさに、この言葉に尽きると思った。
古代人が生きるために食糧を求めて奔走していた一方で、現代人のわたしたちは、感覚を限界まで酷使したままスマホの画面を無限にスクロールし、情報の洪水で溺死しそうになっている。
この本では、無限の「情報」が飛び交う舞台として、SNSやプラットフォームの滞在時間を伸ばすための設計の意図にまで遡及される。
エンタメでいうところの、「感想」「コメント」をついつい拾いにいってしまう理由が構造の部分からも語られる。
作者の意図を探り、さまざまな角度から読みを重ねる「考察」文化を歓迎しながらも、その先にある「批評」の入り口へと滑らかに論が展開されていく。
批評って、作品を一旦遠くから眺める作業でもある。だから、ちょっと冷たく感じるし、難しく感じられがちだ。
そして、より自分の立ち位置や視点をクリアにすることを求められる作業でもある。
でも、アテンションエコノミーの檻の中で暮らしていると、受動的に無限のコンテンツを浴び続けることでしか自分を満たせなくなってしまう。
果たしてそれでいいんだろうか。
そう考えて立ち止まった時に、この本と出会った。
批評の持つ視点や、そこから形作られる自分だけのものの見方は、きっとこの世界を泳ぐための武器になる。
それに。
わたしは何かを綴る者のほんの端くれとして、コンテンツを生み出す人たちをとても尊敬している。
彼らが何ヶ月も、何年も、時には何十年もかけて産み出したものを簡単に流し込みたくないのだ。それは才能へのリスペクトだと信じたい。
もう一度、しげしげと表紙を眺める。
ふつう、がわざわざ平仮名で色まで変えて強調されていることに、少し笑ってしまう。
良いことを言っているのに、一見するとちょっと煽っている。
そこに薄らとアテンションエコノミーの亡霊を見なくもないのだが、
共鳴を生み出す語りの仕掛けや、大島さんの戦いの姿勢含めて、なんだか、結構嫌いじゃないかも。
そして何より、自分の力で観て、自分の力で語ることは、やっぱり楽しいのだと思った。
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