人間関係は、白黒ハッキリしたものよりも「あの人は好かないけど言ってることは正しい」とか「この主張だけは肯定できる」「信頼できるけどこの一点は許せない」みたいな割り切れなさが大多数を占めている。なのに、その複雑さを捨て去って、敵か・味方かみたいな単純な関係で人と人を捉えるなら、それは社会を分断する方向に働くだろう。合意も何も、生まれようがない。👉
たとえば『なめらかな社会とその敵』では、「公敵なき社会」が構想される。なめらかな社会とは、敵か味方か、善か悪か、お前はどちら側かみたいな二項対立をなるべく減らし、複雑な現実を複雑なまま、関係性のなだらかな連続性をもきちんと含み込んで捉えていこうとする側面を持つ社会のことだ。
その実現のために、同書ではシュミットの「友−敵論」が批判的に検討される。もちろん、著者の精密な手さばきをもってしても敵/味方の観念を完全に排除することはできない。
ただ、敵か味方かみたいな関係のありようは、それこそ相互の関係値や環境、時と場合によって変化し得るし、敵というラベルを貼るにしても「それがどの程度なのか」「敵と見なす度合いや範囲、種別はどうか」といった視点を導入することによって、敵化することの暴力性が幾分か変わってくる。白か・黒か的な発想の暴力性が、それによって緩和される可能性もある。そしてこれは、「みんなでぶっ潰しても構わない敵=公敵」をなるべく生まない、公敵を必要悪にしない知恵としても重要である。
そういった見立てが民主主義的な社会を構想するのに大切だ。
こういう発想、もっと広まってほしい。
顯示更多