「南田南弁護士は天才肌」のASD監修の話をいただいた後、原作の主人公が「高IQ」と知り、正直少し心配になりました。
当事者から「ASD=天才、というイメージを持たれたくない」という不安の声を耳にするからです。
ですが、原作ドラマを観て、監修として関わった今は、重要なのは主人公の知的能力よりも"描かれ方"だと思ってます。
主人公が「ASDの代表」と思わせる演出なのか。
幅広いスペクトラムの中の1人として描かれているのか。
才能であらゆる困難を退ける天才ストーリーなのか。
特性ゆえに悩む姿があるのか。
原作は、いずれも後者だと僕は捉えました。
この作品から僕が受け取ったのは、「才能が障害をカバーする」という綺麗事ではなく、
「能力の高さと生活面の困難は、必ずしも同じ軸にはない」という当事者の現実です。
ADHDの僕は、周囲にカミングアウトすると
「でも医者になれてるんだから大丈夫でしょ?笑」と冗談混じりで言われることがあります。
勉強ができることと、生活上の困難を同じ物差しで測られて、僕自身、救われたことは1度もありません。
そういう思いも含めて、ASD監修の1人として関わってます。
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