「止まり木のような人」
人と人との関係に、
必ずしも名前がつけられるわけではない。
夫婦でもない。
恋人でもない。
友人とも少し違う。
何と呼べばいいのかわからないこともある。
でも、
会うと少し呼吸が深くなる。
肩の力が抜ける。
少し笑える。
また頑張ろうと思える。
そんな人がいる。
鳥は、
ずっと飛び続けることはできない。
途中で枝に止まり、
羽を休める。
人もきっと同じだ。
人生の途中で、
少しだけ羽を休められる人。
人生を預けるわけではない。
相手の人生を背負うわけでもない。
ずっと一緒にいられる保証もない。
それでも、
大切な人。
「止まり木」みたいな人。
人は誰かの人生を代わりに生きることはできない。
どれほど願っても。
その人の選択は、
その人のものだ。
その人の責任も、
その人の人生も。
相手が自分の人生を生きることを、
信じること。
自分もまた、
自分の人生を生きること。
その上で、
それでも会いたいと思えること。
もっと前は、
永遠、変わらない関係を信じていた。
でも今は、
明日の保証がないことを知っている。
人も。
関係も。
人生も。
だからこそ、
今日会えたことが愛おしい。
今日笑えたことが愛おしい。
また会いたいと思えることが愛おしい。
人は、
飛び続ける途中で、
少し羽を休められる止まり木のような人に出会うことがある。
それは依存ではなく、
選択の上に成り立つ関係だ。
自由に飛び立てる。
それでも、
また会いたいと思う。
そんな関係を、
私は愛おしく思う。
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