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Lord Luther-Hiroshi Ichimura
@luther_ichimura
声楽家・シェイクスピア俳優/発声・発語・滑舌・演技指導者/ボイトレに筋トレを持ち込んだパイオニア 国立音楽大学声楽科卒/欧米にて研鑽を積む 東京二期会会員(市村ヒロシ名義)/国際演劇協会日本センター会員/NPO法人副理事長/『副次的文化系歌曲祭』運営委員会委員長/合唱集団EARTH名誉サポートメンバー/昭和音楽大学講師
Joined September 2010
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クラシック音楽に関わっていると、細かいことを気にし過ぎに見えることがある。 確かに、外から見ればそう見えるのかもしれない。 一つの音の入り方、母音の処理、旋律の向かい方、同じフレーズが二度出てきた時の変化、伴奏との関係、作品が書かれた時代の感覚まで見ていくのだから、気にしない人からすれば面倒な世界に見えるだろう。 しかし、それは自分のステイタスを高く見せるためにやっているわけではない。 作品の中に書かれているものを、出来るだけ雑に扱わないようにしているのである。 作曲家がなぜその音をそこに置いたのか、その旋律がどこへ進もうとしているのか、言葉が音楽の中でどう扱われているのかを考えずに演奏すれば、音は並んでいても作品へ近づいたことにはならない。 だから、クラシック音楽家には細部を見る力が必要になる。 ただし、その細部を見る力が、他人を見下すための道具になってしまうこともある。 「これが分からない人には分からない」 「この世界に入ってこられない人は浅い」 そういう態度になった瞬間、作品への敬意だったはずのものが、ただの選民意識に変わってしまう。 本来、厳しく向けるべきなのは外側ではなく、自分自身の演奏に対してである。 楽譜をどこまで読めているのか、言葉をどこまで音楽の中で扱えているのか、共演者の音をどこまで聴けているのか。 そうしたことを自分の演奏の中で問い続けるからこそ、細部を見る意味がある。 そして、その細部を聴き手に説明として押し付けるのではなく、音楽として届かせることが出来ているのかまで含めて考えなければならない。 私は、そこまで含めて音楽家の仕事なのだと思っている。
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