Register and share your invite link to earn from video plays and referrals.

長岡マイル
@mile_nagaoka
映像作家。
Joined July 2008
819 Following    1.2K Followers
真面目な俳優なら、役にすこしでもリアリティを持たせたい、作り込みたいって思う筈。感覚としてだけど、肩口から足迄憑依するようにキャラクターを入れようとする。夫婦設定なんだったら、当然夫婦として振る舞おうとする。そうしないと芝居なんかできんから。 うっすい知識でマジで申し訳ないんだけど、アクターズ・スタジオ系のメソッド系の役者、例えばデ・ニーロなんかが、一般乗用旅客自動車の運転手の役やるために数ヶ月ガチでTAXI乗って働いてたとか、クリスチャン・ベールみたいに増減量を役作りで信じられんほど繰り返すとか、そういうタイプの役者もまま居る。見る人は、やべえ、すげぇと思いもする。 俺がフィクションの映画を初めて作った時、主演の女優さんが、「旅館の仲居さん」という俺が考えた役を演じるため、誰にも内緒で旅館で下働きとして修行に出てたなんて話を後で聞かされた事もある。その子もメソッド系の教育を受けていた。 役者というのは、だから無茶苦茶マゾヒストというか、翻って自分にはサドというか、どこまでも徹底してやりたくなってしまう人がたぶん多くて、そして一旦憑依したキャラから抜けれないとか、憑依したのはええけど自分の本来性と違いすぎてキツいとか、そういうのに屹度都度苦しんでもいて、そこでそういう人らに演出せんといかん監督とか、プロデューサーとか、キャスティングの人とか、マネージャーとかの周囲の人は、「ここではマジでやらんでいいからね」とか「本気の三割ぐらいでいこか」とか、事の軽重というか、現場の空気とか予算・スケジュール進行とかを考慮して、役者に伝える、ブレーキ役となるみたいな事が必要になるんやと思うのだわ。 日本の商業映画は、金がなさすぎて、撮影期間も一週間とか二週間くらいの時間しかないもんが多い。撮影は順撮りでやることもあんまないやろし、感情の持っていき方とかもそれほど考慮される事が抑、物理的にないっていうか、それよりも美術、コスチューム、カメラの塩梅、照明の具合、録音、小道具の有無みたいなののタイパというか優先度が大事で、役者というのがちゃんと稽古できる時間なんて、数回の本読みぐらいで、あとは「台詞入れといてね」とか言われて自主練するくらいで、それほどないんとちゃうやろか。で、有名無名に問わず、割と不安を抱え、あれでよかったんやろかとか、今の感情は合ってたんだろかとか、そういう疑心暗鬼を抱えつつ、「ま、これテレビドラマやしええか」ぐらいに年をとればちょっと丸くなるというか摩耗してきて、赦せるようになるもんじゃないんか。 で、件の佐藤氏の話に戻るけど、共演する女優さんが、名はある程度知られてるっぽいけど、民放のゴールデンアワーで主演みたいなのは初っぽいから、先輩の役者として、色々助言したくなるだろう。トラウマ云々を聞かされてたのか、知らんかったのかは俺にはわからんけど、あなたも大変やろうけど、そういうのが苦手なんやったら、(前述のようにどこまでも入り込んで犠牲にして没頭するのが宿命みたいな感じのある)役者を今後やるの無理じゃんか、と「うわあああ」となって口走ったんじゃないか。よかれと思って。アドバイスした。そんな気がする。相手が無言でいたら更に続けるやろう。「〇〇の時の長澤まさみはこうやって乗り切ってた」とか、「梶芽衣子さんはあの〇〇に〇〇までしてた、あの人でもそんだけ全部を注いでたのよ」みたいな具体論を繰り出して、よりイメージしやすい助言として膨らまそうともするやろう。 左様なものって、俺等中年男性あるあるというか、経験してたり、知ってたりするからこそ、後輩とか、弟子入志願者とかに、なんかいい感じの事をゆーたらなあかんとか思ってつい口から衝いてきてしまう。粛々として傾聴せなあかん側の後輩とか年下からすると「マウントやん」とか「めっちゃこいつ偉そうやん」とか「時代が違うやんけ」と瞬間氷結してしまうような説教をぶってしまう。ましてや佐藤二朗は若く見えるけど、もう60前で、俺なんかよりも更に濃厚にそういう、昔の所謂昭和的常識を引き摺っとる筈。しかも、そういう話題をフレンドリーにというか、五分五分の立場を心懸けて、ゆっくりと伝わるように言う、ような事にも全然慣れてなくて、どうしても上の世代に殴られてた事とか、土下座させられたとか、泣かされてそれで自分は改心したんやみたいなしょーむない記憶もあるから、顔引きつりながら、無呼吸で一息に言ってしまったりもする。ましてやああいうおちゃらけキャラというか、汚言症のような事をわちゃわちゃ言いまくるような芸風の人であるし、というかそれは本人の天然なところも過分にある筈だけども、とにかくそういう人が「うわああああ」となって真面目に律儀に「指導」したろと思って言ってまったんじゃないか。 よく巷間を賑わすルッキズム問題というか、人間は同じ事でも美男美女が言うと信じてしまうという真理というか、精神構造があるらしいから、同じ事を反町隆史とか阿部寛に言われるのと、佐藤二朗に言われるのとではまるで違うのだとも尤もだと察せられる。キムタクからそれを言われて、後でキムタクがつけてたのと色違いのサングラスとかプレゼントされてたら、「素敵」とかトキメいて、また違う文春砲の種になったかもしれん。 現場が、濡れ場はなさそうなトレンディドラマだからとて、夫婦設定なんだから、少なくとも同じ寝室で寝たり、一緒に湯船に浸かったり、なんかキスしたりするよな設定、シーンも当然脚本に組み込まれてる事だろう。 もし己が当該の脚本家だったら、そこを全部はずして書くのはかなり至難の業で、テクを要す。それこそ「嫁に何かのトラウマ、失調がある」とか、「なんらかの恐怖症とか疑念とかがあって、夫婦だってバレるのがまず無理なメンタル持ち」とかいう設定を作るしかなくなる。 シナリオ作法というか、ドラマトゥルギーとして「夫婦別姓刑事」っちゅう作品名から本編を邪推するに、普段は周囲にそれを隠してて、え、それなんでなの?というのを最後まで引っ張り、最終回のオチで唖然とするような伏線回収するっていう話しにするしかない、というか、まあそうでしょ。テーマとしては、夫婦でなにもかもニコイチになるんやない。サステイナブルで、ジェンダーに配慮してる「今風夫婦」が、今風であるからゆえ、旧態依然としたままの社会で苦戦するが、そこに風穴をあける。ぐらいの設定になる筈だ。しらんけど。 訊くところによると、佐藤二朗は、強迫性障害に罹患してるという。俺はなった事がないのでわからないんだけど、なんかが気になってまったらそれが二六時中忘れられなくなってしまって、「うわああああ」となるような性質というか、たとえば血がついてると錯誤した手を「うわあああ」と洗い続けてまうような、トイレにいった後ウォシュレットをするのに忘れて電車に乗ってしまったりしたら「うわああああ」と降りたくなってしまう。そんなような病気なのではないだろうか。だから現場進行とか、制作陣のノリとか、原案・企画が秋元康で周囲が気を使っているとか、誰かの口臭とか、現場の弁当のレベルとか、トイレの清潔さとか、そういうのに耐えれなくて、「うわあああああ」となったんじゃないか。「もう、耐えられない」という言葉は、そういうものに、不承不承耐えていたからこそ発せられる。 そんな事を訳知りに書きだしてしまっている俺は、テレビドラマってのをもう何十年もまともに見たことないんだけど、火曜9時の枠って、「東京ラブストーリー」とか「ロンバケ」とか「ビーチボーイズ」の枠だよなそれ、とまっとうな中年の一人として思ってしまう。で、佐藤のような奇矯な風体の、しかも何やら180センチオーバーで顔に似合わずデカいという役者が、その枠の主役を張れるって、これまで、トラックに突っ込んでいってなぜか急に浅野温子に告白した武田鉄矢以外いたのかと素朴におもうた。 俺にはこの人の顔は、バカボンのパパにしか見えぬ。これはバカにしてるとかではなくて、ほんとにいいなあと思うのである。うわずった感じの舌足らずな声もダサくて良い。きっとト書きというか、ぜんぶ台本に書いてある事をそりゃあ読んでいるんだろうけども、あの声できくと、台詞感があまりない。一昔前の農民顔。ブサメン、醜男、変人。イケメンが吐いて捨てる程いて、華麗に跳梁跋扈してるエンタメ界というか世の中で、それを逆手に取り、其奴らが忌避するような役が器用にできることを売りにしてきた人なのではないのか。ちょっと前だったら必ず竹中直人がやってきたポジションというか、その後香川照之が引き継いだようなポジション。たとえば「シコふんじゃった。」という昔の作品で、腹を壊していて緊張すると糞をもらしそうになるという役は、この手のキャラでないと笑えない。 といって俺は佐藤の芝居を「勇者ヨシヒコ」の仏様の役でしか見たことがない。あれは笑った。こいつは芸人なんだと勝手に思っていた。台詞というよりも、即興でノリツッコミをやったり、痛芸とでもいうのか、さぶい、笑えないシニカルな苦笑を齎すような芸風で、松本人志の今は昔のドキュメンタルで、ザコシとかが話題に困って破れかぶれに急にやりだす芸に似てるというか、どう考えても、古い言葉でいえば「性格俳優」とか「三枚目」で形容されるよりエグいというか、渥美清的な役者であり、トレンディ俳優ではない。 去年の日本アカデミー賞の受賞式でのスピーチか何かの映像を見たことがある。そこで、凄い早口で、「俺、日本映画なめてました。某も某も某も某もむっちゃ本気で芝居しとるやんけと感じた。せやからむっちゃこれから俺も本気でやるからな」みたいな事を言うてはったのが印象的やった。この人は芸人やなくて、役者さんだったのか。そんで役者というのを、何か「役者シーン」というか、後進の事とか日本映画の中での立ち位置とかも考えて、本気でやろうとしてる人なんやろな、という印象だけ俺はもった。 その「本気で役者をする」という事が、八頭身の美男美女が跋扈する(って俺の感覚がきっと古いのだけれど)フジテレビのトレンデードラマに出るという事になぜ結びついたのかが、俺には理解できん。きっといろんな大人の事情やとか、事務所間でのバーターとか、ままそういうのがあるんだろう。それとも受賞した俳優だから、何かステージがあがって、名優枠というか、そういう、よりハイランクの枠に入ったとか、そんでギャラが上がったとか、そういうことなのかもしれん。 こういうお題の企画・脚本としては、抑、佐藤ありきで考え、脚本家が書いたものなんじゃないかという気もする。毒にも薬にもならないイケメン俳優では成立はせんと思うし、それ以外だと、それこそ山田孝之ぐらいじゃないと無理なんじゃないか。三枚目というのは、物語類型を考えると、寅さんみたいに恋が成就してはいけない訳で、それがもう夫婦になれてしまってるという、それはそれでなんか斬新な感じというのは、後で「偽装結婚」でしたとか、そういうオチがこないとしんどい。だからもしそうじゃなくて、割と佐藤健とかでも実は代替可能だったような人物として設定されてたりすると。この人がやるべきではなかった役だったよねー、となるが、まあそこは見てみないとわからん。 今日日、ただでさえ志村喬とか、笠智衆とか、田中邦衛とか大滝秀治とか芦屋雁之助みたいな味のある三枚目というか、どこの地方にも、どの業界にもいそうな顔をした俳優で、しかも大役を任せられる人が少なくなってきている。西田敏行が死んだ時、俺は今後自分がフィクション映画を山のように監督する予定もないのに、なぜか凹んだ。それって、上に書いた俳優の演技環境、システム自体のゆとりのなさが影響してる筈やし、もちろん大部屋システムの思い出みたいな「悪役商会」みたいなもんも今あるわけがないし、なんというか、長い間本邦のエンタメ界が、優先的にジャニーズ出身者に色んな役をあてはめすぎてて、皮肉にも、ジャニーズ出身者以上に芝居ができる人が極端に減っているという問題もあるんやと思う。たとえば岡田君以上に殺陣が出来る人がおらんようなそれや。イーストウッドに「誰かおらんか若くてええ感じの奴」と聞かれたら、二宮君以上がおらんとかいうあれや。日本人の食うもんの変化とか骨格の変化とか、メークとか、整形外科技術の進歩なんかも関係があるやろし、そもそもそういうブサイクな奴が役者を志そうなどとは思わないのかもしれん。いや居るかもしれんけど、それだけじゃ食えないとか。って俺は何をかいているのか。 というわけで、佐藤二朗は、「無期限活動休止」すると発表したらしい。俺は氏の推しでも、ファンでも、そして一応言っとくと、パワハラとかセクハラの肯定者とかでもないけど、あの顔とか存在感は、現状の日本人俳優界の中では、実に貴重ななんやないかと薄い目で思ふ。だから今後の俳優人生をこれで終わらせてほしくないし、以前のように、日本を追われたか、自発的に出た人の唯一のコースとして、渡米して、ハリウッドのプロダクションなんかをむちゃくちゃドサ回りしてオーディション受けまくる的な、それこそ真田さんや菊地凛子のような事をしなくても、ネトフリだとかそういう別の道もたくさんあるご時世なのだから、そうやって怪演できる稀有なブサメン役者として生き残って欲しいと、部外者ながら思った。 というか、そもそもそういう世の中だからこそ、フジテレビに喧嘩売るとか、弱小事務所なのに物申すとかいう事が出来ているんやろうな。だから佐藤二朗はたぶん生き残るんだろうなと思った。他におらんし。すまん。
Show more