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検索結果 万博音遺産をめぐる
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『万博音遺産をめぐる』📻 radikoのアーカイブでは5/11までお聴きいただけるようです☺️ 三波春夫さんの『世界の国からこんにちは』、NMB48の『繋ぎ歌〜世界の国からこんにちは〜』など音楽を通して万博の歴史をめぐります♪ #大阪・関西万博# #EXPO2025# #ラジオNIKKEI#
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#音道楽EXPO# ありがとうございました 𓂂 ˳ׄ ♡ 素敵なステージと 万博内で歌唱したよ 🪩🎀 NMB48 チューストライク たくさん聴いてね .’ またこの曲で 歌番組に出れますように ⚾︎⊹ ˚⬭ 🪄
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#音道楽EXPO# 出演させていただきました! 大阪・関西万博の会場で #チューストライク# ⚾️♡
万博1か月前!生放送スペシャル ໒꒱ ⊹ ࣪ ˖ ほんとうに 万博が待ち遠しいですね 🪢 明日卒業する 神音と最後の歌番組だったよ
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🏁2025.7.28 大屋根リング盆踊り ~大阪から世界をつなぐ~ in万博会場 大屋根リング・スカイウォーク(大阪) ━━━━━━━━━━━━━━ #NMB48# から泉綾乃、川上千尋、塩月希依音、水田詩織の出演が決定しました! 皆さまのご参加をお待ちしています🪭 #大阪・関西万博#
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うちにもサウンドスケープが届きました💿✨ 紙ジャケットの手触りが、つるつるしているのにあたたかくて気持ちいい。内側のこみゃくが大きくてかわいい。 会場では気づかなかったいのちの音がたくさん聴こえてきて、おうちが万博です✨😢✨ #EXPOWORLDs# #サウンドスケープ#
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🌊 鼓童・前田順康さん(やすさん)が、クラゲ祭りの2日間を通してKURAGE Bandにジョイン! 嬉しいお知らせです! 10月24日、新潟・りゅーとぴあで上演する、鼓童 × KURAGE Band 新作公演「たゆたう」で演出を務める前田順康さん(鼓童)が、 8月8日・9日開催「アフター万博 クラゲ祭り『いのちを祝う』」の全プログラムを通して、KURAGE Band の一員として参加してくださいます 万博から続くご縁が、再び大阪へ、そして佐渡へ。 鼓童とKURAGE Bandが紡ぐ新しい海の物語が、このクラゲ祭りからさらに深まります。 ぜひ、一緒に音の海をたゆたいましょう! 鼓童ファンの皆様もぜひ❤️ 📍アフター万博 クラゲ祭り「いのちを祝う」 📅 2026年8月8日(金)・9日(土) 📍 ATC Aホール 🈸クラゲ祭りのお申し込みはこちら: 🈸2026年10月24日(土)鼓童×KURAGE Band 特別公演「たゆたう」(新潟県新潟市) #鼓童# #アフター万博# #クラゲ祭り# #KURAGEBand# #たゆたう#
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編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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