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出版業界の片隅でご飯を食べさせていただいてヒシヒシと感じるのですが。。。。 書き手が育つ装置だったり仕掛け、システムはけっこうたくさんあるような気がします。 小説新人賞だったり、なろうなどの各種ネット小説、さらには最近では文学フリマやZINE文化の隆盛などなど。 すげー充実してると思います。 直木賞とか芥川賞のプロ対象の文学賞かもすげーと思います。 本当よくできている。 選考委員の作家がいて、かなりの純度と使命感を持って選考に挑んでいる。私も候補になり、ほとんど落選しているが、たまに選考委員の先生にあうと、いい作品や作家を世に残したい、という使命感のようなものをひしひしと感じる(そして自分の不甲斐なさにがっかりする)。 文学賞を担っている編集さんとかの話聞いても同様のものを感じる。 実際、今度こそ文学賞にノミネートされてやる受賞してやるという気持ちで執筆して、実際に結果がでた方もいるだろう。 横道にそれるけど、書評家の方とお話して、物語や本への愛情をひしひしと感じることがある。書評家の存在も書き手を育てるシステムとして有効に機能していると思う。 賞は名誉とお金が入ってくるけど、何回か候補になって思うのは、連綿と続く選考委員と受賞者の流れの芳醇さみたいなんで、うまくいえんけど、富と名誉のためでなく、なんかもっとちがう、この人らに認められたい、なんかこの一角に加わらせてもらいたいという欲があるんです。 そういうシステムができると、自然と書き手は育っていくと思う。 で、今はどんどんいい書き手が生まれているけど、いかんせん読み手が少ないから、出版の世界で作家で食うのが、すげーお伽話になってしまっている。 で、見回してみると、読み手が育つ装置だったり仕掛け、システムがないよなぁと。 出版社とか書店とか取次とか作家が注力せないかんのは、読み手を育てることなんじゃあないかなと最近思うわけです。 じゃあ、それをどうしろって言われたらなんも具体的に出ませんが。 読むOneグランプリを開催するとか。 読書メーターでアクセスがトップの感想にはXのように入金されるようになるとか(読むに稼ぐの付加価値がつくのは実はすげー有効なのではないかと思っている。もちろん、Xのように民度が下がる可能性大だけど)。 【魅力的な書き手を育てれば、読み手が増え育った】のって平成初期までで、もはやそのフェーズではないような気がするんですよね。
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【本日のオススメ記事より】ぼくはあの日劇作家になった ピンク地底人3号さんを導いた言葉 | 毎日新聞 鶴屋南北戯曲賞や野間文芸新人賞などを受賞している注目作家へのインタビューです #ピンク地底人3号# #ももちの世界#
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【「高卒で働くはずだった少年」 恵まれた頭脳と運を味方につけて人生一変…名大進学→ベストセラー作家になった背景】 #東洋経済オンライン#
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現像&セレクトしまくっている😅 noteも書きまくっていて作家になった気分だ! 今日できるだけデータの整理してSDカードをスタンバイさせておきたい! それにしても…… これからは撮ったその日にセレクトまで終わらせて、3日以内に現像&note作成までのサイクルを標準化させたい… え⁈作家か?🤭
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【文春文庫7月刊】 『小川洋子が読みとく『アンネの日記』 NHK「100分de名著」ブックス編 』 小川洋子 作家になった原点は『アンネの日記』だった 第二次世界大戦下、ユダヤ人少女アンネは隠れ家で日記を綴った。大ベストセラー、世界記憶遺産の魅力に迫る。 #小川洋子#
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まえがき、あとがきを除くと、いよいよ2本になった。ラスト1本は長尺(二分割)ということもあり、最後に書くと決めていたが、もう1本は予定とは違う作品になった。が、自分にとっては超重要な映画=作家であり、数年ぶりに再見して、震えている。はたして今の自分は、この映画=作家についてどのような言葉を紡げるのか。 いよいよカウントダウン。来週は羽を伸ばしたいが、ありがたいことに他の〆切や取材、試写が詰まっている。でも、その合間に、何か欲しいので、話題のちいかわムービーを観ようかと思っている。試写の前に。
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「本好きのための職業図鑑」第3回は、「近畿地方のある場所について」で人気のホラー作家・背筋さんが登場します。専業作家になった時の思いを「生まれた時から好景気を知らない世代だし、どんな仕事を選んでもリスクはある」と話していたのが印象的でした。
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編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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すごく寝てしまった。 ぱろぱろ和田のライブ遅れてヘルメット作家になってしまった。 本当に申し訳ない。