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「いい話だけど出版は無理。書店さんに並べる棚がない」 と何回か言われたことがあります。 「ジャンルがない小説」はそもそも出版が難しい。 『ファルティマの夜想曲』 二つの月がある、架空の港街を舞台にした24歳の娼婦が主役の物語。 企画会議を通したければ、 「主役を10代、娼婦もなし」「娼婦が書きたいなら、実在の歴史にはめるか、現代の風俗店に問題提起を入れ込む」 等しないと無理。 私自身商業作家として、普段は「棚はどこ」「ターゲット」「売りは何か?」ということを当然考えるし、編集さんに「こういうものを書いてほしい」と言われば120%応えたいと努力します。 なにより作家買いをしてくれる読者さんの期待を裏切りたくはない。 葉山透に求められているのは、ハラハラドキドキのサスペンス、ミステリ、SFを用いたギミック、娯楽映画のような爽快感だろうと思うから。 でも「ファルティマ」に限って言えばこの形を変えたくはなかった。 棚がないのはわかっていても、たくさん売れてメディアミックスなんて絶対ならない物語だとしても、変えたくなかった。 本読みの方なら理解していただけると思うのですが、読者として「この小説、メジャーにはならないけど自分はめっちゃ好き」という作品ありますよね? わかりやすくてキャッチーで王道は正義。私も普段はそういう小説を書きたくて書いてます。大好きです。 しかしファルティマは、好きな人にはぶっ刺さるけど、刺さる人はごくわずかだろう、むしろ嫌いという人もいるだろう、でも書きたかった。 いえ、正直に言いましょう。 この物語は運よく商業で出たけれど、商業用にプロットを練ったものではありません。 友人、ではない。知人というのも憚られる。そんな遠い関係の人でしたが、吉原で働いている人がいました。 貧乏のどん底で育ち、頭がいいのに中卒。会社ではゴミのように扱われ、仕事をやめ吉原で働き始めました。 貧しい母子家庭に育った彼女は、このお金で母親にまともな暮らしをさせてあげられる、自分も生まれて初めて欲しいものを好きに買えた、私は今の生活に満足している、誰にも同情なんかされたくない、と言いました。そう言う彼女に、私は何も言えませんでした。でも、やっぱり、いけなくないけどよくもないだろう、という気持ちがありました。友人として何か言えるほど近くもない。そこで私がしたことは物語を書くことでした。なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。 さらに、吉原の闇を書くわけでもなく、ファンタジー世界観の美しい月と花と潮の香りに満ちた綺麗な夜の話を書いた。頭の中にだけあった一大冒険譚の中の脇役の娼婦を主人公にして、物語を書き始めた。 我ながら謎すぎる。   しかし、公募やコンテストに出すことを考えずに書いたこの物語は、私の作家としての本質と、美点と、同時に限界を顕現しています。 酷い現実を直視して言語化したいのなら私は新聞と評論でいいだろうと思います。少なくとも読者としての私は。 フィクションには、美しいものや愛や夢や希望や信頼が書いてあってほしい。たとえ綺麗事でも「浅い」と言われようとも。私が好きなのは楽しくてワクワクする小説で、現実で死ぬほど落ち込んでいる時、読みたいのは明るい綺麗な小説だったから。 そして恋も嫉妬も友情も信頼も、誰かを想う気持ちはそんなに簡単に名前をつけられない――そんな感情のグラデーションと、読後には明るさと希望と少しの寂しさが残る物語になりました。 さて結局、その人に小説を見せたのか。答えは否です。書き上げた頃には連絡先も解らなくなり、そもそもその人を説得しようとか烏滸がましいことを考えていたわけでもない。ただ、人生の不公平、世の中の矛盾に対し、私は物語を書いた。それも「綺麗事」の物語を書いた。それがすべてで、自己満足の極みです。 でも「たくさん読まれることを狙って考え抜いた小説が売れること」が正義であるように「究極の自己満足」もまた創作の正義でありましょう。   当時の文庫本の 後書きにこう書きました。 「どうしようもなく寂しくて、誰かに電話をしようと アドレス帳を開く。でも結局ボタンをそのままそっと携帯を閉じる。そんな夜に読んでほしい」   いつもの葉山透からはかけ離れた ポエティックな文章⋯。 でも 誰にだってそんな夜は あると そんな夜にこそ横にいて欲しい物語があると、そんな気持ちで書きました。 と、文字数もギリギリになってきたので、まとめに入ると、20年前に絶版になってしまった物語を、同人誌で復刊しました。 「この世界の何処かにいる誰か」に届くことを願って。20年越しに書いた続編「ヴィオレッタ」と一緒に。 文庫本 2冊分に、一人の作家の20年が詰まっています。 通販もしています。 リプ欄にのせておきます。   一人でも多くのやるせない夜を抱えた方に届きますように。
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ちょいちょい、秋から始まるツアーの話をしていこうか。 ツアーってなんのこと!って人は、とりあえずツアー趣旨と会場と日程を案内している特設サイトへどうぞ。 チケットはまだ扱ってない!来週あたりいよいよ先行チケットのアナウンスが!?って状況。 今日は「その前に話しておいた方がいいかな」って話をするよ。 ライブハウス&ホールツアー!ということでね。その名の通り、前半はオールスタンディングないわゆるライブハウスで、後半は椅子席ありきのホールでやるよという、二段構えのツアー。 各々の求めるスタイルにあわせて、来たい方に来ておくれな!ってなワケなんですが。 スケジュールの中でなんか1ヶ所、よくわからない所がありますね。しかもエラい初っ端に。 10/3(土)沖縄県 桜坂セントラル 10/4(日)沖縄県 桜坂セントラル(椅子席あり) これ。 はて「椅子席あり」とは。ツアー前半はライブハウス編だから、椅子席ナシなんじゃないの? …って、疑問に思ったりした?(それとも詳しい説明なしにすでに察しちゃった?) ええ、沖縄もですね。ホントは2回に分けて日程組もうとしたんですよ。ライブハウス編で1回、からの後半またホール編で1回、と。 でもね。うまいこと見つからなかったというか!見つけられなかったというか!なんですよ!このツアーでやるのにちょうど良い塩梅のホール会場が! そういうこともあるんだな…なにぶんホールツアー自体、ウチとしても初の試みなので…わからないこと多い。 だからまあ、いったん頓挫しつつ迷ったわけです。え〜沖縄そしたらライブハウス編だけにする〜?って。 でもな〜。他の地域だったらまだ「すみません、3県も離れてるけどなんとかここのホールでご検討いただけないでしょうか!」までギリ言えるトコもありそうだけど 沖縄ばっかりはな〜!なかなかそうも言えないからな〜!という葛藤があり。 で、まあ苦肉の策で「じゃあ〜もうライブハウス2日おさえて、なんかこう!片方は気持ちホール編スタンスでやったらいいんじゃないかな!」 という発想で生まれたのがこの日ってワケです。我ながら安直な発想だな! でもまあ!現実問題!桜坂セントラル、全面椅子席にしちゃったら席数めちゃくちゃ少なくなっちゃうのがまた悩ましくて。面積。 じゃあここはアレか、前の方はスタンディングで(※そしてこの日はモッシュダイブとか厳禁日として)後の方の段差が上がったところだけ椅子席エリアにするか〜? という手探りの日にしてみることにしました。もうこの日だけツアー中イレギュラーまみれの日。なんかもう、あらかじめ謝っておこう!あんまうまくいかなかったらゴメンな! というわけなんだけど、この日について!なにかしら思うところある人はコメント欄で教えてもらえるとありがたいよ。 なんせ、まだチケット取り扱い前だからな!今からだったらちょっとした軌道修正くらいは間に合う!と思う! ちなみに似たような話がもうひとつ密かにあるな、11/23(月祝)仙台GIGS。あれ、ライブハウス編の日程だけどこの会場、2階に椅子席あるよね?って。 ここはね、とりあえず椅子席販売しません!1階のスタンディング分だけ販売するよ。 ホール編でも1/16(土)に仙台あるんでね、仙台で椅子席希望の人はみんなそっちに集まれ!って。ここはわかりやすくスタンスをキッチリ分けるようにしようと思います。 あとは疑問に思うところあるかな〜? 11/27(金)渋谷LOVEZは、ライブハウスとしてもホールとしても使える的なところだけど、ホール編に割り当ててる日なので椅子席だけのホール仕様でやるよ! 東京でライブハウス的に遊びたい人は10/18(日)恵比寿リキッドルームの方へ!…うん、こんなもんかな〜。 ツアーファイナルの詳しい話はまた今度だ! 今日の話はここまで!それではまた!
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「いい話だけど出版は無理。書店さんに並べる棚がない」 と何回か言われたことがあります。 「ジャンルがない小説」はそもそも出版が難しい。 『ファルティマの夜想曲』 二つの月がある、架空の港街を舞台にした24歳の娼婦が主役の物語。 企画会議を通したければ、 「主役を10代、娼婦もなし」「娼婦が書きたいなら、実在の歴史にあてはめるか、現代の風俗店にし時代的な問題提起を入れ込む」 等しないと無理。 私自身商業作家として、普段はプロットを作る時「棚はどこ」「ターゲット」「売りは何か?」ということを当然考えるし、編集さんに「こういうものを書いてほしい」と言われば120%応えたいと努力します。 なにより作家買いをしてくれる読者さんの期待を裏切りたくはない。 葉山透に求められているのは、ハラハラドキドキのサスペンス、ミステリ、SFを用いたギミック、娯楽映画のような爽快感だろうと思うから。 でも「ファルティマ」に限って言えばこの形を変えたくはなかった。 棚がないのはわかっていても、たくさん売れてメディアミックスなんて絶対ならない物語だとしても、変えたくなかった。 本読みの方なら理解していただけると思うのですが、読者として「この小説、メジャーにはならないけど自分はめっちゃ好き」という作品ありますよね? わかりやすくてキャッチーで王道は正義です。私も普段はそういう小説を書きたくて書いてます。大好きです。 しかしファルティマは、好きな人にはぶっ刺さるけど、刺さる人はごくわずかだろう、むしろ嫌いという人もいるだろう、でも書きたかった。 いえ、正直に言いましょう。 この物語は運よく商業で出たけれど、商業用にプロットを練ったものではありません。 友人、ではない。知人というのも憚られる。そんな遠い関係の人でしたが、吉原で働いている人がいました。 貧乏のどん底で育ち、頭がいいのに中卒。会社ではゴミのように扱われ、仕事をやめ吉原で働き始めました。 貧しい母子家庭に育った彼女は、このお金で母親にまともな暮らしをさせてあげられる、自分も生まれて初めて欲しいものを好きに買えた、今の生活に満足している、誰にも同情なんかされたくない、と言いました。そう言う彼女に、私は何も言えませんでした。でも、やっぱり、いけなくないけどよくもないだろう、という気持ちがありました。友人として何か言えるほど近くもない。そこで私がしたことは物語を書くことでした。なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。 さらに、吉原の闇を書くわけでもなく、ファンタジー世界観の美しい月と花と潮の香りに満ちた綺麗な夜の話を書いた。頭の中にだけあった一大冒険譚の中の脇役の娼婦を主人公にして、物語を書き始めた。 我ながら謎すぎる。   しかし、公募やコンテストに出すことを考えずに書いたこの物語は、私の作家としての本質と、美点と、同時に限界を顕現しています。 酷い現実を直視して言語化したいのなら私は新聞と評論でいいだろうと思います。少なくとも読者としての私は。 フィクションには、美しいものや愛や夢や希望や信頼が書いてあってほしい。たとえ綺麗事でも「浅い」と言われようとも。私が好きなのは楽しくてワクワクする小説で、現実で死ぬほど落ち込んでいる時、読みたいのは明るい綺麗な小説だったから。 そして恋も嫉妬も友情も信頼も、誰かを想う気持ちはそんなに簡単に名前をつけられない――そんな感情のグラデーションと、読後には明るさと希望と少しの寂しさが残る物語になりました。 さて結局、その人に小説を見せたのか。答えは否です。書き上げた頃には連絡先も解らなくなり、そもそもその人を説得しようとか烏滸がましいことを考えていたわけでもない。ただ、人生の不公平、世の中の矛盾に対し、私は物語を書いた。それも「綺麗事」の物語を書いた。それがすべてで、自己満足の極みです。 でも「たくさん読まれることを狙って考え抜いた小説が売れること」が正義であるように「究極の自己満足」もまた創作の正義でありましょう。 文学フリマ。 「自分が文学と信じるものを作り手が自ら売る」 商業のように「儲けを出さなければいけない」という前提はありません。書き手が負債を請け負う覚悟があればいい。 (同時に、商業で確立されている編集テクニック、装丁、営業広告、全国どこでも1冊から取り寄せできる流通と書店さんというものが、どれだけ洗練されていてありがたいものか実感します。このシステムを持続可能にするには、やはり売れなければいけないな、と) とまあ、文字数もギリギリになってきたので、まとめに入ると、細々と通販しているぶんを、文学フリマ大阪14にも持っていきます。 商業ベースにはのらなくても 「世界の何処かにいる誰か」に届けたい物語を、20年越しに書いた続編「ヴィオレッタ」と一緒に、一冊の同人誌にまとめて。
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この著者は、心理の世界の言語化がとても上手だと思った。「他人を攻撃せずにはいられない人」の内面への指摘や、攻撃を受けやすい人の特徴、攻撃を受けているのに気づかない人の心理などを描いた言葉に、ハッとさせられる。長いけど、めちゃくちゃ読んで欲しい。Xでよく見かける人たちの心理構造への理解の解像度も上がると思う。以下、引用。👉 「攻撃欲が強い人が欲しているのは、破壊である。他の誰かがうまくいっているのが許せない。それゆえ、他人の幸福や成功に耐えられず、強い怒りや敵意に突き動かされて、とにかく壊そうとする。  そこに利害がからんでいる場合もある。自分自身の願望や利益しか頭にない彼らは、自分が望むものを手に入れるうえでの邪魔者に対して、攻撃の刃を向ける。たとえば、あるポストに自分が就くために、ライバルを陰で中傷したり、足を引っ張ったりして、蹴落とそうとするような場合が典型例だろう。自分の行動がどれだけ混乱を巻き起こしたり、迷惑をかけたりするか、などということには決して目を向けようとしないわけである。  このようなエゴイストはなるべくなら近くにいてほしくないものだが、意図がわかりやすいため、実は対処もしやすい。厄介なのは、自分の利益がからんでいるわけでもないのに、あなたを打ちのめし、あなたがやっていることを台なしにし、ときには、あなたの人格そのものまで破壊しようとするようなタイプである。  しかも彼らは、悪意を隠して攻撃する。もしくは自分自身の悪意に気づいておらず、無自覚のまま、非常に残酷なことをやってのける場合もある。しばしば、『あなたのためを思って』とか、『こういう理由があってやっているんだよ』とかいった言い方で接してくるが、その善良で優しそうな仮面の下に何らかの悪意を隠し持っている」 「自分の近くにいる人の攻撃欲を見抜くことはとても難しい。 『いやいや、化けの皮なんてすぐにはがれる』とお思いになるかもしれない。でも実際には、自分が攻撃を受けていることに気づかないままでいる人はとても多い。  他の人がターゲットになっている場合は、比較的簡単に見破ることができる。気づきにくいのは、自分自身がターゲットにされているケースである。先ほど紹介した女性の事例からもわかるように、自分が痛い目に遭うまでは、はっきり認識するのが難しく、時間がかかることが多いのだ。  しかも厄介なことに、攻撃欲のある人は、攻撃していることを周囲に気づかれないように隠蔽することが多い。先の女性も、『先輩は、私の憧れです』などという歯が浮くようなおべんちゃらを真に受け、安心して愚痴をこぼしたり、新しい企画について相談したりしていた結果、気づいたときにはもう手遅れだったわけである。  このように、相手を直接攻撃するわけではなく、遠回しに打ちのめそうというタイプから身を守ることは、なかなか難しい。そういう人は虚実とり混ぜて語るし、誠実そうにふるまっていたかと思うと突然計算高さをのぞかせる。こうした二面性もあるので、一体どういう人なのかわかりにくく、周囲がころっとだまされることになりやすい」 「攻撃欲の強い人は、世間で一般に『善』として受け入れられているようなことをよく引き合いに出す。  正直でなければならないとか、寛大でなければならないといった、それが適切かどうか、日頃は誰も疑ってみないような考え方を持ち出すことが多い。子供の頃からしつけや教育の中で教え込まれてきた支柱であり、おとなしく従順な人ほど、こういうことがきちんと守られなければ社会は成り立ちえないと信じ込んでいる。(中略)  そこにつけ込んで、自分に都合のいいようにねじ曲げて解釈するのが、攻撃欲の強い人である。もし、あなたが何かを頼まれて断ったら、『友達が困っているのに助けないなんて、冷たい』といった言葉を吐いて、罪悪感を覚えさせるように仕向けるわけである。(中略)  相手に罪悪感を抱かせるうえで何よりも有効なのは、自分が被害者のふりをすることである。そうすれば、自分の責任は全て否認できるのだから。そのため、何か具合の悪いことがあっても、悪いのは常に他の誰かであり、自分はあくまでも被害者なのだという印象を周囲に与えようとする。  ターゲットにされやすいのが、誰かが困っているとすぐに同情して、助けてあげたい、慰めてあげたい、守ってあげたいなどと思うような人なのは、決して偶然ではない。こんなふうに優しい人は、少しでも責められると、悪いのは自分なのかと罪悪感を抱きやすいので、攻撃対象としてうってつけなのである。  そのうえ、攻撃欲の強い人は逃げるのもうまい。もし、あなたが、『私が一体何をしたというのだろう? なぜ私がこんなに責められなければならないのだろう?』と疑問を感じて質問しても、巧妙に話をそらせたり、論点をすり替えたりする。ときには、別のことであなたを攻撃して、あなたの心の中にさらなる混乱の種をまくかもしれない。  だいたい、質問にはちゃんと答えず、はぐらかす達人である。そのため、あなたが、自分には落ち度がないのに責められることが納得できず問いかけても、のれんに腕押しだ。あなたは、痕跡を残さずに殴られ続けているような気になるかもしれない。  要するに、攻撃していることを隠蔽しながら攻撃するのが常套手段である。もし、わかりやすいやり方で直接攻撃するようなことをすれば、反撃されるかもしれない。説明を求められるかもしれない。場合によっては、相手が防御したり、逃げ道を見つけたりするかもしれない。そうさせないために、自分は責めているわけでも、攻撃しているわけでもないと否認しながら、ターゲットを身動きできない状態に追い込んでいくわけである」 「ターゲットを孤立させるのも、攻撃欲の強い人の常套手段である。  従事している仕事や活動をけなしたり、せっかく築いた人間関係にけちをつけたりして、徐々に他の人とのつながりを断ち切るように仕向けていく。そのために脅すこともあれば、いさかいの種をまくこともあるが、いずれにせよ、周囲との関係に亀裂を入れようとする。  これは、ターゲットが他の人との交流によって考えを変えたり、支えてもらったりするようになるのを防ぐためである。そんなことになれば、影響力を行使しにくくなるので、シャットアウトするわけである。  というのも、攻撃欲の強い人は、自分がその場を支配できないとか、影響力を行使できないという状況に直面すると、強い不安にさいなまれるからである。そこで、そういう事態を極力避けるために、自分の思い通りに操作できるよう策を弄することになる。  ターゲットの家族、友人、同僚、さらには仕事や趣味にまでけちをつける。ターゲットが好意的な判断を下しているものでも、批判したり、けなしたりして、締め出そうとする。『あんな親だと、うまくいかないのは全て親のせいにできるよね』『なぜ、あなたがあんなことに貴重な時間を使うのか、わからない』といった言い方で、ターゲットが周囲の人々に対して疑惑や不信感を抱くように仕向けるのである。  このように孤立させようとするのは、自分のあずかり知らぬところで、ターゲットが能力を発揮したり楽しみを見出したりすることに耐えられないからでもある」 「ある人が攻撃欲の強い人だということに気づいたら、最良の解決策は、できるだけ避けるということである。  たとえば、同じ職場で働いている場合、勤務の時間帯を変更するとか、向こうがよく行く場所には足を向けないようにするとかして、なるべく顔を合わせないようにする。場合によっては、異動や転勤を申し出るという選択肢だってあるかもしれない。  そこまでするかと思われるかもしれないが、私の外来に通っていた会社員の女性は、背後を通り過ぎる際に『死ね』とつぶやいたり、すれ違いざまに『邪魔』と叫んだりする先輩に悩まされて眠れなくなり、しばらく休職した後、自ら希望して別の支店に転勤した。  転勤後、受診した際に、『支店が変わって、本当に良かった。ずっと胸につかえていたものが、やっと取れたような気がします。会社に行っても、あの人の顔を見ずにすむのかと思うと、伸び伸びと仕事ができます。ときどき、研修会や会議などで会うこともありますが、もう私とは関係ありませんから』と語った。ちなみに、例の先輩はその後、新たに配属された女性社員をターゲットにして同じような嫌がらせを繰り返したため、パワハラ委員会に告発されたということである」 『他人を攻撃せずにはいられない人』 著者:片田珠美 発行:PHP研究所 @PHP_Business
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今夜6/15「街角トーク」は阿佐ヶ谷南口で! 杉並区議補選もあるので北口も南口も 先約の候補たちが占めているため 30分遅らせてスタート! 「私は能楽師の家に生まれた。女性の能楽師って選択肢もあったがそうはならなかった。能楽師だった父自身他にやりたい仕事があったから私の自由を優先させてくれた。」 →杉並区には能楽師さんたちが住んでる!知らなかった! れいわ新撰組の海保とくまさんと 高円寺在住の大道芸人、バーバラ村田さんのお二人が来てくれました! 海保とくまさんの選挙に負けたあとに、応援してくれた人の一言で耐えてきた想いが溢れた話。 ご苦労されて息子さんを育ててきたお母さまの話。 れいわ新選組に対する深くて決して尽きることのない想い。 人が人を想う時に生まれるパワーに心打たれました。 バーバラ村田さん 芸人でありながら自分でフェスを作ってゲストをブッキングする大変さはもう身につまされます。 「コロナで減ってしまったフェスのボランティアの方がまた最近戻ってきた!」 →いいぞ!ここからだ!理解してくれる人たちがいる限り、フェスも大道芸も負けない。。!危機感と勇気と希望の話。 先日ずっと見ていて恥ずかしがっていた少年が自分でやってきてくれてマイクを 持ってくれた 「好きなこと。蚕を育てること。 発見したこと。蚕は糸だけじゃない。足からも粘り気が出て、葉っぱをつかむんだ。」 →知らなかった。さすが蚕博士! 「なんで蚕は白いの?教えてよ!」 通行中の大人の人たち、なんで白いの? 今日はたくさん深い話をお聞きしました。立ち止まってしまう話も。 でも聞けてよかった。 本当に色々な想い、事情、人生がある。。 そんな色々の声が聞ける杉並区 色んな声を大事にする街にもっとなってほしい。 皆さんありがとうございました! 杉並区の色々な人の声を聞いています。 6/20には総集編スペシャルとして 「対話フェス2026」を阿佐ヶ谷南口広場で開催します! 朝10時から夜7時まで! 土曜日空けといてください! 対話の杉並区、今の杉並区を応援しています! 明日6/16も阿佐ヶ谷南口で18時から! あなたの声を聞かせてください!
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元のツイートでは経験則でもいいからとしておいて、私が経験に基づいて意見したら「いきなり駐在の話を出された!」は面白いですね。 あと元ツイの方は移住希望者でなく、移住希望者の「語学力」について言及していますよ。
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24歳Fカップ保育士兼副業メンエス嬢として働くのぞみちゃんの生活【最初は処女並に痛がっているけれど、だんだん慣れて最後はイきます】 今回登場してくれたのは24歳保育士のぞみちゃん。 めちゃめちゃ美人というわけではないものの、少なくともクラスのトップ5ぐらいに入るぐらいには可愛い。 顔面偏差値でいうと55ぐらい。Fカップのおっぱいを加味すると偏差値60ぐらいはあるんじゃね? ぱっちり二重だし、色白だし。何よりめちゃめちゃ愛想が良い...! インタビューの時は終始笑顔で受け答えしてくれるし、話し方からして癒し系オーラが半端ないです。 その上、のぞみちゃん、自炊もできるらしいです。彼氏に振る舞ったこともあるのだとか。のぞみちゃんの手料理食べたすぎる。 仕事の保育士は、まぁお給料が安いらしく、故に副業としてメンエスでも働いでいるらしいです。 以前登場してくれたれいちゃんも、副業でデリヘル嬢をしとるし、 保育士×風俗って、かなりあるあるな働き方なんだろうなって思います。社会の闇です。 ただぁ!!それはそれでエロくていいですよね...! あなたの身近にいる保育士さんも、もしかしたら副業でエッチなお仕事をしているかもしれませんよ...!! そんなのぞみちゃんなのですが、まぁインタビューで色々インタビューで問診した結果、思いの外健全な子だなと思いました。 ちゃんと保育士として働けてるとことか、恋愛遍歴とか、家族の話とか聞く限りとっても健全。 Xを眺めていると、風俗で働いている人=メンヘラみたいなステレオタイプが刻まれていくすけど、実際にこうやって風俗で働いている女の子の話を聞いてみると、そうでもなく、健全な子も多いんだなって思います。(風俗の仲でも、メンエスが特に闇落ちしにくいってのもあるのかも) 家事はもちろん、育児も得意だろうし、ダブルワークするぐらいのバイタリティもある。 結婚するならのぞみちゃんみたいな子が良いと思います。 で、後半のSEXなのですが、俺のちんこがでかいのか、それとものぞみちゃんの処女膜が復活してしまったのか、最初はめちゃめちゃ痛がります。 そもそも、セックスするのが結構久しぶりらしいです。 正直今回はダメかもしれないと思ったのですが、のぞみちゃんも頑張ってくれてなんとか挿入することができました。 最初の正常位のシーンとか、めちゃめちゃ鳥肌たってるので、割と注目ポイントかもです。 で、最初こそかなり痛がっているのですが、慣らしていくと、だんだん気持ちよくなっていきます。エッチな声で喘いでくれます。これは抜ける(確信) 揺れるFカップのおっぱいも絶景。 まぁセックスシーンはもちろん最高に抜けるのですが、やっぱり現実の社会で、のぞみちゃんみたいな女の子がいるんだよってことが知れてよかったです。 世の中にはこんなに心の綺麗な女の子がいるんだぞ、と。健気に生きてるんだぞと。こんなクソみたいな世の中だけど、のぞみちゃんみたいな素敵な女の子が現実にいるっていうのは社会の希望ですよ。
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📅 5/30(土)10:00~14:00 📌 いわくに消防防災センター 今年 #受験# を検討している方 #進学# 後の参考にしたい #転職# 希望の方 保護者の方のみの参加 また話を聞きたいリピーター も大歓迎 ぜひご来場ください
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【拡散希望】 「夏、頑張らせたのに秋に伸びなかった」 これ、実は"頑張り方"の問題であることが多いです。 東大伴走の講師陣(難関中高の出身者が多いです)と夏の話をすると、ほぼ全員が同じことを言います。 それは、「夏に新しいことを詰め込んだ子より、"取りこぼしを拾い直した子"のほうが秋に伸びた」ということ。 具体的に、彼らが子ども時代にやっていたのは、 ・新しい難問集に手を出すより、今まで解いた教材の×だけをもう一周 ・1日全部を勉強にせず、"必ず崩さない中核の3時間"を先に確保 ・模試の解き直しは、当日ではなく翌朝の頭が動く時間に、当日は自己採点優先! という、地味だけど崩れない使い方でした。 派手な"夏期講習の全部乗せ"より、 "崩さない中核+取りこぼし回収"のほうが、秋の模試で効いてきます。 これは密着で伴走していても毎年感じることで、 夏に静かに×を潰した子ほど、秋の失速が少ないです。
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