『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 #
読了#
村上春樹はどんな顔で酒を飲むのだろう。村上春樹の小説に出てくる登場人物たちは、真顔で酒を飲んでいるかんじがする。『ノルウェイの森』の主人公はしょっちゅうビールを飲みながら本を読んでいた。ビールを飲むのは当然のことで、たのしみは本にあるように思ってそうだった。真似をしてみたくなって、ビールを飲んで本を読んだら内容が頭に入ってこなくて、ビールを飲みながら本を読むのはそういったポーズに酔ってるだけなんだ、と思った。
ところが、村上春樹は本当にビールを飲みながら本を読んでいた。スコットランドのアイラ島とアイルランドにウィスキーを飲みにいくエッセイ、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』で、村上春樹は地元のパブに入り、黒ビールを注文して本を読んでいた。ビールくらいなら酔わないのだろうか。ワインやウィスキーを飲むときは流石に本を読むようなことはしないよ、という風に線引きがあるのだろうか。
ビールを飲んで本が読めるのかという問題はさて置いて、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を読むと、村上春樹はうまそうにウィスキーを飲んでいた。ウィスキーに合う料理を地元の人に教えてもらって、嬉々として食していた。村上春樹ってこんなにしあわせそうにするんだ、と小説を二作品しか読んだことがないのに、新鮮に驚いた。
村上春樹は訪れた街でウィスキーの工場を見学した。それからウィスキー職人に話を聞いて、パブに入っていろんなウィスキーを飲んだ。街ごと飲んでしまおうとしているようだった。というのも、エッセイを読むと街ごと飲んでしまえたような気になってくるのだ。村上春樹はことばをウィスキーに変え、ウィスキーは造られる街そのものであったために、僕ら読者は街を飲ましてもらえたのだった。
ウィスキーを飲んで、マスターや他の客と話しこむこともせずに帰る老人の客を、村上春樹はひとつの理想像として書いていた。酒が生活の一部となり、背景化されているのを好ましく思っているようだった。酒を飲むことで酔い、騒いだり暴れたりすることは、村上春樹にとって価値のないことなのだろう。だからこそ村上春樹はビールを飲んで本を読むのだ。
僕はそんな気持ちがよくわかるような気がした。近所の繁盛している焼き鳥屋に、カウンターに座ってテレビを見ながら酒を飲む老人がいる。サワーや日本酒を手元に納め、串は数本、つまみを一皿か二皿頼んで、ゆっくりと過ごしている。老人に流れる時間がきれいで、僕はついうっとりと見てしまう。ああなりたい、と強く思う。
もしかすると、酒をうまそうに飲む、なんてどうでもいいことなのかもしれない。酒があって、飲めば心地よくなって、そこで本を読めるくらいの理性を保てていれば、酒の味をしっかりとあじわえる。そんな節度を持っていることが人生をたのしむ方法なのではないだろうか。