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イスラエルの保守系YnetNewsの社説。で、どうすんの?社説の最後を読むと核兵器を使う気が満々だね イスラエルは存亡の危機へと追い込まれている 論説:イランは、イスラエルを軍事的に機能不全に陥らせる代わりに、外交的に機能不全に陥らせている。つまり、米国とイランの間で形成されつつある停戦枠組みを利用し、地域における脅威を維持しつつ、エルサレムの行動の余地を制限しているのだ 月曜日の朝、息子はテヘランからの脅威にもかかわらず、学校の遠足が予定通り行われると聞いて喜んでいた。前回の遠足が延期となり、それが「轟く獅子」作戦という電撃的な展開へと変わったという苦い失望を経験した後では、その気持ちも理解できた。息子の顔に浮かぶ喜びを見たとき、私は胸が締め付けられるような思いを抱かずにはいられなかった。私たちが今経験しているこの静けさは、おそらく将来、耳をつんざくような騒音へと変わるだろう。それが、10月7日から私たちが学んだ最も痛ましい教訓である。そして実際、イランと米国の間の停戦合意の詳細が明らかになるにつれ、米国の「戦争疲れ」の代償を払うのは私たちになるのではないかと感じずにはいられない。 この合意に対する批判が高まる中開かれた記者会見で、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は勝利の様相をこう描いた。「我々はイスラエル国周辺に広範な安全地帯を確立した」。しかし、CBSとのインタビューでは、彼は次のように認めた。「依然として、イランが支援する代理勢力が存在する。彼らが依然として生産を望んでいる弾道ミサイルもある。「現在、我々はそれらの多くを無力化している。しかし、それらは依然として存在しており、やるべきことは残っている」と。この軍事的成功の裏には、イランの戦略的成功が隠されている。 イラクとの長期にわたる戦争から得た痛ましい教訓として、テヘランは戦争を自国領土から遠ざけ、イスラエルの周囲に代理軍による包囲網を張り巡らせた。ハマス、イスラム・ジハード、ヒズボラは、我々に3つの戦線で同時に戦うことを強いた。奇跡的に、我々の軍事的立場は10月6日時点よりも改善しているが、テヘランのために命を落とした愚か者たちの後任として、新たな代理勢力が現れている。 かつてテロ組織がテヘランに資源を求めていたのに対し、今やワシントンは、たとえ意図的ではないにせよ、テヘランの利益に奉仕している。イランはイスラエルを軍事的に麻痺させる代わりに、外交的に麻痺させてしまった。ガザやレバノンにおける交戦規則は、暗黒の時代へとつながった日々を彷彿とさせる。我々の破壊を叫び、核爆弾を開発し、我々の周囲を窒息させるような包囲網を維持している敵を前にしての外交的孤立は、単なる戦術的な障害ではない。それは明らかな存亡の脅威である。 歴史的な不条理として、米国は事実上、イランの代理として行動している。それが戦争疲れによるものであれ、ホルムズ海峡の再開をめぐる冷徹な経済的計算によるものであれ、あるいはワールドカップ開催国が同時に地域戦争を繰り広げる余裕はないという認識によるものであれ。かつてイランがテロ組織を利用してイスラエルのテヘラン攻撃を阻止していたのに対し、今やイランは米国を利用しているのだ。イスラエルによるレバノンからの撤退要求や、合意の詳細をエルサレム側に提示することを拒否している事実は、両者の亀裂の深さを如実に物語っている。 トランプ氏は熱狂的なWWEファンだ。かつてエディ・ゲレロというレスラーがおり、そのモットーは「嘘をつき、ごまかし、盗む」だった。おそらく意図せずとも、それがトランプ氏のイランとの交渉を導くアプローチとなっている。すなわち、合意の詳細をエルサレムから隠し、レバノンに関して矛盾したシグナルを送り、何も署名される前に勝利を宣言することだ。イランは傍観し、ワシントンのエディ・ゲレロに仕事を任せておけばよいのだ。 我々は、米国に見捨てられるという経験を一度や二度ではない。バイデンが武器の供給停止をほのめかした際、ネタニヤフは「必要とあれば、爪先ででも戦う」と宣言した。しかし、それでも米国は必要な武器の大部分を供給し続けた。今回、状況は根本的に異なる。ハマスはイスラエルの国家存続を脅かしていなかった。イランは脅かしているのだ。そして皮肉なことに、トランプがイランの核戦争への突き進みを阻止しようとしたまさにその試みが、イスラエルを核戦争へと追い込む結果になりかねないのだ。 イスラエルは、自国を破壊すると脅かす勢力に対して、入手可能な範囲で非通常兵器を含め、手持ちのあらゆる手段に頼らざるを得なくなるかもしれない。それは単に、今回、米国の国益とイスラエルの国益がもはや一致しなくなったからに他ならない。
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私の、平和への思いの原点の一つは、沖縄の慶良間諸島の座間味島です。 世界有数の人気ダイビングスポットでもある座間味島は、1945年3月26日、太平洋戦争でもっとも最初に米軍が上陸した島です。 1991年の夏、私は大学生協の主催する「オキナワの旅」という企画で、米軍上陸のその場に居合わせ生き残った、島民の方のお話しを仲間といっしょに聴くという、稀有な機会を得ることができました。 参加したのは、島民の方と、愛知岐阜三重の三県の大学に通う大学生20人あまり、そして生協の職員さんだったと思います。 その日は、空は青く晴れ渡り、海と空がつながっているような、まさに沖縄らしい絶景の穏やかな日で、私たちはピクニック気分で山に登ってゆきました。 みんなで、山頂にある、展望台のベンチや、まわりの草原に腰掛けて、耳を傾ける中で、島民の方は、淡々と当時の様子を語ってくださいました。 その場はまさに、米軍の上陸作戦の直前に島民の皆さんが米艦隊を眺めていた場所だったのです。 「島民はみな、島に駐留していた日本兵に『米軍が上陸したら、男はみんな殺される。女子どもは凌辱される』と、聞かされ続けてきました。」 「その日、米軍がいよいよ上陸してくるらしい、と聞いた私たちは、この場所に登って来ました。展望台から観た海は、真っ黒な米艦船に埋め尽くされているように見えました。展望台に集まった島民は『これはもうだめだ』と囁いたりしていました」 「米軍が上陸して2日間、私たちは山の中をさまよって逃げ続けていました。どこに行っても米兵の姿が見え、どこにも逃げるところはありませんでした」 「最初に、わたしの隣りにいた近所のおじいが、叫びながら小学校あがる前の孫に、突然包丁を突き立てて、その生命を絶ちました。その後はもう…地獄のような光景でした…」「刃物のない人は、手で首をね締めるしかなくて…」 私は、このあとの詳しい描写は、覚えてません。 話聴いてるみんなも、ただただ、涙流すことしかできなくて。 お話しを聴いたあとは、みんな口数少なく、山を降りてゆきました。 美しい海と山、穏やかな気候、そして何より当時の経験を、感情をほとんど交えず、淡々と話すお父さん… 鮮烈なお話しとそのギャップに「戦争というものは」と、深く心に刻まれた経験なのでした。 座間味島やお隣の渡嘉敷島でのこの戦闘で生命を落とした島民は、日本兵の3倍、400人弱にのぼります。 座間味島はじめ、沖縄に駐留していた日本軍は、沖縄でどういうどういう役割を果たしたか。 すでにが語られているこのことを、ここでは語ることはいたしません。 けれども私は、軍隊というものが、決してその国の国民のことを守る存在では居続けないこと、そして戦争というものはどんな理由があっても、始めることそのものが重大な罪であることを、刻んでいます。 戦後生まれの私たちは、そして戦後生の政治家たちは、私たちの先人が歩んできた、日本の歴史を、ちゃんと学んでこれているでしょうか? そしてそれに、向き合い続けているでしょうか。 6月20日の豊橋空襲を「語り継ぐ」ことも、その大事な断片の一つとしてて、私は大切に引継ぎたいと考えているのです。
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6月23日は慰霊の日。 ここ沖縄では、先の戦争で多くの尊い命が失われました。 心より哀悼の意を表するとともに、 ご冥福をお祈り申し上げます。 戦後81年が経ち、沖縄戦を実際に体験した語り部の方々から直接お話を聞く機会も少しずつ少なくなっています。 だからこそ今、私たち一人ひとりが平和について考え、次の世代へつないでいくことが大切だと感じます。 平和記念公園を訪れ、歴史に触れ、祈りを捧げる。 その小さな行動の積み重ねが、平和と向き合い続ける社会をつくり、沖縄の未来へとつながっていくと信じています。 沖縄を愛する一人の県民として、そして未来を生きる世代へ想いをつなぐ一人として、これからも皆さんとともに恒久平和について考え、行動して参ります。 平和は日常が決して当たり前ではないことに感謝しながら、慰霊の日に改めて祈りを捧げます。
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きのうは北九州市で経済の話をしました。  小倉駅に着くと、いつも思いだすのが、小倉を舞台にした映画『無法松の一生』とその脚本を書いた伊丹万作さんのことです。伊丹さんは『戦争責任者の問題』という現代にもつうじるメッセージも書き残しておられます。  荒くれ者の人力車夫「無法松」こと松五郎は、軍人の夫を亡くした吉岡夫人とその息子のことを長年にわたり献身的に世話をしました。  歳をとった松五郎は、あるとき、ずっと抑えてきた夫人への想いを告白しようとしますが、いつもと変わらぬ清楚な夫人の姿に、恋情を抱いた自分を恥じ、「奥さんすまん、わしの心はきたない」と言って飛び出し、二度と夫人と会わず、酒に溺れて死んでいきます。    この映画の初演は太平洋戦争が激化する昭和18年。戦意高揚を図るべき時勢に、亡くなった軍人の妻に車夫が恋をする話など許されぬと情報局から厳しい検閲をうけ、いくつかのシーンがカットされます。  脚本を書いた伊丹さんはあえて軍国主義の風潮に抗して、国家のためでなく人のために尽くす松五郎、軍人の妻に恋をしてしまう人間的な松五郎を描きたかったのではないでしょうか。その後も伊丹さんの脚本は情報局の事前審査で大幅に修正させられたり、却下されたりしています。  当時の情報局は、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的につくられた内閣直属の情報機関で、敗戦後の1945年末に廃止されました。  約80年後の先月、国民監視のための国家情報局設置法案が国会で賛成多数(共産、立憲民主、れいわ、社民などは反対)で可決されました。まさに「新しい戦前」に向かっている気がしてなりません。  伊丹さんは敗戦の翌年、『戦争責任者の問題』を発表し、戦犯だけに戦争責任を押し付け自分たちはだまされていたで済まそうとする国民世論に疑問を投げかけています。 「『だまされていた』という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない」 「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。----二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない」 「この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである」 「新しい戦前」にしないために、いま必要なことを私たちに問いかけていると思います。
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#国会正門前大行動0519# に宮古島から参加した女性のスピーチです。 きょう飛行機に乗って宮古島から来ました。国会議事堂前駅から歩いてきて、この光景を見て涙が止まらなくなりました。島の中で声を上げたり、島の中でのたたかいは、少人数で孤独なものだったりするので、こうやってたくさんの人たちが同じ思いを持って集まってるんだっていうのを見て、本当に涙が止まらなくなってスピーチもちゃんと話せるかなって不安です。 今日は発言の場を与えていただきありがとうございます。高市政権が軍拡、憲法改悪を推し進めようという流れの中、皆さんの中で、いま自分が住んでいる場所で戦争が起こって、そこにはもう住めなくなるかもしれないという不安を感じている人はどれぐらいいますか? いま、宮古島、石垣島、与那国島をはじめとする先島諸島では、台湾有事を前提として島民12万人を九州、山口に避難させるという全島避難計画が進められています。信じられますか? どれくらい具体的な計画かというと、私の住む宮古島市は鹿児島県鹿児島市に避難することまで決まっています。3辺の合計100センチ以下の手荷物1つで1か月間鹿児島のホテルに滞在し、その後そこでの就学や就労の支援計画まで始まっています。このような計画を、国をはじめとして沖縄県、宮古島市も異議を唱えることなく計画を立てています。 私たち住民の気持ちは置き去りにされています。私たちは今、生活を根こそぎ奪われるということが戦争以上に怖いです。そもそもなぜ国外問題である台湾有事で先島諸島が戦場にされなければならないのでしょうか?  なぜ先島諸島の人々の生活を奪って、そこを戦場にして戦争することが国を守るということなんでしょうか? その中に私たち先島諸島の人々は入ってますか? 国際法であるジュネーブ諸条約では軍民分離ということが決まっていて、住民がいる場所では戦争できないのです。アメリカは批准していませんが、日本は批准しているので守らなければなりません。有事の前に避難させるということは、戦争をするために住民が邪魔だから避難させるのではないでしょうか? 戦争を前提とした避難に従うことは戦争協力であると私は考えています。 そして、一度避難して島が戦場にされたら、もう島に戻ることはできないのは容易に想像できます。地続きではない島の復興はほぼ不可能です。つまり、これは島外避難などではない強制疎開です。島に残りたいと言っても、避難は強制ではないが、ライフラインが止められるというのが市の説明です。それは強制に等しいです。このようなことが今の日本で行われようとしています。島外避難したくないというと、命が大事じゃないのかということを言われます。もちろん命が大事です。でも、憲法25条では、単に生きるだけではなく、人としての尊厳を保った健康で文化的な最低限度の生活が認められています。また、憲法22条では、自己の意思に反して移動しない自由、住み続ける自由が保障されています。しかし、すでに私たちの権利は脅かされようとしていて、それが当然のことのように語られています。いま目の前にある憲法を守らせることさえできていないのに、改憲するなんて許されることではありません。憲法はすでに沖縄の人々を守らなくなって久しいです。いま大切なのは憲法改正ではなく、権力者に憲法を守らせることです。 先島諸島の島々では、その島独自の文化の中で人々は生きています。島によって言葉も違う、唄も違う、織物も違う。その島にしかない大切なものを次世代につなごうと大切に守りながら生きています。福島の原発事故で故郷を奪われた人々がいます。故郷を失うということがどれだけ大きなものを失うということなのか、私たちはもう知っていると思います。ただ生きていればいい。そんなことを誰が言えるでしょうか? この島に生き続けたい。この当たり前の切実な願いを、戦争という愚かなことのためにどうか踏みにじらないでほしい。 (※文責=井上伸)
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憲法改正について議論になっていますね。いろんな意見がありますが、私はまず根本的な死生観や倫理観についてもっと話し合う必要があると思います。 ガンダムの中で軍属であるアムロがお母さんに会うために連邦軍のホワイトベースから離れて、敵国であるジオン軍の統括エリアにある難民キャンプに潜入するエピソードがありました。お母さんには会えましたが、連邦軍の兵士が紛れ込んでいるという通報を受けてジオン軍の兵士がキャンプを検閲します。お母さんはアムロが見つからないようにベッドの中にかくまって、病人です、と言いますが、ジオン軍兵士は布団を引きはがします。その瞬間、アムロは兵士を撃って殺してしまいます。 お母さんはアムロに言います。「この人にも家族があるだろうに。」しかしアムロは言います。「お母さん、これは戦争なんだよ。僕が死んでもいいの?」 ここにはとても深い倫理的な問いが隠されています。人を殺すのは良くない。かといって、自分は一方的に殺されてもよいのか。性善説、性悪説という議論もありますが、私は人には道徳的な美しい心と、獣のような衝動的な感情が共存していると思います。私も人を殺したくないですが、もし戦争になって、敵が獣のように私に向かってきたら、やはり銃を撃ってしまうと思います。 憲法で武力行使を禁じている前提として、人の善性への期待があるでしょう。人は本来倫理的で、話し合えばわかる、と。しかし、常にそうではありません。そうではない獣性にとらわれてしまったら、こちらも武力行使をしなければならない、と考えます。 それならば、私たちにできることは、いかに相手の善性を引き出し、善なる心で話し合い、コミュニティを維持していくか、を考えることです。そのために国のリーダーは善性を持って議論すべきであり、獣性を前提とした議論をするべきではないと思います。 武力行使について考える場合でも、「本来善性によって話し合い、助け合い、解決すべきことで、まずはそこに全力を尽くす。それでも、相手が獣性にとらわれて武力行使を行ってきた場合、残念ながら、自らも武力行使をせざるを得ない。そのためのルール変更である。」と。 重要なのはルールではなく、その背景にあるポリシー、考え方です。そこが曖昧で共有できていないまま議論をしてもすれ違うだけです。 このような問題は安倍元首相を殺害した山上さんの事件についても言えます。山上さんが安倍さんを殺したのは、多くの人を助けるために一人を犠牲にしてよいか、といういわゆるトロッコ問題です。結果的に、統一教会は解散になりそうですし、韓国社会にも大きな影響を与えています。このトロッコ問題には正解というものがなく、コミュニティとして非常に難しい問題です。山上さんの行動が正しかったのかどうか、多くの学者さんが長い時間をかけて考えても結論は出ていません。本来どうあるべきか、というポリシーが社会的にも作り上げられていないのです。それなのに、「人を殺してはいけない」という法律に違反している、という点だけで彼を無期懲役にしようとするのは法律の濫用に思えてなりません。 誰もがアムロにも、アムロのお母さんにも、そしてジオン軍の兵士にもなりえます。自分がどの立場にあったとしても、納得できるルールなんてあるのでしょうか。願わくは、そのような極限状態にならないようにすることです。
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戦争体験者に戦争の体験談をさせる度に私たちは何度も彼ら彼女らを傷つけ殺していると思う。
#戦争させない0529# での、反貧困ネットワーク事務局長の瀬戸大作さんのスピーチを紹介します。 私たちの団体は、日本人でも何人でも、この日本の地で困窮状態にある人たちの支援をしている団体です。 私たちの支援の現場はすでにもう焼け野原状態になりつつあります。先週、新宿の食料配布で1,000人以上の人たちが並んびました。所持金がなく、小さな公園で息を潜めている20代の女性、生活保護を受けていても3日も4日もご飯を食べていない人たち。そういう人たちの駆けつけ支援をやっています。 この間、女性の貧困の比率が高くなっていて、全体の45%は女性で、数年前から見ると異常な状況です。20代の何らかの精神疾患が40%を超えるなど、若者の貧困問題は深刻になっています。 20年前から物価は25%上がって、水道光熱費は18%上がっているのに、なぜ生活保護の費用を一切上げないのでしょうか? 高市政権は就任以降、国会の中で貧困と格差の問題について一度も口に出していません。私は毎日のように駆けつけ支援に行っているので、ぜひ高市さんを首相官邸に車でお迎えして、一緒に車に乗っていただいて、駆けつけ支援の現場で、夜10時まで小さな公園で息を潜めている女性の声を直接聞かせたい。 しかし、高市首相は10年以上前に生活保護利用者のことをさもしいというふうに言いました。なので危なくて連れて行けない。でも首相官邸から引っ張り出して困窮者の現実を見ろといいたい。 今日、改悪入管法が通っています。非常にひどいです。私たちは難民支援を行っています。居住の支援や生活支援、医療支援を行っています。その人たちは帰れない人たちです。事情があって帰れない。帰ったら殺される。そういう人たちに対して何にも難民認定しない。それで今週発表された強化推進プラン、ゼロプラン強化推進プランでは、その人たちを入管に収容して送還するという方針を出しました。 ありえないですよ。この費用は入管手数料、いろいろなものを引き上げて、外国の人たちからお金を取りまくって、その財源で送還する。お金の回し方がおかしいじゃないか。困っている辛い状況にある難民の人たち、多くの子どもたちが親から引き離されています。親だけが強制送還される入管の現場で私は何回もそうした場面を見ています。こんなことをやっていいんでしょうか? 子どもの権利条約はいったいどこにいった? 国際人権法はどこにいった? 憲法の次に優先されるのは国際人権法です。このプランではありません。 憲法を変えてる場合ではありません。国旗損壊罪でお子様ランチの国旗だなどと議論するそんな暇があったら困窮者の現実、難民の現実、直接話を聞いて、そちらにお金を回すべきです。 軍事費なんかいらない。私はそう思う。この状況に飢えたる者は立ち上がろう。憲法を守ろう。憲法を活かそう。 (文責=井上伸[※文章に整理したのは私の責任という意味になります])
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高市総理、沖縄慰霊式で大声妨害する左翼に完璧正論炸裂👏 望月イソコ氏「市民が『戦争止めろ!9条守れ!』と言ってたが?」 高市総理「日本は戦争してません。 私たち総理・閣僚・国会議員は全員、憲法遵守義務を負っています」 これ以上ない正論に左翼の矛盾は木っ端微塵🫠
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残さず食べる文化! 最近、ある日本の方の投稿で「ロシアも食事残すことに厳しい文化なの?それは知らなかった」と書かれているのを見かけました。そこで、ソビエト連邦がかつての構成国に残した影響についてお話しするのは面白いのではないかと思います。 私も親から「全部食べるまで席を立ってはいけない!」と言われたのを覚えています。もちろん、このような習慣は胃腸のトラブルや肥満などを抱える多くの人々を生み出しました。しかし、それには当然理由があります。すべての原因は、食料不足と… 少し前にあった戦争にあります。私たちの祖父母の世代は食料が不足し、餓死しないために革のベルトやブーツまで食べざるを得なかったことを覚えています。彼らはそのトラウマを子供たちに投影し、それが世代を超えて受け継がれていったのです。 ここで、トルクメニスタンで形成された独特の特徴についてもお話ししたいと思います。トルクメニスタンの国旗や国章に「麦の穂のリース」が描かれていることにお気づきかもしれません。これだけでも、私たちがパンに対してどのような思いを抱いているかがよく分かります。この国にとってパンは、何か神聖なものと同じレベルになっています。小学校の低学年で教えられる、パンの扱い方に関するルールさえあるほどです。例えば、パンは必ず両手で割らなければならないとか、すべての宴会(食事の席)には必ずパンがなければならない、といった具合です。 パン(平焼きパン)が重要な役割を果たす昔話もあります。 人々は、床に落ちたパン屑を誰も間違って踏まないように、そして無駄にならず小鳥などが食べられるように、必ず拾って高いところに置きます。とても長い間、パン(美味しくて柔らかい平焼きパン)はたった1マナトで売られていました。 このような態度は、平焼きパンやローフパンといった普通のパンだけでなく、あらゆるパン類に向けられています。 皆さんはこれについてどう思いますか?中央アジアでの食事の席で、パンが必ず「置いてある(欠かせない存在である)」ことにお気づきでしたか?
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