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未遂えっち発売記念限定SS#
31. シュレディンガーの赤いリード
「へっ? 依瑠花ちゃん、犬飼ってたの?」
もぞり、後頭部の余った髪を引き摺って、仄かな熱が頷いた。
すっかり昼食場所として定着してしまった体育倉庫。けれど今日は、どうにも依瑠花ちゃんのスキンシップが過剰だった。……異常、とまでは言わないけれど、いつもより遠慮がなかった。お弁当を食べるのも疎かに、髪をいじったり持ち上げたり、おずおずと凭れてきたり。……引っ込み思案で臆病でいっつもおどおどしている依瑠花ちゃんにしては、珍しい積極性。
邪気は感じなかったし、不快ではなかったけれど。
不思議だったから、素直に訊いてみたんだ。『なんで?』って。
「うん…………もう、ずっと小さい頃、だけど、ね……」
ぎゅうっ。
長い腕が、いつもよりほんのわずか強く、身体に巻きつく。
……お弁当、わたしが食べ終わるのを、待っていたかのように。
「大っきい、ゴールデンレトリバー、でね……私が、生まれた時には、もう……結構、おじいちゃん、だったの。……小学校に、上がる前に…………老衰で、死んじゃっ、た……」
「…………」
「……まだ、小さかった私、でも……追いつける、歩幅で……散歩、してくれた、なぁ……あったかくって、柔っこくて…………懐か、しい……。あの頃、使ってた、リード……まだ、部屋にある、よ……どうして、も……捨てられ、ない……」
「……大好きだったんだ、その子のこと」
なんとも、依瑠花ちゃんらしいエピソードだ。あったかくて柔っこい腕に抱かれながら、思わず微笑まずにいられない。
そして、普段より濃密な触れ方にも、合点がいった。
――――昨日の5時限目は、卒業生によるキャリア講演会だった。専門学校へ進んでトリマーになった女性は、日頃の業務だけじゃなく、保護犬……飼い主から捨てられたり、面倒を見てもらえなくなった犬たちを助ける活動についても、語っていた。犬なんて、テレビか動画でしか見ないわたしでも理解るくらい、惨い目に遭っている犬たちが、たくさん、たくさんモニターに映し出されていたのを、憶えている。
わたしでさえ、ショックを受けたのだから。
犬を飼っていたという依瑠花ちゃんは、尚更だろう。
……まぁ要するにわたしは犬扱いされているという訳なのだけど……可愛らしいエピソードトークに免じて許してあげようと思う。
「また飼えばいーじゃぁん」
と。
今日の購買では惨敗を喫したのか、コッペパンに挟まれたジャムを雑な口紅代わりにしながら、星奈が言ってきた。
「昨日の卒業生も言ってたよぉ? じょーとかい? だっけ? で犬とか猫とか、新しい飼い主に渡してるってさぁ」
「ふぅん、星奈にしてはいいこと言うじゃん。依瑠花ちゃん、親御さんにお願いしてみるってのは――」
「それ、は…………ダメ、だよ」
ぎゅうっ。
抱き締める力を、ほんのちょっぴりだけ強めて。
……語気はその何倍も強めて、依瑠花ちゃんは断じた。
「っ……依瑠花ちゃん……?」
「……飼いたい、けど……でも、私は、高校二年生、で……来年は、受験……進路次第、で、生活が、どう変わるか……分から、ない。……責任を、持てるか……保証が、できない。そんな状態、で……命を、預かれない、よ……」
「――――真面目過ぎんだよねぇ、依瑠花ちゃんはさぁ」
器用にも、コッペパンを口いっぱいに頬張りながら。
鼻で溜息を吹きながら、星奈はうんざりしたような目で、依瑠花ちゃんを睨んだ。
「少しは自分の幸せを考えりゃあいいのにさぁ。ったく、あーあー本っ当にもう、これっぽっちもそそられない。つまんない女だよ依瑠花ちゃんは」
「うぅ……」
「依瑠花ちゃん。星奈のバカの意味分かんない戯言は、気にするだけ損だから」
言って、しゅるりと抜け出した左手で、依瑠花ちゃんの頭を撫でる。
……まぁ、意味不明な戯言は後半だけだ。星奈の言葉とはいえ、前半は、確かに頷ける。
この娘は、もっと自分の幸せを考えていい。貪欲になってもいいって、思う。思わずにいられない。
そんなことを、耳に胼胝ができるくらい言ってもなお、相手を優先しちゃうほどに、依瑠花ちゃんは、優しいから。
だから、安心して友達をできているわたしは……星奈を叱る資格もないように思えて、左手を、わしゃわしゃわしゃわしゃ、動かすことしかできなかった。
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ファンタジア文庫#