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柴田 淳 - 「みんなのPython」の著者・機械学習講師
@ats
【新刊】みんなのPython第五版(二刷),Pythonで学ぶはじめてのプログラミング入門教室などの著者。大手予備校をはじめ機械学習講師。たまに企業や学会,技術イベントに呼ばれてお話しします。
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AIが大学の課題を解けるようになった結果、大学の価値は「知識を教えること」から「人間と学ぶこと」へ移り始めています。MITが選んだのはAI禁止ではなく、AIが存在することを前提に大学そのものを作り直す道でした。 MITのAI教育委員会は、現在の生成AIについて「ほとんどの学部課題を信頼できる水準で完成させられる」と評価しています。レポートや問題セットを提出させ、その出来から学生の理解度を測る従来型の評価は、もはや十分に機能しない。そのためMITは、ほぼすべての授業を見直し、口頭試問やポートフォリオ、提出物について本人と直接議論する方法などへの移行を提案しています。 ただしMITの答えは、学生からAIを取り上げることではありません。各授業でAIをどこまで使ってよいかを明確にし、AIを使いこなす能力と、AIに頼らず自分で考える能力の両方を育てる「AI-aware」な教育を目指します。AIの進歩が速いため、一度カリキュラムを変更して終わりではなく、授業や評価方法を継続的に更新できる仕組みも必要だとしています。 ここで話は「AIカンニング対策」から、もっと大きな問題へ進みます。AIが説明し、問題を解き、文章を書き、個別指導までできるなら、学生は何のために大学という場所へ行くのでしょうか。 MITが重視しているのが、教員との対話、学生同士の議論、実験や実習、共同研究といった人間同士でしか作りにくい学習体験です。勉強会やオフィスアワー、学部生の研究参加といった大学文化そのものがAIによって変わる可能性があるとして、学生と教員が直接交流する物理的な空間を強化することまで提案しています。コーンブルース学長が強調するのも「人間による、人間のための教育」です。 これはかなり皮肉な展開です。知的作業を自動化する最先端技術が普及するほど、教育では口頭試問、対面での議論、実験、共同作業といった、むしろ古典的な方法の価値が高くなる。AIが大学をデジタル化するのではなく、大学をより「人間的な場所」に戻しているとも言えます。
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丹さんが3Dの連載してるとき、「実数演算使ってて無茶苦茶重い」みたいなこと言ってたので、私が作ってたピンボールでは固定小数点使ってるんですよ、みたいな会話をしたのを思い出した。
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ジョディ・フォスターは『F1』を「AIが作ったような映画」と評し、その発言を通じて、AIそのものよりも、映画制作が「予測可能な正解」を量産する方向へ向かっていることに警鐘を鳴らしました。 ジョディ・フォスターはアスペン・フェスティバルでの対談で、ブラッド・ピット主演映画『F1』について、「まるでAIが作り、コンピュータが脚本を書いたようだった」と語りました。作品の成功を否定する意図ではなく、ストーリー構成や俳優のセリフ回しが、映画学校で教わるような定型を忠実になぞっていると感じたことが、この発言の背景にあります。巨大な技術を使って美しい作品を作り上げている一方で、その創造性が「最適解の組み合わせ」に見えてしまうという違和感を表現しました。 対談ではAI全般についても議論され、フォスターは、背景俳優の複製など既にAIやデジタル技術によって仕事が減っている現状に触れつつ、映画制作の効率化自体は否定しませんでした。プリビジュアライゼーションや特殊な映像表現など、創作者がAIを使いこなす場面では有益だとし、「人間がAIを支配し続けられること」が最も重要だと述べています。 この発言が示しているのは、「AIを使うかどうか」という議論から、「作品がどれだけ人間らしい偶然性や個性を残せるか」という議論へと重心が移り始めていることです。従来はAIによる自動生成そのものが問題視されていましたが、フォスターが指摘したのは、実際にAIが使われたかどうかではなく、人間が作っていてもAI的な発想になってしまう制作環境でした。 映画制作では、興行データや観客分析をもとに「失敗しにくい構成」が繰り返し採用されるようになっています。その結果、AIを使わなくても、作品全体が統計的に最適化されたような印象を与えることがあります。つまり、AIは原因というより、その傾向を映し出す鏡として語られているのです。
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