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オレンジ | 福祉を翻訳する人
@embodied01
福祉から社会をみる。障害福祉の現場で生まれる迷いや違和感を言葉にしています。福祉・医療・教育に20年。現場の経験から、支援を振り返るためのnoteを書いています。理学療法士/相談支援専門員/法人管理者
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経験を積むほど、「分かります」と簡単には言えなくなった。同じ病名でも、同じ境遇でも、その苦しみはその人だけのものだから。「分からない」と認めることは、冷たさではない。分かったつもりにならず、目の前の人の話を最後まで聴こうとすること。それが支援で一番大切な姿勢なのだと思う。
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相談支援の仕事をしていると、「何に困っていますか」と聞いても答えられない人がいる。困りごとを言葉にできるのは、実はかなり余力のある状態だからだ。本当に追い詰められた人ほど「大丈夫です」と言う。窓口に来られる人より、来られない人のほうが深刻。この逆説を、相談支援の仕事で教わった。
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他者を救済しようとする欲望が、他者そのものへの応答性を凌駕した瞬間、善意は倫理から離反し支配へと転化する。その転化の契機に無自覚な支援者とは、自己の正しさの陶酔の中で他者を見失った存在であり、援助専門職としては未だ周縁に位置する者と言わざるを得ない。
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支援の仕事をしていると、この「何も起こらない価値」をよく感じる。利用者さんが安心して過ごせることも、家族が安心して任せられることも、一日が穏やかに終わることも、何も起きないからこそ目立たない。けど、その「何も起きなかった一日」の裏側には、多くの観察や判断、日々の関わりがある。支援では、何も起きないことこそ、もっと評価されていいと思う。
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誠実なところって目立ちません。毎日時間を守る人より、一度大遅刻した人のほうが印象に残ります。約束を守る人より、一度裏切った人のほうが話題になります。 誠実さは何も起こさせない能力だから、存在している間は当たり前にされます。 可哀想なのは誠実な人が評価されるのは、その人を失ったあとか、不誠実な人と出会ったあとがほとんどだということです。
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重度の記憶障害のある方が作業中、些細なことで他の利用者さんから強く注意された。注意された内容は数分で忘れてしまったが、その出来事以降その利用者さんが近づくと表情がこわばるようになった。 出来事は忘れても感情は確実に残る。人は何を言われたかより、どんな気持ちにさせられたかを覚えているのかもしれない。これは障害のあるなしに関係なく、私たちみんなに共通することだと思う。
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自信がある人ほど、自分を大きく見せようとしない。わからないことはわからないと言えるし、できないことも隠さない。反対に、自分を大きく見せ続けなければならない人ほど、本当の自信は脆いように感じる。 僕が人を信頼する基準は、肩書きや声の大きさではない。静かに仕事を積み重ねられる人かどうか。
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「わからない」は、支援者が早く埋めるべき空白なのだろうか。支援では、相手の行動の理由(意味)を探すことが多い。必要なことであると思う一方で、理解しようとするほどその人自身が見えなくなることもあるように感じる。 答えを急がず、わからないまま関わることについて、現場での出来事から考えました。
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意味を求めすぎる時代について⑧ 横尾忠則さんの話を聞いてから、「意味を求める」ということについて考え続けている。意味を探すことは悪いことではない。でも、意味を急ぎすぎると、目の前にあるものを感じる力まで失ってしまうのかもしれない。この感覚は、芸術だけではなく、人との関わり方や支援の仕事にもつながっている気がする。もう少し自分の中で整理できたら、noteで書いてみたい。
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意味を求めすぎる時代について⑦ 「考える力」はよく耳にする。でも横尾忠則さんは、「考えない力」の話をしていた。最初は不思議だった。でも、情報があふれる時代だからこそ、頭で整理する前に、自分が何を感じたのかを大切にすることも必要なのだと思った。考えすぎることで見えなくなるものも、きっとある。
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意味を求めすぎる時代について⑥ 年齢を重ねるほど、新しいことを学ぶ以上に難しいのは、これまで身につけたものを手放すことなのかもしれない。知識も経験も、ときには思い込みになる。学ぶことは世界を広げる。でも、学んだことを絶対視した瞬間に、世界は少しずつ狭くなっていく。
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意味を求めすぎる時代について⑤ 横尾忠則さんの話を聞きながら、障害福祉の仕事のことを思い出していた。支援場面では、「なぜこの行動をするのか」と理由を探す場面が多い。もちろん意味を考えることは大切だ。でも、その人の行動を理解することに意識が向きすぎると、その人自身を感じることが後回しになることがある。支援者ほど、「わからないまま関わる力」が必要なのかも。
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意味を求めすぎる時代について④ 横尾忠則さんが話していた「善の中にも悪があり、悪の中にも善がある」という言葉が印象に残った。最近は何でも白か黒か、正しいか間違っているかを急いで決めたがる。でも、人間は本来もっと曖昧で矛盾した存在。白黒つけたくなるのは、曖昧さに耐えることより、答えを決めて安心したい気持ちが勝つからなのかも。
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意味を求めすぎる時代について③ 横尾忠則さんは、「この絵は何を表しているんですか?」と聞かれたとき、「説明できない」と答えるという。見た人が「気持ち悪い」と感じてもいいし、「お腹が空いた」と感じてもいい。その人が受け取ったものが、その人にとっての答えになるからだ。説明できないから価値が低いのではない。むしろ、説明できないからこそ、人それぞれの感じ方が生まれる余白があるのだと思った。
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意味を求めすぎる時代について② 横尾忠則さんは、「1+1は2じゃなくてもいい」という趣旨の話をしていた。解は5でも6でも100でもいいと。 もちろん計算には答えがある。でも、その感覚のまま人生にも正解を求めると、自分で考えることをやめてしまう。正しい答えを求めようとするが、正しい答えはない。正しい答えは自分の中にのみ存在する。
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意味を求めすぎる時代について① 横尾忠則さんの話を聞いていて、一番心に残ったのは、「現代人は意味を求めすぎる」という言葉だった。仕事にも意味を求め、趣味にも意味を求め、本を読むときでさえ「何を伝えたいんだろう」と考えてしまう。でも、本当に心を動かされる瞬間は、意味を理解したあとではなく、理由もわからないまま惹きつけられたときに訪れる。意味は探すものではなく、心が動いたあとで自然と立ち上がってくるものだと思う。
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まさに今このマインドで書いています。 どーせ読まれないけどたまたま読んでくれた数人の心に少しの引っ掛かりを残せたらいいなーと思う。