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一水会
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参加 December 2011
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映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』を観に行ってきました。以下、その感想です。 ~~~ この映画を観て、戦争とは人を殺すだけでなく、人間の心そのものを壊してしまうものなのだと、改めて考えさせられた。 アレン・ネルソンさんは、貧困や人種差別から抜け出そうと、米軍の海兵隊に入隊。沖縄で訓練を受け、ベトナムの戦場へと送られた。そこで彼が教え込まれたのは、敵を殺すことだった。相手も自分と同じ人間であるという感覚を奪われ、命令に従って人を殺す。その結果、戦争が終わっても心の傷から逃れることができない。戦場から帰ってきた人間を、戦争は決して元の人間には戻してくれないのだ。 特に考えさせられたのが、沖縄での米軍の訓練だ。ネルソンさんの証言によれば、沖縄では人間の形をした標的を使った射撃訓練が行われ、アジア人を人間として見ないような意識まで植え付けられていったという。戦場に行く前から、相手の命を奪うことへの抵抗感をなくす教育が行われていたのである。 そして、なぜ沖縄がそのような訓練の場になっていたのかという問題も忘れてはならない。映像のなかでは、沖縄のタクシー運転手や身を売る女性たちが料金の支払いを求めると袋だたきにされたり、ひっぱたかれたりする屈辱的なシーンも出てくる。東洋人を人間と見ず、「クークス」と表現して、殺害などを正当化していったのだ。 戦後の沖縄では、米軍基地の存在と日米地位協定をめぐって、米兵による事件・事故が繰り返し問題になってきた。米軍関係者の犯罪については、日本側が自由に捜査や身柄の確保をできない場合があり、地位協定の運用や日米間の取り決めによって、日本の司法権の行使が制約される場面もある。 もちろん、米兵が日本で何をしても許されるという意味で「治外法権」が認められているわけではない。しかし、基地の中では米軍の管理下に置かれ、事件が起きても日本側の捜査や身柄の引き渡しに制約が生じることがある。こうした仕組みが、沖縄の人々に不公平感や不信感を抱かせてきたことは、「本土」の我々も真剣に考えなければならない。 沖縄の人々にとって、基地問題は単なる安全保障の議論ではない。日々の暮らしのすぐそばに基地があり、騒音や事故の危険があり、事件が起きれば被害を受ける可能性もある。それなのに、なぜ地元の人々が十分に納得できないまま、その負担を長年背負い続けなければならないのだろうか。 1995年に起きた米兵による少女暴行事件は、沖縄の基地問題を改めて社会に突きつけた。ネルソンさんが日本で反戦の講演活動を行うようになった背景にも、この事件があったという。自ら米軍の一員として沖縄で訓練を受けた人間だからこそ、基地の存在と戦争の問題を他人事として語ることはできなかったのだろう。 この映画が重いのは、ネルソンさんを単純な被害者として描いていないところだ。彼は戦争によって心を傷つけられた人間であると同時に、自らの手で人の命を奪った人間でもある。命令されたから、兵士だったから、殺さなければ自分が殺されたから。そのような理由は頭で理解できても、殺された人の命が戻るわけではない。 戦争を始めるのは国家や政治であっても、実際に引き金を引くのは人間である。そして、その犠牲になるのも、同じ人間なのだ。 「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 この問いは、ネルソンさん一人に向けられたものではないと思う。戦争を命じる側、戦争を支える社会、そして戦争を遠い国の出来事として見過ごしている私たちにも向けられているのではないだろうか。 沖縄に基地があることを当たり前だと思い、米軍の存在を「安全保障」という言葉だけで正当化し、そこで暮らす人々の負担や苦しみに目を向けなければ、私たちもまた問題から目をそらしていることになる。 戦争は、始める前に止めなければならない。そして、沖縄に過重な負担を押し付け続ける現状についても、私たちはもっと真剣に考えるべきだ。 観終わったあとも、簡単には答えの出ない問いが心に残る作品だった。二度と人を殺させないために、二度と人を殺さなくてはならない社会をつくらないために、何ができるのか。 この映画は、戦争の悲惨さを描くだけでなく、自分ごととして、平和とは何か、そして自分たちは何を見過ごしているのかを問いかけてくる作品だと思う。
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