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クレア
@kureakurea01
日常の「ん?」を文学・物語・推理・学びへ。仕事、人間関係、都市伝説、ニュース、投資、食に潜む、まだ名前のない違和感を拾い、日常と感情の翻訳をする名もなき社説執筆者です。誰かが言葉にできなかった感情を、誰かの心に届く物語へ。あたしは日本が大好きです。この世界も大好きです。
参加 September 2023
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国語の先生に、一人、妙な人がいた。夏の終わりの教室である。窓は開いているのに風は入らず、扇風機だけが敗戦後の兵隊のように首を振っていた。生徒たちは皆、机に頬を預け、ノートの上で半ば溶けていた。先生は黒板に、ただ一言だけ書いた。 「暑い」 それから振り返って言った。 「この一語で作文を書く者は、まだ夏を知らない」 皆、顔を上げた。 先生はチョークを置き、ゆっくり教室を歩いた。 「気温三十五度、と書けば理科になる。だが国語はそこから先を書く。湿ったシャツが背中に貼りつくこと。眠れぬ夜に天井の木目を数えること。 母親が台所で火を使いながら、何も言わずに汗を拭うこと。そこまで書いて、ようやく暑いという言葉に人間が入る」 私はその時、窓辺で昼寝をしていた猫のように授業を聞いていたのである。人間どもは不思議な生き物で、暑い暑いと文句を言いながら、その暑ささえ作文にして生き延びようとする。 先生は続けた。 「人は正論に怒るのではありません。自分の苦しみを知らない人に、きれいな言葉で裁かれることに怒るんです」 教室が静かになった。 「省エネは大切。環境も大切。 けれど、逃げ場のない部屋で眠れなかった人に向かって、それを上から言えば、言葉は正しさではなく暴力になる」 黒板に、今度はこう書いた。 「主語が大きい文章は、人間を消す」 その字は、白い傷のように黒板へ残った。 「日本人は、若者は、老人は、都会は、地方は。 そう書いた瞬間、そこにいる一人の顔が見えなくなる。 国語とは、主語を小さくする学問です。 大きな話の中から、泣いている一人を見つけるための授業です」 その日、作文の課題は「夏」だった。 ただし条件が一つあった。 「暑いと書かずに、暑さを書きなさい」 生徒たちは唸った。 ある者は、祖母が麦茶に氷を三つだけ入れる音を書いた。 ある者は、父がエアコンのリモコンを見つめたまま、電気代の紙を折りたたむ手を書いた。 ある者は、夜中に弟が泣き出し、母が黙って背中をさすっていたことを書いた。 先生はそれを読んで、赤ペンで大きな丸をつけた。 「これが国語です」 私は思った。 人間は、暑さで弱るのではない。 自分の暑さを、誰にも分かってもらえぬ時に弱るのである。 そして文章とは、時々、その弱った者の額にそっと置かれる、濡れた手ぬぐいのようなものなのだ。 完璧な正論は、人を黙らせる。 だが、不完全な言葉は、人を参加させる。 あの先生が教えていたのは、作文ではなかった。 「こちらの現場を知らずに、きれいな言葉で説教するな」 その叫びを、怒鳴り声ではなく、文章に変える方法だったのである。
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