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Lord Luther-Hiroshi Ichimura
@luther_ichimura
声楽家・シェイクスピア俳優/発声・発語・滑舌・演技指導者/ボイトレに筋トレを持ち込んだパイオニア 国立音楽大学声楽科卒/欧米にて研鑽を積む 東京二期会会員(市村ヒロシ名義)/国際演劇協会日本センター会員/NPO法人副理事長/『副次的文化系歌曲祭』運営委員会委員長/合唱集団EARTH名誉サポートメンバー/昭和音楽大学講師
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このたびは、あいにく演劇公演と日程が重なっており、お伺いできず誠に申し訳ございません。 皆様の歌声を直接拝聴できないことを、とても残念に思っております。 ご参加の皆様、ならびに運営会の皆様におかれましては、どうかこまめな水分補給を心がけ、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。 皆様が最後までお元気に、晴れやかなお気持ちで合唱祭を終えられますよう、心よりお祈り申し上げます。
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声優は、役によって声を変える仕事である。 だからといって、喉を固めて別人の音色を貼り付ければよいわけではない。 一方で、「生まれ持った声を変えてはいけない」と、今出ている声だけを守るのも違うと思う。 その声自体が、長年の力みや発音の癖によって狭められていることもあるからだ。 私がレッスンで変えたいのは、声そのものではない。 呼吸や声帯閉鎖、舌や顎の使い方を整え、その人が無理なく選べる声を増やしたいのである。 その結果、音色や音域が変わり、年齢や人物像に応じた声を使い分けられるようになることはある。 声優に必要なのは、一つの声を守り続けることでも、役ごとに無理な声を作ることでもない。 自分の身体から出せる声の選択肢を広げ、必要な声を安全に使い分けることだと思う。
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SNSに演奏会の感想を投稿するのは自由。 たとえ辛辣な内容でも、その人がそう感じたのなら、それは当然の権利だ。 ただし、他人の好意的な感想にまで干渉するのは違うと思う。 わざわざ「あんなものの何がいいんだ」と言いに行くのは批評ではなく、他人の感じ方を支配しようとしているだけ。
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早いもので、門下発表会から1週間が経った。 出演してくれた門下生たちも、レッスンで口々に「出られて良かった」と話してくれる。 主宰した側として、これはやはり嬉しい。 今回は、1人10分という時間枠だけを決め、演目も構成も含めて、それぞれ自由にプロデュースしてもらった。 オペラ、歌曲、ミュージカルナンバー、朗読、一人芝居。 ジャンルも方向もばらばらだったが、そのばらばらさがかえって彩りになり、具材の豊富な闇鍋のような発表会になったと思う。 もちろん、出て良かった、楽しかった、で終わらせるつもりはない。 レッスンでは、本番を観て気付いた点をそれぞれに伝えている。 声の出方、言葉の扱い、身体の使い方、舞台上での時間の運び方。 人によって課題は違うが、実際に舞台へ出たからこそ見えたものがある。 本番で何が起きていたのかを確認し、それを次の稽古やレッスンへ持ち帰るところまでつながってこそ、舞台の経験は次に活きてくる。 この流れがなければ、レッスンはただ注意を受ける場所になってしまう。 舞台に立った経験を、次にどう活かすか。 そこまで含めて、発表会なのだと思う。
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現場で信頼される人は、自分の出番だけを見ていない。 共演者、スタッフ、時間の流れまで含めて、自分の動き方を考えている。 『Luther Radio』 第87回、録音でお聴きください。
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終演後に「良かった」と思っても、何が良かったのかをすぐに言葉に出来るとは限らない。 声が残ったのか、音楽の運びに引き込まれたのか、間の取り方や舞台上の人の佇まいが印象に残ったのか。 その場ではまだ分からず、ただ何かが自分の中に残っているだけの場合もある。 感想は、最初から整った言葉で出てくるものではないと思う。 むしろ、本当に心が動いた時ほど、最初に出てくる言葉は単純になることがある。 「良かった」「何か残った」「もう一度聴きたい」。 それは雑な感想ではなく、作品を受け取った最初の形なのだと思う。 大切なのは、その言葉を軽く扱わないことではないだろうか。 なぜ自分はそう感じたのか。 どの瞬間に身体が反応したのか。 終わってからも残っているものは、音なのか、言葉なのか、空気なのか。 あとから少しずつ辿っていくことで、最初の「良かった」は、ただの印象ではなく、自分がその舞台をどう受け取ったのかを知る手がかりになる。 感想は、最初から立派である必要はない。 ただ、心が動いたことを大切にするなら、その動きがどこから来たのかを、あとで確かめてみてもよいと思う。
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師匠の次は俳優です。 国際演劇協会 英語圏部会 戯曲研究 & 懇親会 『エドウィン』 引退した裁判官とその妻、そして隣人の陶芸家が織りなす、ちょっとダークな謎解きコメディ。 私は隣人の陶芸家を演じます。 ご興味おありの方は、フライヤーのQRコードより特設サイトへ❕
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『歌唱的演技系文化祭 ーLutherヒロシ市村門下発表会ー』 お陰様をもちまして、無事終了いたしました。 皆さま、誠に有難うございました!
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いよいよ本日となりました!!! まだご予約は間に合います!!! 名前は少し物々しいですが(笑)、中身は真剣で、時々楽しく、そして温かい時間です。 ぜひ応援にいらしてください。 『歌唱的演技系文化祭』 ー Lutherヒロシ市村門下発表会 ー 入場無料です。
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明日に迫りました 『歌唱的演技系文化祭 -Lutherヒロシ市村 門下発表会-』 以下より、WEBパンフレットがご覧いたたけます。 ご予約まだの方も、興味が湧いたら会場へ!!! (観覧ご予約は画像のQRコードで)
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昔の自分なら、言い返していただろうな、と思うことがある。 失礼なことを言われたり、こちらを不当に軽く扱うような態度を取られたりすると、その場で黙っていることが出来なかった。 もちろん、黙っていることがいつも正しいとは思わない。 言うべきことを言わなければ、相手が同じことを繰り返す場合もあるし、その場にいる他の人まで傷つけることもある。 ただ、年齢を重ねてくると、言い返すことが必ずしも解決にならない場面も見えてくる。 相手が本当に理解しようとしているのか、それとも自分の優位を確かめたいだけなのか。 こちらが言葉を尽くすことで何かが前へ進むのか、それとも関わるほど時間と気力だけが削られていくのか。 昔の私は、そこをあまり考えずに反応していたように思う。 今なら、表面上は穏やかに済ませるかもしれない。 笑って「そうですか」と言い、その場を荒立てずに終えると思う。 ただし、心の中では静かに線を引く。 この人とは、これ以上深く関わらない方が良い。 この人に、自分の大切な時間や感情を渡す必要はない。 そう判断したら、もう無理に分かり合おうとはしない。 言い返すことには、ある種の若さがある。 距離を置くことには、別の種類の覚悟がある。 それは逃げではなく、自分が本当に向き合うべきものを選ぶためなのだと思う。
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レッスンで一度出来たことと、自分の技術になったことは違う。 先生がいなくても取り出せるようになって、初めて自分のものになる。 『Luther Radio』 第87回、録音でお聴きください。
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第87回。 - 自分の課題は、いつ「課題」ではなく「個性」になるのか? - 現場で「この人なら安心だ」と思われる人は、何を準備しているのか? - 調子が良い日にこそ、確認しておくべきことは何か? - 努力が報われない人は、「努力」をどう誤解しているのか? - レッスンで教わったことは、何回目で「自分の技術」になるのか?
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「自分には関係ない」と思っている方ほど、意外と楽しめるかもしれません。 入場無料ですので、お気軽にどうぞ。 『歌唱的演技系文化祭』 ー Lutherヒロシ市村門下発表会 ー 入場無料、観覧希望受付中です。
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『歌唱的演技系文化祭』 ー Lutherヒロシ市村 門下発表会 ー 2026年7月1日(水)17:30開場/18:00開演 トーキョーコンサーツ・ラボ/入場無料 観覧申し込みを開始致します。 以下のフォームよりお申し込みください。
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稽古場で問題になるのは、怒鳴る人だけではない。 声を荒げて相手を萎縮させる指導は、身体も声も固め、表現の幅を狭める。 これは周囲からも比較的見えやすい。 一方で厄介なのは、穏やかに稽古を進めているように見えながら、実際には原因を見ないまま言葉だけを重ねている場合である。 声が届かない時、その原因が呼吸や身体の固定にあるなら、「もっと気持ちを出して」では解決しない。 台詞が相手に届かない時も、相手を受け取る前に自分の予定した反応へ入っているなら、感情の量を増やしても根本は変わらない。 ところが、そこで「もっと大きく」「もっと強く」という方向へ進めてしまうと、本人は指導を受けているつもりで、実際には本来見るべき場所から離れていく。 声は大きくなったかもしれないし、表情も強くなったかもしれない。 しかし、身体の使い方や相手との関係が変わっていなければ、根本は残ったままである。 稽古場で必要なのは、言葉の強さではなく、原因を見る力だと思う。 今起きていることが、身体の使い方から来ているのか、呼吸の問題なのか、言葉の扱いなのか、相手役との関係なのか。 そこを見ないまま稽古を進めると、表現は良くなるどころか、別の癖を強めてしまうことがある。 怒鳴るかどうかだけを見ても、稽古場の問題は見えてこない。 本当に警戒すべきなのは、目の前で起きていることの原因を見ないまま、言葉の熱量だけで稽古を進めてしまうことなのだと思う。
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長く練習したから、上手くなるとは限らない。 同じ癖を長く繰り返せば、その癖が強くなることもある。 『Luther Radio』 第87回、録音でお聴きください。
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第87回。 - 自分の課題は、いつ「課題」ではなく「個性」になるのか? - 現場で「この人なら安心だ」と思われる人は、何を準備しているのか? - 調子が良い日にこそ、確認しておくべきことは何か? - 努力が報われない人は、「努力」をどう誤解しているのか? - レッスンで教わったことは、何回目で「自分の技術」になるのか?
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優しさと甘さは違う。 舞台や稽古場にいると、この二つが混同されているように感じることがある。 相手を傷つけないようにすることは大切である。 しかし、目の前で起きている問題に触れないまま、結果として相手が同じところでつまずき続けるなら、それは優しさではなく甘さなのではないかと思う。 本当の優しさは、いつも柔らかい言葉だけで出来ているわけではない。 時には、耳の痛いことを伝えなければならない場合もある。 ただし、その目的は相手を追い詰めることではない。 その人が何に困っているのかを見た上で、どうすれば受け取れる形で伝えられるかを考えることだと思う。 甘さは、一見すると優しく見える。 その場の空気は悪くならないし、相手も傷つかないように見える。 しかし、先送りにされたものは消えない。 発声であれば、無理な使い方が癖になるかもしれないし、演技であれば、相手を受け取らないまま自分の反応だけを繰り返す癖が強くなるかもしれない。 私は、優しさとは、相手に不快な思いをさせないことだけではないと思っている。 その人の可能性を見捨てず、その場しのぎの穏やかさで済ませず、伝えるべき時には言葉を選んで伝えること。 優しさの名前で甘さを正当化してしまうと、結局は人も作品も育たなくなるのではないだろうか。
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上げる前髪がない場合は?🤣
最近はデコ出した方がいいよ!と言われる事が多く、日々前髪を上げるようにしている民。 どのワックスを使うかには悩みがある。