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森晶麿 Akimaro Mori
@millionmaro
小説家、虚構家。変格ミステリ作家クラブ会員。note:
参加 October 2009
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さあ土曜日の午前をいかがお過ごしですか? 今日は少し「作家の5年生存率を上げるには」というテーマで話してみたいと思います。これにはいろんな問題が絡まっています。いちがいに言えない。だから今日はその中で作家と編集の意識の部分だけ、その中で「作家読み」というキーワードから語っていきましょう。 作家の多くは「作家読み」されることを前提としている。実際、版元からも「デビューから3作は同傾向の作品を」と言われる人が多いだろう。 理由は新人賞をとった場合、新人賞の冠によって集まったお客さんが最初のお客になるから。で、次に決まって購入するのもその層になるし帯には当然「受賞後第1作」と書かれる。 3作目は帯で「受賞後2作目」とは謳われないのだが、だからこそよけいに安定感が必要なため1,2作を踏襲(1,2作が売れてる場合)してねという話になる。 ただ、安定して1,2,3が売れる、なんていうのは業界でいうと一握り。とくに受賞作がそこまで跳ねなかった場合、編集も作家も苦心するのは、受賞作という「点」の全体をそこまで信じ切れなくなるところではないか。 売れなかったということはこの「点」にはいいところもあるがすべてがいいわけではないのだ、と(自分はそこには異論があるけれどね)。そうなると、そこから次の「点」をどこに打てばいいのか分からなくなる。 編集も作家も「作家性」という「線」の方程式をどう作ればいいのか分からなくなるのだ。自分は思うのだが、商業的に失敗した時点で、もう「商業としての作家性」なんてものは考えなくていいのじゃないだろうか。 たとえば『絞殺と考察のシニフィエ』みたいな作品でデビューしたとして、次作が『ぴょん子はケロ太のモラハラを訴えます』でも全然かまわないんですよ。だって『絞殺~』売れなかったんだから。 もちろん『絞殺』を喜んでくれた人はびっくりするでしょうが、一握りなんですよ。その人たちが10倍存在したら『ぴょん子』にする必要なんてなかったわけで。 ところが作家も編集も作家性にこだわるうちに双方次の「点」をどこに置けばいいかわからなくなる。もちろん何でもいいわけではない。でも、早い話「多くの人が手にとりたくなる〈点〉」でありさえすればいい。 そういった〈点〉のいくつかの候補をつくり、作家が「これなら書ける」というラインを探ればいい。その結果、一作目との乖離がはなはだしいということもあるだろう。そのことが不安にもなるかもしれないが、「書ける」のならば安心して書いたらいいのじゃないかと思う。 なぜかというと、本を買う人の中で作家名を気にして手に取る人は、それほど多数派ではないから。早い話、毎回毎回まったく違ったものを書いたってかまわない。 無意識のうちに「作家買い」されることを想定しているのだが、もちろん順調に売れていればそれができるわけだが、売れてないのに「作家買い」を想定して懸命に頭を悩ませても仕方ないじゃないですか。 それよりも人が手にとりたくなるものは何か。また、レーベルから出す場合は、「そのレーベルの読者が手に取りたくなるものは何か」を知っておく必要もあります。あまりオリジナリティに走ってもお客のいないところに料理を届けるようなことにもなりかねない。 だから「いま売れる題材って何なんでしょうね?」とか、そういうダサい話題を二人で考えながら書店めぐりでもしたほうが、たぶん打開策にはなると思うんですよ。作家性を放棄して、何が売れるんだろうって考えるなんてダサいよね。でもいいんですよそれで。 世の中いまは「ブランディング構築が成功の鍵」とよく言われるけれど、それって一握りの成功者たちが打ち立てた方程式でしかない。そのやり方を踏襲しても作家生存率はしょうじき上がりません。 それと、もしもその作家に本当に作家性があるのならば、どれほどギャップの激しいものを書いていっても、生き残るうちにおのずとカラーはできてくるはずです。それこそが「作家性」になるんじゃないでしょうか。それはいま世間が信じているブランディングとか作家性とはあまりにかけ離れて見えるかもしれませんが。 そういうことが気になるときはスガシカオがいいことを言っていますよ。「ずっと探していた理想の自分てもうちょっとかっこよかったけど、ぼくが歩いて来た日々と道のりをほんとはジブンていうらしい」 つまりまあ結論としては、スガシカオっていいよね、という話です。自分のフェイバリットは「からっぽ」ですね。日本のキング・オブ・ファンク。ファンキーな土曜日をお過ごしください。ではでは。
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