加えて述べるに、高市首相が言っているのは「猶子」のことで、「養子」とは異なります。ですので「32親等」離れた「養子」の前例が明治期にあるというお答えは不適切です。宮内庁の回答が何を指すのか不明なのですが、明治時代に天皇の「猶子」となったのは4例あると思います。
▽閑院宮戴仁親王 明治11(1878)年8月
▽有栖川宮威仁親王 明治11(1878)年8月
▽華頂宮博厚親王 明治16(1883)年2月
▽小松宮依仁親王(のち東伏見宮)明治19(1886)年5月
いずれも、もともと皇族(皇親)だった人物が、ある宮家を継承するとき、親王となるために(親王宣下)、天皇と「猶子」関係を結んでいます。天皇と実際的な「養子」関係となったわけではありません。
「猶子」は、家督や財産などの相続・継承を目的としない点が「養子」とは異なります。「養子」と比べて、擬制的な側面が大きいといえます。分かりやすく言と、「親子の契り」を名目上結んで、身位を上昇させる(王⇒親王)ということで、天皇本家の相続、親族関係には関係しません。ですので、どんなに親等が離れていようが重要ではありません。
そして、辻元議員が述べるように、これは明治典範改正前の出来事で、典範制定後はこうしたことも禁じられています。
史実を、自分の政治的立場に合わせて都合よく解釈するのは、「日本会議」系の〝研究者〟の傾向で、それの受け売りで述べているとしか考えられません。歴史の切り取りは、首相答弁として極めて不適切だと考えます。#
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