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日居月諸
@muselmann1942
本を読むのは嫌いですが、本を読んでいます。「ハイライト」タブに本の感想をまとめています。noteでいろいろ書いています。最新記事→
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池田浩士『ボランティアとファシズム』を読んだ。災害が起こると、被災地に積極的に向かうボランティアがいる。人々を自発的に助ける行為は決して悪いことではない。だが、その自発性(voluntary)はファシズムにとって都合の良いものでもある――本書はこうした暗い事実を、大日本帝国とナチスがいかに人々に自発的な行動を促したか、という歴史をたどりながら跡付けている。  日本において「ボランティア」が一般的になったのは1995年の阪神淡路大震災以降とされる。実際、この震災では多くのボランティアが被災地にかけつけ救護活動を行った。ゆえに同年は「ボランティア元年」とも呼ばれる。しかし、それ以前に1923年の関東大震災の際に今日でいうところの「ボランティア」が積極的に活動していた、と著者は指摘する。  本書はその中から、東京帝国大学の学生たちが立ちあげた「学生救護団」に着目している。震災の救護活動に従事する中で、学生たちは単に緊急事態に活動を行うだけでなく、平時の社会問題にも取り組む必要がある、という意識が芽生えた。結果、イギリスに範を得た「東京帝国大学セツルメント」が発足された。  セツルメントの活動の幅は広く、医療はもちろんのこと、法律相談や消費組合、託児所など、それぞれの学生が自らの専門で学んだ知見を活かしながら自発的に困窮した人々を助けていた。しかし、セツルメントの社会的貢献度が大きくなるにつれて、当局に目を付けられるようになる。特にOBのなかには武田麟太郎や林房雄のようにプロレタリア文学活動に参加する「左翼運動にはしるもの」も多かったため、最終的にセツルメントは強制的に解散させられた。  しかし、当局は産湯とともに赤子を流すような真似はしなかった。セツルメントは脅威になりうるが、一方で人々の自発性自体は捨てるべきではない。それを国家の運営に役立つ形で活かす、つまり、自発性を「制度化」する方針を政府は採った。  セツルメントの原語はsettlementで、この言葉には「入植」や「植民」という意味が含まれている。日本政府は人々の自発性を、満州という入植者植民地主義のプロジェクトに活かすことにした。満州に多くの人々を移民させた目的の一つに、食糧増産がある。世界大恐慌以降、日本の農業は壊滅的な状態に陥っていた。そこで、人々に自発的な農作業を促し、満州を食糧生産工場とすることを目論んだ。  今から見ると、こんな半ば強制的なプロジェクトに人々がついてくるのだろうか、と思えるところだが、当時の人々は本当に自発的に満州に行き、そこで各々の事業に勤しんでいたようだ。自分の仕事が日本のためになる――そんな「やりがい」が入植者たちを駆りたてていた。  いうまでもなく、彼らが植民した土地には、元々住んでいた人々がいた。日本は満州の農民からはした金で土地を買い取り、彼らを追い出すか、小作人に貶めた。移住してきた日本人はこうした事態に疚しさを感じなかったのか、と思うところだが、そんなこととはつゆ知らず、彼らは満州の人々のことなど気にせずに働いていた。国のために自分は働いているという善意が、収奪を不可視化した。  本書ではこんなエピソードも紹介されている。満州では「共産匪」と呼ばれたレジスタンスがあの手この手で抵抗を繰り広げていた。それに手を焼いた当局は、日本人に「自警」を促すだけでなく、現地の中国人も内通者として参加させることにした。少なからぬ人々が「自発的」に日本に協力した。  ある中国人少年は、鉄道の破壊を目論むレジスタンスの会話を盗み聞き、それを日本側に教える役目を担っていた。その途中で、レジスタンスが村を襲う計画も立てていると判明した。少年は父と共に村に急行するが、そのさなかにレジスタンスと遭遇し、父は殺されてしまう。日本の警備隊がレジスタンスを壊滅させたのち、少年は悲嘆にくれつつ、「『父は正しい道に死んでいきました』と、けなげにも誰にいふともなく語つた」。  少年が本当に「自発的」に日本に協力したかは不明である。しかしながら、ファシズムは「自発性」を巧妙に利用する、ということを理解するには十分な話だろう。我々はファシズムというと、強制的に人々を服従させる政体を思い浮かべる。しかしながら、本書で描かれる大日本帝国や第三帝国の実態を見てみると、実は権力者たちが人々に「自発的」な行動を促そうと腐心していたことが分かる。  むろん、最初にも述べたとおりボランティア自体は悪いことではない。善意でもって困っている人々を助ける――それは社会的動物としての人間の本能的な行動でもある。しかし、権力はそうした人々の本能を巧妙に利用しようとする。強制しても簡単に人間は服従しない、ならば自発的に動かすよう唆せばいい……そのようにして権力は人々の行動を国益につなげようとする。ボランティアをするにあたっては、それを権力に利用されないよう、緊張関係を保つ必要がある。
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このニュースはいくつかの文脈を踏まえながら読む必要がある。モロッコは過去に何度も自国民を「移民」としてセウタに送り込んでいる。そうすることでスペインに混乱をもたらし、外交カードにするのが狙いだ。今回の件が意図的なものなのかは不明(モロッコも現状否定している)だが、その可能性は排除しがたい。 2021年にもセウタに一万人近い人々が押し寄せたことがあった。これはスペインが、モロッコと敵対するポリサリオ戦線の指導者を治療のために受け入れたのが原因だ。モロッコは意図的に国境警備を緩め、セウタを混乱に陥れた。これは最終的に、2022年にスペインがモロッコの西サハラ自治計画を承認するという結果にまで至った。このように、モロッコは国境管理を外交戦略に組み込んでいるのだ。 では、もし今回もモロッコが意図的に同様の戦略をとっていたとしたら、その動機は何か? スペイン首相ペドロ・サンチェスは最近アルジェリアを訪問した。西サハラ問題に絡んで、2022年以降両国の関係は悪化していたが、改めて関係を構築し直そうとしている。面白くないのはモロッコだ。モロッコはアルジェリアと2021年以来断交している。スペインにとってのアルジェリアの存在感が高まれば、相対的にモロッコの存在感は薄まる。 仮に今回の流入が意図的なものでなかったにせよ、押さえておくべきなのは、こうした移民は政治の失敗によって生み出されているものだということだ。モロッコは表層的には経済成長を続けているが、若年層の失業率は高い。雇用機会を得られなかった結果、モロッコを離れて他の国に移る人々も多い。地域格差や、貧富の差も著しい。 移民に宥和的なスペインの現政権に批判的な極右は「そら見たことか!」と一斉に非難し始めているが、そもそもの原因を作っているのはモロッコの方だ。外交カードとして使われているにせよ、経済的な原因でもって移住を迫られているにせよ、モロッコの人々は棄民に近い存在としてセウタに行かざるを得ないのである。
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ヨーロッパを襲った酷暑に対して「エアコンの導入を怠っている国はこれだから」と嗤っていた国が、震災にあたって避難所となりうる体育館のエアコン設置は怠っていたというのは実に皮肉というほかない。
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ハンナ・アーレントはアドルフ・アイヒマンについて、常に同じ決まり文句や、型にはまったクリシェを繰り返すばかりで、他の人の立場になって考える能力が欠如している、と評した。炎天下を避けるために日陰で休んでいる人に対し杓子定規に、コーンのなかに戻れ、と命じる警察官にもまた、同じ評言が当てはまるだろう。 便利な決まり文句やクリシェは、アイヒマンを目の前の現実から守る防衛機構となり、状況を考える力を失わせていった、とアーレントは言う。この警察官もまた、決まり文句やクリシェに頼る場面を何度も経験した結果、思考力を失ってしまったからこそ、このような行動に至ったのだろう。
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