村上春樹『夏帆』読了
この作品を読み終えたあと、村上春樹は「物語そのものを読者に批評させる小説」を書こうとしたのではないか、という考えが頭から離れなかった。
「善き物語には、必ず何かしらの有用性が含まれている」
登場人物から何度か印象的に語られる、ヴァルター・ベンヤミンのこの一節を中核に置くことで、この淡い夢のような美しい作品がまた違った輪郭を見せはじめる。
モチーフ同士が接続されすぎず、かつ多用されていることで、ややコラージュ感が強い。
そのため、読者はこの物語の解釈のため、象徴の柱を繋ぐ梁を補いながら読み解きを進めることになる。
一つの物語を完結させるよりも、配置された象徴や引用そのものを鑑賞対象とする点で、本作は現代アートのインスタレーションに近いのかもしれない。
※以下重要なネタバレを含みます。また、特殊なファンタジー観のある作品のため、未読の方は困惑されるかもしれません※
一見、「無益」な展開が延々と続き、しかも多くが「収束」しないーー
わたしはこの作品に、「産む存在」としての「母性」への三重写しの侵食を見た。
第一に、クライマックスシーンの「母殺し」(実際は母に取り憑いた「シロアリの女王」を「とくべつな包丁」で刺すのだが)。
第二に、物語を産む「母」として主人公の絵本作家を描き、その変容を描いた点。
第三に、「物語」を産む作者もまた、読者に意味を与える母のような存在であることに着目することで、物語は有益である、有用性を持つというベンヤミンの言葉へのアンチテーゼともなりうる点。
この、あえて閉じないような構造はどう解釈すればいいだろう?
そう立ち止まって考えたくなる箇所がいくつもあった。
たとえば、作中で登場する象徴の配置について。
ありくい、シロアリの女王、ジャガーとブラジルのジャングルの住人が並ぶところに、急に「守護天使」が登場する。
ブラジル神話的な動物群像の中へ突然キリスト教的な「守護天使」が現れるため、個人的には象徴体系が一瞬途切れたように感じられた。
また、主題となる「母殺し」を中核に添えているものの、母親の存在自体がやや唐突に現れ始める印象がある。
その結果、最初、どこかわたしにはこの作品が増築を重ねた家屋のトタン屋根のようにも映ってしまった。
そこで、もしもわたしがこの作品に手を加えるとしたならば、どう改稿するだろうか?と考えてみた。
まず、主題をより深く響かせることを意識して、「産む者」としての主人公の描き方を厚くするだろう。絵本作家の葛藤を冒頭早めの段階から入れ込む。
神話体系をより統一するなら、「守護天使」というキリスト教的記号ではなく、ブラジルの精霊信仰に属する存在へ置き換えることも考えた。
そこで、はっと気づいた。
この解釈の余白こそが、この作品の設計そのものなのかもしれない。
刊行直後から、SNSでは彼の過去作品の文脈を参照しながら、丁寧に作品を読み解いていく投稿が昼夜流れてきた。
そのたびに、読者たちの真摯な批評姿勢と、美しい日本語の綴り、そして繊細な感性に驚嘆してしまった。
そう考えると、本作の「あえて閉じない構造」が別の輪郭を帯びはじめてきた気がした。
彼の世界観に魅せられ、ブラジルのジャングルに迷い込んだ読者たち。
対話型かつ批評姿勢のある読者コミュニティを抱えていること自体が村上春樹という稀有な才能のひとつの証明になるかもしれない。
ひとりの作家を巡るコミュニティとして、あまりに理想的すぎる。
熱帯のジャングルには、時折、境界を揺らす幻が立ちのぼる。
容赦ない灼熱の日差しが見せる陽炎、あるいは遠くの輪郭を溶かす雨上がりの薄霧。
道に迷い、途方に暮れたとき、ふとわたしたちは説明のつかない何かに魅了されることがある。
そんな村上春樹の世界観が、そして彼を愛してやまない人たちの繊細な読み解きや言葉の綴り方が、心から好きだ。
願わくば、この広大なジャングルへ密かに棲みついてしまいたい。
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