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奢られ屋の日記
@proogo
奢られ屋10年目。女子校生から政治家、占い師に医者、大道芸人にVtuber、プロゲーマーに格闘家まで、あらゆる人々に奢られて暮らしています。@taichinakaj の人気ポストを再投稿する本人管理bot。奢りの依頼は本垢にどうぞ。
参加 July 2021
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「バリキャリやめて、結婚・出産した。」 「仕事より、子育てのほうが数倍ラク。」 「子育てには責任がない。謝れば済む。」 わたしに奢りにくるたびに、なぜか生まれたての『違う赤ん坊』を連れてくる、大阪の常連だ。 彼女は、彼女が大学生の頃からの古参フォロワーで、わたしのことを遠目に観察しながら、バリキャリの道へと進んだ。よく働いた。 彼女が当時、進学した高校はいわゆる""進学校""で、その友人たちは皆、わかりやすく言えば「結婚なんて」という価値観だった。 女も、男に頼らず生きていくんだ。経済的合理性。未来を見据えたキャリア・アップ。手に職を。 そして彼女もまた、まさか自分が20代のうちに結婚をし、こどもを複数人産んで育てているなんて、いちども考えなかった。 その後、SNSに現れた「不快な浮浪者」の発言(いまあなたも見ている、まさにこれ)を見ているうちに、結婚や子育ての現実的、妥協案的、あるいは合理的システムについて考えるようになる。 わたしが本当にしたかったことは、なんだろう? 高収入?キャリア? なんのため? 不自由なく生きるため? 男に抑圧されず自由に生きるため? しかし、そう考えることこそが、まさに抑圧的なのでは? わたしは、自由になろうと、させられているのでは? 彼女はひどく潔く、イノセントだったので、「若いうちにこどもを作り、たまにおいしい酒を飲んで、ぬくぬく家族と生きてたら幸せじゃね?」となった。兄弟の多い育ちが功を奏して、その想像は容易かった。あっけなく、答えは出せた。 そうして実際、驚くほどに潔く、すばやく結婚をし、子を産み、初めてわたしに奢りにやってきた。「結婚してよかった、こども産んでよかった!」と、いつも話す。 とんでもない事後報告である。知らんやつが知らんうちに知らん影響を受けて知らんことして知らん報告をしてきたわけである。 彼女に、ふたたび大阪で再会した。ふたたび、ちいさな赤子を抱えている。こないだ会った男の子は、もう2歳になったそうだ。 「寝てるね」 「はい、ラクなもんです。家事をして子をみるだけで生活ができる。より過ごしやすくするには、まわりに、家族やご近所に愛想良く振る舞っておけばいい。協力してもらえる。そういう意味では、仕事より、子育てのほうが数倍ラクですよ。わたしにとっては。」 「へぇ。具体的に、どんなとこが辛いの?」 「子育てには責任がない。」 「いやいや、さすがに、子育てにも責任あるやろ」 と笑いながら突っ込むと、 「いやいや、こどもなんて、基本わたしのことクソ好きなニコニコ上司ですよ。オムツ替えるのがちょっと遅れちゃっても、謝れば終わり。」 「ごめんね、きょうのご飯は唐揚げだよ、と言う。」 「そうです」 「でもね、仕事はそうはいかない。関係者各位にいくら頭をさげても、取り返しのつかない失態がたくさんある。そこらじゅうにです。わたしの子供は、そうですね。死ななければいい。」 と彼女は言った。 「子育ては、めちゃくちゃラクだし、めちゃくちゃ楽しいです。ツイッターには正反対の意見ばかりで、「結婚最高!」「子供最高!」なんて書いたら炎上しちゃいそうで、絶対に書けないですけどね。」 「ほんとうに幸福なひとは、幸福の瞬間にツイッターを開かない。」 「プロ奢が、ずっと人生なんてくだらない、くだらないことは自分勝手に楽しむしかない、ということを言っていて、良い意味で絶望できた。だからこどもを産めました。ありがとう」 「そっか。なんか感謝されてるのか、恨まれてるのか分かんないけど、それはよかったね。」 「うん!もうひとり、産んじゃおうかな!」 「じゃあ、また新しい成果物ができたら会いましょう。」 「いいですね、成果物!」 そういう勢いで、大阪の大きな商業ビルのカフェのエスカレーター前で別れた。まさに、それは「そういう勢い」と表現するのが相応しくて、ふたたび会うときにも、きっと「そういう勢い」でやってきて、「そういう勢い」で別れるのだろう、と思う。 ややこしいことを考えるとキリがない。というか、かろうじて考えることはできても、すっきりとした答えが出ない問題で、世界は覆われている。 こどもは幸せになるのだろうか?わたしはこどもを生むべきだろうか?そんなもの、だれにも分からない。分かる必要がない。 ただやったり、やらなかったりすればいい。しかし、やってみたほうが考えるヒントは増える。それだけのことなのだろう。 他者を人としてリスペクトする姿勢というものは、つまり、勝手にやれ、と言い切ることなのかもしれない。 生まれたな、じゃあ、あとは勝手にやれ。幸せになれ、不幸せになれ、自由になれ、不自由になれ。なんてひどいことだろう。 でも、なんてすてきなことでもあるんだろう。信頼の香りがする。 出産、それは、あまりに暴力的で、昨今の厳しいコンプライアンスに抵触しうる、極めて反社会的な行動にすら思える。でも、より正しいのはどっちだろう? いや、そう考えても分からない。だから、こう考える。よりくだらないのはどっちだろう?好きな方を選ぶしかない。信じた先で転んでも、タダでは起き上がらない、そう信じられるような道を、じぶんで選びとるしかない。
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