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考えるネコ
@qaij_
『生きづらさ』を構造から紐解くネコのアカウントです 中の人は哲学・心理学を学び、結構ハードな仕事を経験 安易な肯定 / 否定をせず、冷静かつ丁寧に
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モラハラのお手本のような事例で非常に良い問題提起であるように思いました まず、この手の人に本当に「モラル」があることはまずありません 正しさ、誠実さ、理由、こういった概念を格好の言い訳に使っているだけで、根本は『自分の要求が通るか』しか考えられていないのです モラハラの原因は2つあります 1点目は、『自分の正しさ』を最優先するマインドが根底にあることです そもそも自分は正しいという自認があり、相手がその正しさと異なる選択をした場合、良くないことをしたのだからまずその非を説明するべきだ、という(無意識の)懲罰意欲が湧くんですね 話し合いたいと口では言うものの、本当に話し合おうとは思いきれていないのです バンデューラという心理学者は『道徳的正当化』という人間の深層心理があると指摘しており、 人間は無意識に「これは価値がある / 正しい行いである」と、自分の行動を勝手に良い方向に再解釈し、罪悪感を抱かずに良くない行動をとってしまう生き物なんですね 例えば、本当は相手を「詰めている」のに「話し合う」だと思い込む、「監視する」を「心配する」、「従わせる」を「教える、躾ける」だと思い込んでしまいます 大前提、自分が正しかったとしてもそれを理由に人を責めるべきではありません 人間は「正義」や「正しさ」を盾にした際に最も強い加害性を持つ生き物です むしろ自分が正しい時ほど、相手を追い詰めないように言葉選びや態度に細心の注意を払うべきなんですね モラハラが起こる理由の2点目は、『不確実性への耐性(ネガティブ・ケイパビリティ)が低い』ことです パッと答えが出ない状況で、すぐに結論を急がず、その不安や不確実さにとどまり続ける耐久力のことですが、 この能力が低いと、相手が今抱いている複雑かつ矛盾を孕んだ感情や態度を慮ることもできないので、自分が欲しい正解を相手に出させようとしてしまいます 本人は「正しい説明なら納得する」と言いますし、本院は本心から言っているのだと思いますが、 返ってきた答えが論理的で妥当なものかを精査する能力は本人には無いため、結局のところ自分の欲しい回答に沿っているかどうかでしか判断できません 想像と違う回答が来て納得することはなく、また次の追及を始めてしまいまうんですね そもそもですが、相手に対して答えを追及するやり取り自体が「話し合い」ではありません 話し合いはあくまでディスカッションであるべきで、ディベートや裁判であってはいけないんですね 結局のところ、本人は自分のことを冷静で論理的に判断していると思っているものの、 実態は非常に感情的で、モラルや論理性が無いと他者から評価されています 最期には「もう変わらないな」と呆れられ、理由も教えてもらえず周囲から人が離れていってしまいます ただ、こうやって自分の側の問題として気づけたということ自体はとても重要で大切な一歩だと思います 私は昔こういう人間でしたし、今でも(特に自分に余裕の無い瞬間に)過去の自分が出てこないか常に意識しています 「もしかしたら自分は結構わがままな人間で、そのわがままを通すために理屈や言葉を組み合わせているのかもしれない」 こう思った瞬間から少しずつ変わることができます 過去の自分への戒めもこめて強い口調で書いてしまいましたが、このような性格で人間関係が悪化するのは勿体無いことだと思います ぜひ諦めないで正しい知識をつけて欲しいです
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非常に難しい、心が痛くなる話です 「一回実家に帰ってゆっくりしてきなよ」 「家族に相談すべきじゃない?」 最近はこういった類の話は少しだけセンシティブに扱われるようになりましたが、いまだによく見かける表現です 機能不全家族、親子関係にトラウマを持つ人たちはかなり多いのですが、 一般論として「実家は帰る場所であり、家族は癒しである」と思われています 実家が擦り減った自分の充電場所となるか、緊張を覚える警戒区域となるか、同じ「実家」という言葉でも真逆の意味を持っているんですね そして悲しいことに、機能不全家族で育った人がこういう場面において自分の気持ちを赤裸々に語るのは非常に難しいことです、だって相手がそう思っているのは幸せなことだし、本来それがあるべきだから そういう物言いは良くないと伝えれば伝えるほど、自分をより惨めにする 家族の話に限ったことではないですが、我々は常に自分の何気ない言葉が相手を傷つけるものでないか慎重になる必要があります
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日本には機能不全家族が多いから、家族を癒しととらえられない人が多そう
仰る通りです インターネットでしか議論に触れていないとフェミニズムを「男性vs女性」と捉えてしまうかもしれませんが、全然違います 男性か女性か、どっちが勝ちか、どっちが偉いかを決める議論では全くなく、『男女(性別)という属性によって勝ち負けが生まれてきてしまった歪んだ構造を解いていこう』という運動なのです 根本は「男性vs女性」ではなく「男性社会維持派 vs 解体派」という軸であり、ここを見誤ると大切な論点を見失います 現状の男性中心の社会の構造の中で、得をしている人 / 苦しめられている人に分けるとした場合、男性女性どちらであってもこの層は存在します 男性社会の中でむしろ活躍してきた女性は自ずと維持派になるはずですし、 逆に「男なら~~」という言説にうんざりしてきた人、重圧に潰された人であれば男性であっても解体派となってもしかるべきなんです 「女性の真の敵は女性」「チン騎士」みたいな言説はちゃんちゃらおかしいんですね
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フェミニズムって、「男 vs 女」じゃないんだよ。 「男社会を維持したい人 vs 男社会から脱却したい人」の闘争なんだ。 だから男でもフェミニストになれるし、女でも男社会を擁護する側になりうる。 性別の対立として捉えると、本質を見誤る。
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TPS視点とかRTS視点って呼んでるやつ。  生まれたばかりのヒューマンはFPS(主観)視点であると仮定し、こういう他者目線の視点は社会の中で徐々に獲得することもできるだろうけど「死にそうな目に合う」ことで、それ以外の視点を検討する突破口が無理やり開かれるのではないだろうかと考えてます。
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心理学には『PTG(心的外傷後成長)』という概念があります つらい出来事を経験した後、精神的にもがき苦しんでいく過程を経て、以前よりも人間的に大きく成長する、というポジティブな心理変容のことです これはつらい境遇を経験した人なら全員そうなるわけではなく、「あの経験は何だったのか」と自分から意味を探し続ける、問い続ける中で生まれてくるもので、 自分が感じた痛みを他者に対する優しさ / 慈しみに変えてゆくことができます もちろんトラウマ体験そのものは無い方が望ましいです しかし、起こってしまった現実と向き合い、安全な関係性の中で自己開示をしたり、自問自答したりすることで、その体験を少しでもマシなものにできるのであればその方が良いように思います
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「つらい経験をした人は優しくなれる」という言葉、半分は違うと思っている。 痛みそのものに、人を優しくする力なんてない。 傷ついた人が「自分もされたんだから」と他人を傷つけることもあるし、疑い深くなることも、冷たくなることもある。むしろそれは、人間としてかなり自然な反応だと思う。 だから、つらい経験をしたのに優しい人を見ると、その人の過去ではなく、その後にしてきた無数の選択を想像する。 「自分がされたから、他人にもしていい」ではなく、 「自分がされたから、他人にはしない」を選んできた。 裏切られたから疑う、ではなく、 裏切られる可能性を知った上で、それでも信じる余地を残してきた。 自分の痛みを、他人を傷つけるための免罪符にしなかった。 たぶん「痛みを引き受ける」って、そういうことなんだと思う。 過去を許すことでも、傷が消えることでもない。 自分が受けた傷を、自分のところで食い止めること。 考えてみれば、優しさって「傷ついたことがない人の無邪気さ」より、「人は残酷になれる」と知った人が、それでも残酷にならないと決め続けることの方に、より強く現れるのかもしれない。 だから本当に優しい人の優しさには、ときどき妙な重みがある。 世界を美しいと信じているから優しいんじゃない。 世界がそれほど美しくないことを知ったあとで、それでも自分まで世界を醜くする側には回らないと決めているから、優しいんだと思う。
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人間関係が楽になる方法は「自分で変えられないことは手放すこと」だとつくづく思います 一度話したのに全然伝わってなければ「あぁわかってくれないっぽいな」で終わらせて全然良いし、 もし自分に心の余裕があるなら「この人にはどうすれば伝わるんだろう」を考えれば良いし、 何度かトライしてやっぱりダメなら「まぁそういう人もいるか」で諦めて良い どれだけ頑張っても変わらない他者はいます どうしようもならない他者のために必要以上に磨耗するのは勿体無いですね
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人間関係で一番ラクなのは「分かってもらうこと」を諦めることです。人は結局、自分の経験と価値観を通してしか他人を見られない。こっちが100回説明しても、相手は相手の人生のフィルターで見る。だから誤解されたら「まあ、そう見えたんでしょう」でいい。自分の人生まで、他人の理解度に合わせて編集しなくていいんですよね。
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『正義の反対は別の正義』 これは一見本質的な指摘に聞こえますが、本当にそうであるかはその主張する『正義』ごとに慎重に判断する必要がありますし、 実際に世界で起こっている戦争を見渡してみると全然そうではないと言わざるを得ません 「どっちにも理屈はあるよね」「だから戦争は避けられなくて、起こってしまうものだよね」 現実の諸問題が0か100か、白か黒か、マルかバツの二元論で語りきれないことは私が日々主張していることですが、 一方で、複雑であることは認めるものの、「一概には語りきれない」と議論を放棄するのは二元論と同じくらい雑な議論です どっちもどっちで終わらせてしまうと、そこから先はルールや論理では決着がつかないという話になり、そうすれば最終的にその争いに勝った方が正しい、という結論になってしまいます 「勝てば官軍」とは言いますが、果たしてそれが正義であるのならば、侵略も虐殺も致し方ないことになってします、本当にそうでしょうか 「どちらにも言い分がある」こと自体はその通りですが、言い分があることと、実際に行われた行為の正当性や正しさについては別の話です 正義は確かに慎重に考え、慎重に語る必要があります しかし「どっちも言い分があるよね、仕方ないよね」と片付けることは、一見中立に見えて実際は議論を放棄しただけの雑な態度であると思います
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こういう反応来ると思ったけど、赤根所長の言う「正義」はそんな浅いニヒリズムで相対化できるようなもんじゃないんですよ。 「正義の反対は別の正義」という一見もっともらしい理屈は、国際社会の法秩序に持ち込んだら、力のある大国が好き勝手することを認める免罪符に成り下がるんです。
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『障がいの中でも序列がある』強く同意します 障がいに理解のある人同士であっても、むしろ理解があるからこそ、「ウチの子はまだ軽いから」「知的じゃなくて良かった」といった障がいによる序列を持ち出すことがあります 『障害の序列化』と呼ばれますが、 社会的な受容や福祉政策において、「身体障害 > 知的障害 > 精神障害・発達障害」という、障害の種別による心理的 / 制度的なヒエラルキーが存在することが指摘されています 非常に残酷なことですが、「見栄えが良い / 悪い」「就労しやすい / しにくい」といった基準で、無意識に障害が序列化される傾向があるんですね 人間は無意識に「自分が一番不幸せではない」もしくは「自分が一番不幸だ」と思い込みたい生き物でもあるので、この序列が生まれるのは必然であるとも言えます 障がい者家族は本当に大変です 心の逃げ場所を求めたくなる気持ちは本当にわかりますが、それを口にだす寸前に一歩留まれる、自分が序列化したうちの一番下の人に同じことを言えるのか、顧みれる人が増えて欲しいと切に願います
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残念ながら障害者(親)同士の差別はある 障害者センターで知り合った肢体不自由児ママさんからは 「うちの子は知的は無いから一緒にしないで」て言われた 聴覚障害が判りショックを受けてるママさんに 「知的障害より全然いいでしょ」 てなぐさめてる人もいた 知的障害者はバカにされ嫌われるのよね
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「自分のことを『性格が良い』と思っており、良かれと思って人を加害しまくる」 こういう人が私の親類にもいますが、実際に向き合うのには非常に体力と神経を使い果たしますよね、、、 根本の原因は『相手の立場に立つ』視点が致命的に欠けていることなんですよね 本人が言いたいことを言うだけで、相手がどう思うかは気にしない 言った後の責任ももちろん取らないが、良い方向に行ったら自分の手柄だと自慢する もし相手がその場で言い返してきたら強烈に被害者意識を覚え、あんなことまでしてあげたのにと攻撃に転じる 行動パターンは不思議なまでに共通します 悲しいことに大人になってからはこういう人は社会からは見捨てられてしまいます この歳になってそれだったらもう何を言っても変わらないだろうと、放っておかれるんですね しかし立場が上であったり家族であれば逃げることはできない爆弾のような存在でもあります 自分の善意が本当に善意だったかどうかを決められるのは自分ではなく、それを受け取った相手だけなんですね
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「性格が悪い」より厄介なのは、自分を「性格がいい」と信じ切ってる性格の悪い人。悪意がある人はまだ自覚できるけど、善意だと思って他人を傷つける人は反省しない。だって本人の中では、傷つけたことまで「あなたのために言った」で美談になってるから。
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努力しても、してもしたように見えないって何時も言われる自分でやってみてダメだったから聞いたりしてるのにね… 要領が悪いのか… 要領がいい人は誰かがしてくれるって立ち回るんだよね… 本当に私はどれだけやれば努力しても限界だったんだねって言われるのか… マジでそんなコト言う奴は縁切りたいわ こちらが精神病むだけ…
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志々雄真実が剣心に言った、 「テメェのものさしで測るんじゃねェ!」 ってのがよくわかる。 背景考慮だいじ
ASDの"良い側面"として『正義感の強さ』、"良くない側面"として『融通の効かなさ』が語られるシーンを良く見かけますが、これは同じ特性の2側面であるように思います 心理学には「認知的柔軟性」という働きがあります 状況に応じて自分の思考 / 行動を柔軟に切り替える能力のことですが、ASDはこれが利きにくいとされています そのため、同一法則 / 手順へのこだわりを持ち、小さな変化に対して苦痛を覚えるんですね ASDの判断基準に「正義感が強い」という項目はないものの、正義は基本的にそれが正論であるが故に他者にも通用"しやすい"概念であるため、状況に応じて対応が変わることが苦手という特性と相性が良いのです 念の為補足しますが、私はこの傾向を貶したいわけでも褒めたいわけでもありません ASDの人が遭遇する生きづらさに対して当事者以外の人が理解を深める、その上で当事者がその特性と向き合いつつよりストレスなく生きていけるように一緒に方法を探す、という方向に向いて欲しいと思います
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SNS上で、車椅子の方が「エレベーターを使いたい」「どの駅でも乗り降りしたい」と声を上げるだけで、図々しい要求として扱われ攻撃される場面はよく見かけますよね しかし冷静に考えてみると、健常者であっても全く同じ社会リソースの恩恵を毎日当たり前のように受けています エレベーター / 整備された歩道 / どこにでも停まる電車、障がい者に向けて"必要以上"に便利に作られている設備は多く存在しており、 健常者障がい者に関わらず万人が当たり前のように使えるようになっていますが、健常者側が誰かに許可を得てそれを使う状況はありません 何かに対して「当然のものとして要求する態度」は我々健常者が(多数派であるが故に)標準搭載しているものなのですが(それは一般消費者のニーズという形をしています)、 障がい者が同じことをした際は稀有であるため「要求」として眼に見える形となるんですね 身体が健康なうち、不健康を経済面でカバーできるうちは、自身がどれだけ社会の下支えを受けているか実感する機会がありません しかし、誰もが老い / 病気 / 怪我、なんなら日々の疲れによって必ず恩恵を受けるものです 社会リソースを善意で「恵んであげる」立場にいるつもりの人も、実際には生まれた時からずっと受け取る側にいるのだということを是非認識して欲しいと思います
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うつ病を単なる『気分がひどく落ち込んでいる状態』だと思っている人は本当に多いです 他人ならまだしも、一緒に暮らす家族ですらこの認識の人はかなり多いですし、せめて名前だけでも変えてほしいと常々思っています 精神病において過去に病名が変わった事例はあり、現在「統合失調症」と呼ばれる病気は過去「精神分裂病」という名前で呼ばれていました これは別に社会の偏見を変えるためというよりは、医師が患者に病名を伝えるハードルを下げる目的でした 実際にかなり良い効果が出ており、医師から患者への告知率は4割弱から7割近くにまで向上しています 名前を変えることのパワーは意外とバカにできないもので、きちんとした病名を与えることで自分や当事者に起きている現象を正しく認識できるようになるんですね 私は「いじめ」に対してより犯罪らしい名前をつけるべきと思っていますが、これも根底は同じです もちろん、本質的な課題は社会が正しく理解を深めていくことですが、こういった視点を全く本質的でないと切り捨てるのも違うんですね
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実行しない天才は実行する凡才には勝てません 実行した天才でも継続する凡才には勝てません やらなければ意味がない、続けなければ大成しない もちろん、才能があり、最初に変に挫折しないまま成功の複利を効かせて大成する人もいますが、皆と比べてどうかなんてどうでも良いことです 『実行すること』『継続すること』のパワーを過小評価している人多すぎる気がします
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이거 진짜임 100의 재능을 가지고 완벽주의 때문에 아무것도 못만들고 못내면 그냥 안한 사람됨 20의 재능을 가지고 80의 실행을 선보이는 사람이 살아남음 (남의 이야기가 아닙니다.)
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こういう「破綻したゲーム」を押し付ける人ってめちゃくちゃいますよね、一見すると善意の顔をしている分タチが悪い 『障がいがあるなら2倍3倍努力すればいい』 励ましのような形をした『要求』です そもそも「努力」ができているかは本人の中にしかなく、外野は「結果」でしか物事を評価することはできません 自分と非常に似た背景 / 思考 / 情報処理能力 / 体力、これらが揃って初めて人間は他者を評価してあげることができます 仕事において上司が部下を評価し、鍛えてあげられるのは、採用 / 昇格 / 昇進において、自分も似た道を通ってきたからです(そんな土台があってすらまともに部下を導いてあげられる上司は一握りです) 社会心理学には「基本的帰属錯誤」という概念があり、人間は他者の行動を見るとき、その人の置かれた状況や背景が与える影響を過小評価し、その人の性格や意欲の影響を過大評価する性質があります 相手がどういう人間かを結構無視しがち、ということです 外野が意識すべきは、外野が図ることができない本人の努力を促すことではなく、 何があれば努力をしなくても健常者と変わらぬストレスで社会生活を送らせてあげられるかという環境整備の話であるべきだと思います
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「発達障害なら2〜3倍努力すればいい」って、誰がその努力を判定するんだろう 限界まで頑張っても成果が出なければ「努力不足」で終わる 僕はそれを何度も経験した 努力しても埋まらない差があるから障害なんだろ そこまで本人の根性に丸投げしてどうするんだ
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人生それでいいんですよ 発信をするようになってから『社会に貢献できていない』と負い目を抱えている方に出逢います でも本当に悲しい、社会貢献という言葉がお金を稼ぐ、経済を回すことだけを指す言葉であって欲しくないと思います 他者に優しくあろうと思う気持ち、それはかけがえのない心がけですし、それは相互に誰かを幸せにするものです しかし究極的に言えば、そんなこと心掛けなどなくても、生きているだけで社会貢献です お金を稼げなくても、人間関係が良くなくても、生きていてくれるだけで良いんです 歴史的にも、人間社会は他の霊長類と異なり、乳幼児や高齢者や病人など、直接的には何も生み出さない存在を群れ全体で保護する、その仕組みを確立することで大規模な群れ=社会を作ってきたのです 生きているだけで社会貢献なんです どこかで、元気で生きていてくれれば良い、私のように働ける人がその分働いておきますから それでいい、それでいいんです
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無職引きこもりのため、社会に何の貢献もしていない負い目がある。だから、せめてコンビニやスーパーの店員には常に敬語で接して、ありがとうございますと謝意を述べる。店員の人が嬉しそうにありがとうございますと返してくれたら、心の中が少しだけ人間らしい感情に包まれる。人生これでいいのだ。。
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多数派の要求は「一般消費者のニーズ」として正当化されるという点は、スケールメリットのお陰で低コストで供給できるという忘れられがちなボーナスも付くから、少数派の要求が相対的に高コストに見えて余計な反感まで買いがちな気がする。 キリスト風に言えば、
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フィクションに対しては深く理解が及ぶ人であっても、現実においては急に善か悪か、0か100かの二元論に終始していまう人は多いですよね 心理学でも名前がついており、曖昧な状態や複雑な構造に耐えられず、"早く"、"確実"な結論を欲しがる心理傾向を『認知的閉鎖欲求』と言います 『物事の複雑さを受け止める』ためには『当事者でありつつ、客観的な視点を持つこと』が何より重要です 当事者意識がなければ、紛争の痛々しいニュースもただの情報の羅列でしかなく、より深く理解したいという態度が産まれません 一方で客観的な視点がない、対立する両サイドどちらの情報もない、という状態であれば明確に自分の側が正義、相手の側が悪という見え方でしか物事を捉えることができません 現実問題に対してこれを当てはまるのは意外と難しく、どちらかといえばフィクションではそれを行うのが簡単、という整理のように思います また、現実の諸問題を語るために、漫画と違い、そういう複雑さを受け入れた上で最後にどちらのスタンスを取るのか表明し、自分の意見に責任を取る必要があります そんな中では51対49の瀬戸際まで複雑に考え込むよりも、0対100、白黒、善悪で簡単に処理してしまった方が楽なんですね
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現実に起きている紛争を正義vs悪という単純な二元論構造で捉える人の多さを見ていると、本当にこの国でワンピースや進撃の巨人がヒットしたのかどうか疑問に思うことがある 物語の複雑さを消費することと、現実の紛争を複雑なものとして受け止めることは全く別の能力なのかもしれない
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