2026年6月15日夜に #
コトリ会議『##
この上のない下水筒』を観ました。会場はアトリエ春風舎。コトリ会議はまだこまばアゴラ劇場があったころから何度も観ている。##
上のない下#
ネタバレがあります。
場内に入ると立てこまれた舞台美術。古い建物の一室。正面の部屋の奥にはもう一部屋あるようだ。上手側がその部屋の出入り口になっていることがやがて知れる。
男の首吊りのシーンから物語が始まる。そのそばに立っている女性との会話が妙に心に残る。
その彼、朝倉くんのお通夜に集まる人たち。過去の同級生らしい。遺体は奥の部屋に安置されているという。正面の部屋には仮の朝倉くんが座っている。その状況がよくわからなくて、でも彼らの時間やそのなかでの会話やエピソードが重なるうちに彼らの今も、その記憶も、仮の朝倉くんの存在を通して浮かんでくる。様々な出来事の歪み方、トイレの話にしても、タケコプターのようなウィッグにしてもそう。ぞうさん銀行の300万円も、なにより雨水しか飲まない彼が持つ水筒も、その寓意を受け取り得ないままに自分のいくつかの記憶のテイストと重なっている。観ている顛末があって、その一方で出来事が舞台の見えない部分を巡り、過去の記憶の感覚となり、それぞれの今として訪れることへの感慨に染められている。
朝倉くん(仮)の居住まいを作家が演じていることで観る側の無意識に形作られる視座があって助けられる。照明にも鋭い切れをもったところがいくつかあり、音の差し入れ方が生むニュアンスがあることにも引き込まれる。俳優たちの醸す異なったトーンでの実存感が朝倉くんと彼らの過去の日常の膨らみになっているのも良い。
そうして終演後は、暫くそのつかみ切れないものへの得心や訪れる行き場のようなものに心を捉えられていた。登場人物たちの間の距離が淡々と愛想なく生々しく感じられたし、その彼らの想いが理解しえず、でも理解できるような気がした。それは言葉をつくしても埋められない、演劇だからこそ表現しうるそれぞれの学生時代から滴る今のありようにも思えた。