*エズィッディーン医師
今日、私が目撃したものは、人の心がこんなにも静かに壊れることを教えてくれた。
病院での出来事ではない。瓦礫の下でもない。
家に帰る途中の、ぎゅう詰めの荷車の中でのことだ。
クリニックから帰宅するために、最近ガザにできた〝バス〟に乗り込んだ。古ぼけた車が引っ張る荷車だ。
10人以上が狭い木製ベンチに押し合いへし合いしている。通路に立っている者たちは、クレーターがあちこちに口を開け、瓦礫だらけの道路で荷車が急に揺れるたびによろけるほかはない。
目的地にたどり着くまでに、体じゅうの骨がみしみし痛む。
人間の尊厳も痛むが、しかし他にどうしようもない。
こうした乗り合い荷車の旅は、一種独特だ。プライバシーというものがない。
ひとつの会話があっという間に全員の会話になる。
今のガザについて理解したければ、こういう荷車の片隅に黙って座っているといい。
人々の名前より先に、彼らの恐怖について聞けるだろう。
二人の男が偶然、互いに知り合いであることに気づいた。戦争前からずっと会っていなかった同僚同士らしかった。
片方が彼らと一緒に働いていた人々のことを尋ね始めた。
「その人はうまくガザを出られたよ」「ああ、そいつは南部に避難させられた」「あの人はテント暮らしだ」
かつての職場の懐かしい顔たちは、あるいは消え、あるいはキャンプ、国境の向こう、外国に散らばっていた。
みんなで一緒に朝を過ごしていたのが嘘のようだ。
やがて最後の問いの番になった。
「それで…君とご家族は今どこに?」
男は目を伏せた。
そして空気そのものがしんと静まり返る小さな声で答えた。
「うちは爆撃された」「妻と子どもらに神のお慈悲がありますように」「末の息子と私だけ生き残ったんだよ」
その後は、誰も口をきかなかった。
言うべきことがなかったからではない。
言葉が両手を挙げて降伏してしまう瞬間というものがあるからだ。
彼が話していたときの様子をずっと思い出している。
涙はなく、怒りもない。
ただ、静かな受容のみだ。
「神のお慈悲がありますように」
一生分の愛、笑い、誕生日、けんか、夢、何気ない出来事、それがどういうわけか、その短い祈りに凝縮していた。
人々は、この戦争はいつ終わるのかとしばしば尋ねる。
しかし、彼のような父親にとって、戦争はどう終わるのだろう?どんな停戦が、妻を返してくれるのか? どんな勝利が、わが家の瓦礫の下に埋もれた心臓に温もりを戻してくれるのか?
署名によって終わる戦争もある。人の一生のあいだ続く戦争もある。
たぶん、荷車に乗っていた乗客全員が理解した。その長い沈黙の中で、ガザで一番重い瓦礫は、コンクリートでできているのではない、と。
それは人々が心に抱えてわが家に持ち帰るものなのだ。
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