携帯番号に「060」が加わるはずだったが、開始は延期になったらしい。表向きはシステム対応の遅れである。携帯番号とは「その人につながる一本の糸」だった。090を聞けば、どこか大人の番号の匂いがした。080には少し新しさがあり、070には時代が軽くなっていく感覚があった。そして今度は060である。番号が増えるということは、人間が増えたというより、人間一人あたりの役割が増えたということである。
仕事用の自分。
私用の自分。
副業用の自分。
認証用の自分。
連絡したい人用の自分。
連絡されたくない人用の自分。
もはや現代人は、一つの身体にいくつもの窓口を持って生きている。
電話番号とは社会が人間に差し出す名札である。その名札が足りなくなるほど、我々は便利になり、同時に分裂していった。
060が延期されたこと自体に、大きな混乱はないという。番号にもまだ余裕があるらしい。
だが不思議なものである。
番号には余裕があるのに、人間の心には余裕がない。
連絡先は増えた。
端末は増えた。
アカウントも増えた。
けれど本当に「つながっている」と言える相手は、むしろ減っているのかもしれぬ。
060とは、新しい番号である前に、現代人がいくつもの顔を持たされている時代の、静かな記号なのである。
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