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斎藤ひろむ 豊橋市議(日本共産党)
@hiromurin
豊橋市の市議会議員です。 日本共産党豊橋市議団の所属です。 ALLYです。 多様性と、すべての人の人権を守る立場を貫きます。 趣味は釣りと料理と科学。 がんサバイバーです。
Joined July 2009
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私の、平和への思いの原点の一つは、沖縄の慶良間諸島の座間味島です。 世界有数の人気ダイビングスポットでもある座間味島は、1945年3月26日、太平洋戦争でもっとも最初に米軍が上陸した島です。 1991年の夏、私は大学生協の主催する「オキナワの旅」という企画で、米軍上陸のその場に居合わせ生き残った、島民の方のお話しを仲間といっしょに聴くという、稀有な機会を得ることができました。 参加したのは、島民の方と、愛知岐阜三重の三県の大学に通う大学生20人あまり、そして生協の職員さんだったと思います。 その日は、空は青く晴れ渡り、海と空がつながっているような、まさに沖縄らしい絶景の穏やかな日で、私たちはピクニック気分で山に登ってゆきました。 みんなで、山頂にある、展望台のベンチや、まわりの草原に腰掛けて、耳を傾ける中で、島民の方は、淡々と当時の様子を語ってくださいました。 その場はまさに、米軍の上陸作戦の直前に島民の皆さんが米艦隊を眺めていた場所だったのです。 「島民はみな、島に駐留していた日本兵に『米軍が上陸したら、男はみんな殺される。女子どもは凌辱される』と、聞かされ続けてきました。」 「その日、米軍がいよいよ上陸してくるらしい、と聞いた私たちは、この場所に登って来ました。展望台から観た海は、真っ黒な米艦船に埋め尽くされているように見えました。展望台に集まった島民は『これはもうだめだ』と囁いたりしていました」 「米軍が上陸して2日間、私たちは山の中をさまよって逃げ続けていました。どこに行っても米兵の姿が見え、どこにも逃げるところはありませんでした」 「最初に、わたしの隣りにいた近所のおじいが、叫びながら小学校あがる前の孫に、突然包丁を突き立てて、その生命を絶ちました。その後はもう…地獄のような光景でした…」「刃物のない人は、手で首をね締めるしかなくて…」 私は、このあとの詳しい描写は、覚えてません。 話聴いてるみんなも、ただただ、涙流すことしかできなくて。 お話しを聴いたあとは、みんな口数少なく、山を降りてゆきました。 美しい海と山、穏やかな気候、そして何より当時の経験を、感情をほとんど交えず、淡々と話すお父さん… 鮮烈なお話しとそのギャップに「戦争というものは」と、深く心に刻まれた経験なのでした。 座間味島やお隣の渡嘉敷島でのこの戦闘で生命を落とした島民は、日本兵の3倍、400人弱にのぼります。 座間味島はじめ、沖縄に駐留していた日本軍は、沖縄でどういうどういう役割を果たしたか。 すでにが語られているこのことを、ここでは語ることはいたしません。 けれども私は、軍隊というものが、決してその国の国民のことを守る存在では居続けないこと、そして戦争というものはどんな理由があっても、始めることそのものが重大な罪であることを、刻んでいます。 戦後生まれの私たちは、そして戦後生の政治家たちは、私たちの先人が歩んできた、日本の歴史を、ちゃんと学んでこれているでしょうか? そしてそれに、向き合い続けているでしょうか。 6月20日の豊橋空襲を「語り継ぐ」ことも、その大事な断片の一つとしてて、私は大切に引継ぎたいと考えているのです。
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