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Dr.Fager
@johnnys_dream
頭を数字でいっぱいにしろ。無害な事実を吐き気を催すまで詰め込め。中身などどうでもいい。そうすれば、自分がとても教養があると思い込む。思考し、前進しているという錯覚さえ抱くが、実際には一歩も動いてはいない。それでも幸福だ。なぜなら、自分に浴びせかけられる『事実』は不変のものだから。
Joined July 2011
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日本の失われた30年の本質は、かつて自らが持っていた強みの構造と、その破壊を目論んだ米国の戦略を直視しなかったことにある。 1980年代から90年代にかけて、米国は国家の威信をかけて日本を構造分析し、そこから得た教訓を自国のシステムに移植し、日本を無力化した。 その歴史を振り返ると、これまでの日本の成長論議がいかにピント外れであるかが浮き彫りになる。 1980年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンと称され、半導体、自動車、家電で世界を席巻した日本に対し、米国は大きな危機感を抱いた。彼らが優れていたのは、それを単なる日本人の勤勉さといった情緒的な理由に帰せず、徹底的にその構造を分析したことだ。 ①MITレポート『メイド・イン・アメリカ』(1989年) マサチューセッツ工科大学(MIT)が巨額の予算と人員を投じ、日米欧の製造業の生産性を徹底比較した報告書。ここで米国は、日本の強みが「現場の習熟度」「サプライチェーンの緊密な連携(ケイレツ)」「継続的な改善(カイゼン)」という長期的なシステムにあることを見抜いた。 ②対日年次改革要望書と構造協議 米国は日本の強さの源泉が大蔵省・通産省を中心とした官民一体の長期投資システム(1940年体制の系譜)や系列融資にあると特定した。これを非関税障壁として解体させるため、金融ビッグバンや独占禁止法の強化を迫り、日本の強みの構造を外側から破壊していった。 米国はこの研究成果を自国のシステムに組み込んだ。例えば、日本の「カイゼン」や「ジャストインタイム」をスマートに抽象化した「リーン生産方式」や「シックスシグマ」を開発し、米国の製造業やIT産業の標準装備へと昇華させた。 一方で、日本側はどうだったか。 米国からの構造改革の圧力に対し、自らの強みだった「長期的な人材育成」「現場の擦り合わせの技術力」「官民の戦略的投資」という本質的な強みを、自ら「古いもの」「非効率なもの」として否定してしまった。 そうして土台がグラついたところに、欧米発の成果主義(90年代後半)や、近年のジョブ型雇用といった流行りの人事バズワードが輸入される。だが、これが小手先の策の最たるものだった。 経営陣や人事コンサルタントは、企業の成長力を規定する本質が「マクロな産業戦略」「知財の囲い込み」「圧倒的な資本投下による市場支配」であることから目を逸らした。そして、社員のモチベーションや評価制度を変えれば、かつての輝きを取り戻せるはずだという幻想にしがみついた。 本来、求められていたのは制度いじりではなく構想力だった。 過去の成功の本質は、内需の拡大と輸出の爆発的な成長が見込めるマクロ経済環境の中で、企業が長期スパンで人を育て、現場の技能を蓄積・統合するシステムが、当時のハードウェア中心の産業構造に完璧にアジャストしていたからだった。 時代が変わり、デジタルやソフトウェア、プラットフォームが主戦場になったのであれば、変えるべきは評価シートの書き方や職務定義書(ジョブディスクリプション)の有無ではなく、どういう産業で、どういうグランドデザインを描いて世界と戦うかという、国家・経営レベルの構想力とシステム構築だった。 米国が冷徹なシステム論として日本を研究し、自国のアーキテクチャをソフトウェア優位に変革していったのに対し、日本は自らのシステムの強みを理解せぬまま、米国の真似をすれば良くなると部分最適な人事制度いじりを繰り返してきた。その30年分のツケが、現在の先進国最下位レベルの賃金という冷厳な事実に直結していると言える。 もうひとつ、1980年代までの日本経済の爆発的な強さを底辺で支えていたコア・メカニズムは、株式持ち合いとメインバンク制が一体となった、徹底的な長期投資・安定雇用保護システムだった。 これがバブル崩壊後の混乱に乗じ、国際金融ルールであるBIS規制という外圧を用いて文字通り解体されたプロセスこそが、日本経済の構造的敗戦の決定打だった。 戦後の日本、特に1940年体制の系譜を引き継いだ経済システムは、株主の短期的な利益追求を徹底的に排除するように設計されていた。 企業同士が互いの株式を持ち合うことで、市場に流通する浮動株を極限まで減らし、欧米型の敵対的買収(M&A)や、短期的な配当増額を迫るアクティビスト(物言う株主)の介入を完全にシャットアウトした。 株式を保有する銀行は、単なる貸し手ではなく、企業の長期的存続を保証する身内だった。四半期決算の数字に一喜一憂する必要がないため、企業は10年後に花開く基礎研究や巨額の設備投資に資金を突っ込むことができ、労働者をメンバーシップとして終身雇用で抱え込んで技能を蓄積させることが可能だった。 この「敵対的買収のリスクゼロ」「超長期的視点の資金調達」「コミットされた人材育成」の三位一体こそが、米国の製造業を震撼させた日本企業の圧倒的な競争力の源泉だった。 米国をはじめとする欧米諸国は、この官民銀行一体のクローズドなシステムを非関税障壁だと激しく批判したが、決定的な打撃となったのが1988年に合意されたBIS規制(バーゼルI)だった。 国際業務を行う銀行に対し、自己資本比率8%以上を義務付けるこの規制は、一見すると金融システムの健全化を狙った中立的なルールに見える。しかし、実際には日本銀行や当時の大蔵省、そして商業銀行の足をすくうトラップとして機能した。 ① 含み益というアキレス腱の利用 当時、日本の銀行は持ち合い株式の含み益の45%を自己資本に算入することが認められていた。株価が高騰していたバブル期は、これにより自己資本が膨張し、いくらでも融資ができる状態になっていた(これがバブルをさらに加速させた)。 ② バブル崩壊による逆回転の罠 しかし、バブルが崩壊し株価が暴落すると、システムは真逆に作用する。まず、株価下落によって分子である銀行の含み益(自己資本)が急激に消失した。次に、BIS規制の8%を維持するため、銀行は分母である貸出資産(企業への融資)を強制的に減らさざるを得なくなった。これにより、日本中で凄まじい「貸し剥がし」「貸し渋り」が発生した。 2000年代初頭の小泉・竹中改革のフェーズに至ると、このBIS規制の圧力を背景に、不良債権処理の加速という大義名分のもとでシステムの最終解体が実行された。 銀行が保有する株式のリスク(株価変動による自己資本への影響)を排除するためとして、銀行の株式保有制限が法制化され、銀行は持ち合い株を市場に大量放出させられた。 ガッチリと組まれていたスクラム(持ち合い)が解かれた結果、日本企業は丸裸の状態でグローバル株式市場に放り出された。皮肉なことに、銀行が放出した優良な日本企業の株を安値で買い漁ったのは、欧米の機関投資家やハゲタカファンドだった。 メインバンク制と株式持ち合いという防衛システムを破壊された日本企業がどうなったかは、その後の歴史が証明している。 外国人株主や短期投資家の比率が跳ね上がった結果、企業は四半期ごとの利益と高い配当・ROE(自己資本利益率)を目指す株主至上主義に移行した。 かつてなら次世代の技術開発や労働者の賃金に回されていた原資が、株主還元(配当金や自社株買い)へと吸い上げられる構造に変わった。 株主から無駄なコストと見なされた結果、企業は非正規雇用の拡大へと舵を切り、日本経済の最大の強みであった現場の人材育成システムを自ら破壊した。 金融の健全化やグローバルスタンダードへの適合という極めて情緒的・正論的なスローガンの裏で、日本経済を支えていた富を国内で循環させ、長期投資に変える合理的な社会システムが無残に解体された。 これこそが、その後の「賃金が上がらない国」「コモディティ化した製造業」を生み出した構造的な原因の正体と言える。
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