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海渡雄一
@kidkaido
1981年から弁護士。原子力訴訟と監獄人権問題が得意分野。2010-2012年日弁連事務総長をつとめる。現在、脱原発弁護団全国連絡会共同代表、NPO法人監獄人権センター代表。
Joined June 2011
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ドラマとしては、これでおめでたいのかもしれませんが、直美さんのモデルとされる鈴木雅さんの史実とは大きく異なります。  このドラマでは、直美さんは夕凪さんの娘でありながら、キリスト教会で育てられたと設定されていますが、雅さんは、旧姓は加藤、士族の娘であり、1876年から二年間、フェリス・セミナリー(フェリス女学院)で学び1977年の卒業後に軍人であった鈴木良光さんと結婚します。キリスト教に入信したという点以外は全く異なる設定とされています。当時は、女学校を卒業すれば結婚するのが当然のことでした。  雅さんは、看護婦となる前に軍人と結婚した経歴があるので、看護婦となった後に軍人と結婚したってよいだろうと脚本は作られたのかもしれませんが、私は首をかしげてしまいます。  当時、軍人の妻が、共働きで別の仕事を持つということが本当に可能だったのでしょうか。  雅さんは、第九連隊の京都分隊伏見連隊長として勤めた夫とともに大津、京都で新婚時代を過ごされたようです。もちろん専業主婦としてですね。  1880年(明治13年)に、夫が戸山学校教官となり上京します。1881年(明治14年)には、仙台鎮台第ニ軍管第四師管後備軍司令官となり仙台へ移りますが、夫の良光さんはこの仙台で1883年(明治16年)に病で亡くなります。  ここまでの雅さんの人生は、高等教育を受けた士族の娘として、生涯軍人の妻として、子の母親として生きるというものだったと思われます。そして夫を看取った経験が、雅さんが看護婦を目指した理由かもしれませんね。  そして、夫が亡くなり、軍人の未亡人、そして二人の子供たちのシングルマザーとして、仕事を持って子どもたちを育てなければならない状況が、雅さんが看護婦を生涯の仕事にしようと考えた背景にあったことは確かです。そして、実際の雅さんが、再婚したという事実はありません。  1887年に、桜井女学校附属看護婦養成所に1期生として入学し、そこで大関和と出会い、アグネス・ヴェッチから看護学を学んだという点は、まぎれもない史実であり、この出会いが日本の看護の道を切り開いたことは間違いありません。  帝国大学医科大学附属第一医院では、雅さんが内科の看護婦取締役(看護婦長)となって活躍したことも事実です。  また、雅さんはフェリスで学んで英語が得意でした。この点もドラマできちんと描かれていましたね。英語を役立て、その頃多かった外国人医師の通訳として活躍したようです。  時代の先端を行く彼女は洋服を着てかの有名な鹿鳴館にも通ったと伝わっています。この点は、大山捨松さんとの出会いとして描かれましたが、とても華やかな方だったと思います。りんさん=和さんもそうだったようですが、雅さんも、たくさんの帝大の医師から求婚されても、全く取り合わなかったようです。  その雅さんが1891年に東京本郷で慈善看護婦会を創設して、看護婦の派遣事業を切り開いたことも史実です。このための資金は、ドラマでは夕凪さんが残したお金として描かれましたが、実際には軍人であった夫の遺した遺産だったようです。  そもそも、直美さんを孤児と設定した時点で、彼女の人生をどのように描いても脚本家の自由だという考えもありますが、ここまで雅さんの属性を踏まえて直美さんの人物が造形されているのに、小川さんと結婚しておめでたいとは、なかなか思えないのです。  このドラマが、今後、日清日露戦争へと向かう日本軍の軍人である小川さんと看護婦として生きていく直美さんとの結婚生活をどれだけリアルに描くのか、重大な関心を持って見守りたいと思います。
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