Register and share your invite link to earn from video plays and referrals.

山中武史|週刊現代元編集長
@takesiyama
講談社・週刊現代元編集長。ノンフィクション一筋29年のプロ編集者が、時事ネタの裏側を深掘り先読みします。 ■主な担当作と実績 ・『地面師』『大人の流儀』 ・『朝日新聞政治部』『ザ・芸能界』他 ・「紀州のドンファン」の名付け親 ・話題になったポストはハイライトに ■所属組織の意見は代表していません
Joined May 2011
1.2K Following    6.6K Followers
僕の生まれ故郷の兵庫県宝塚市川面にも、だんじりがある。南が赤だん、西が黄だん(きいだん)、東が桃だん(ももだん)だ。秋祭りには法被の上にそれぞれの色の鉢巻や布を身につけ、男たちがだんじりを担ぐ。僕の実家は黄だんだった。 49歳で早死にをした父は病弱で静かな人だったが、祭りのときだけ人が変わった。というか、言うことが変わった。 「ワシはこのために一年生きてるんや」 子供心に、「え、父さん、そうやったん?」と驚いた。 若い時にだんじりと電柱に挟まれてできたみみず腫れのような右肩の傷についても、誇らしげに語っていた。 僕の実家はだんじりの休憩所のような役割を担っていて、秋祭りの日の夕方には、法被を着た男たちが家で宴会をした。料理はすき焼き。女性たちが給仕をするなかで、男たちは酔って猥談を含めたバカ話をしていた。でも休憩なので夜通しではなく、出立の時刻が来ると、男たちはキリっとした顔でだんじりを担いだ。大太鼓と小太鼓、鐘の音とともに去っていくだんじりは、夕闇の中で提灯の淡い光が滲み、子供心に美しいと思った。1970年代のことだ。 僕は中学から地元ではなく神戸の私立に通ったので、思春期にだんじりにハマることはなかった。 あれは大学生になったくらいだっただろうか。実家に帰省し、久しぶりに夜のだんじりの後ろをついて歩いてみると、様相が変わっていた。法被を着崩した高校生と見られる女の子たちが集団で、黄だんに黄色い声援を送っていた。踊るようにぴょんぴょん跳ねながら歩いていた。 「ダメだ、ここに俺の居場所はない」 そう思って、ひっそりと実家に引き上げたのを覚えている。1990年代のことだ。 その時から僕にとってだんじり祭りは、「陽キャがヤンキー化してはしゃぐ場所」という位置付けになったので、今回の炎上騒動には「命をかけてまでやるものではなかろう」としか思わない。でもその個人的意見を、だんじりに命をかけている人たちに言うつもりはない。 そもそも川面のだんじりは、命を危険に晒すほどの危ないことはしない。でも「だんじり」というものを見たことも触ったこともない人よりは、なんとなくわかることもあるので書いてみた。 父親が生きていたら、どんな意見だっただろうか。もし「命をかけてやる人がいてもいい」と父が言ったら、僕はそれを論破しようとしただろうか。 (写真は2022年に撮った川面の黄だん)
Show more