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いい年こいてうるさくは走りたくないけど、吸い込み音とバックファイアー音が聞きたくてつい無駄にアクセルを開けてしまう。 バブオーナーならわかってくれるかもしれない。
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音楽を聴くだけならSpotifyでも事足りるけど、ただ表面をなぞっているだけで、自分自身にその音が馴染んでいない気がすることがある。好きなバンドのライブで対バン相手のことも好きになったり、友達から借りたCDで新しい曲に出合ったり。検索をすれば簡単にアクセスできる時代だからこそ、音楽との思いがけない出合いを経験したい。東京はそんな機会に恵まれている場所だ。ceroの高城晶平さんにとってのそれは、東高円寺で約30年続くクラブバー『Grassroots』。そこは音楽とおしゃべりがシームレスに交差する、どこまでも心地のいい空間だという。 #popeyemagazine# #WHOLECITYBOYCATALOG#
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「老化を止めたいなら筋トレをやれ」は半分正しくて、半分間違っている。 老化で最初に落ちるのは筋力じゃない。瞬発力だ。研究では、瞬発力の低下は筋力の低下より早い年齢から始まり、進行も速いことが示されている 普通のスクワットは筋力を維持する。だが速筋線維という、瞬発力を生む発電インフラには十分な信号を送れない。 瞬発力低下→バランス低下→転倒リスク増加→自立喪失。これは老化そのものではなく、使っていない機能から先に消えるという、身体の設計上の仕様だ。 ジャンプスクワットはこの仕様に直接介入する。 【瞬発力という若さの指標】 ジャンプの伸張反射と着地の高速収縮は、同じ負荷の普通のスクワットより強く速筋を叩き起こす。「歳を取って動きが遅くなった」の正体は、筋力の低下ではなく、この瞬発的な動員が習慣的に不足しているだけだ。 【骨密度という老化の物理指標】 普通のスクワットに着地の衝撃はない。ジャンプスクワットは着地時の機械的ストレスが骨に直接伝わり、骨のリモデリングを促す。骨密度は年齢とともに一方的に失われていくものではなく、負荷をかければ応答するインフラだ。 【GLUT4という代謝の若さ】 加齢で進む代謝機能の低下は、糖を細胞に取り込む経路の反応が鈍ることでも起きる。 筋収縮はGLUT4という糖輸送体を細胞膜表面に移動させ、インスリンに頼らず血中の糖を筋肉に取り込む。メカニズムとしては、ジャンプスクワットの瞬間的な高強度収縮のほうが、この経路を短時間でより強く稼働させる可能性が高い。 Rhonda Patrick博士が提唱するエクササイズ・スナック理論では、1日3回・1〜2分の高強度動作を日常に差し込むだけで全死亡リスクが40〜50%低下する。 ジャンプスクワットはこの枠にそのまま収まりながら、瞬発力・骨密度・糖代謝の3つに同時に介入できる、数少ない自重種目だ。 ▼ プロトコル ・8〜10回 × 3セット ・足は肩幅、しゃがんでから真上に跳ぶ ・着地は音を立てず膝で吸収する ・エクササイズ・スナックとして1日のどこかに分散させて差し込むだけでいい 私は毎食後、血糖値調整の為に行なっている。すぐ得られた実感として、午後の活力低下が激減した。ランチ後はコーヒーよりジャンプスクワットを推す。 老化は一方的な下り坂じゃない。使わない機能から先に消えていく仕様だ。だったら使えばいい。
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🌧️ 木曜日の朝ですね。 雨の音が窓を優しく叩いてる… みんな、おはようございます☔ 少し気だるい朝かもしれないけど、 今日も一緒に頑張っていこーね💪❤️ 「大丈夫、君ならできるよ」 ってエールを送るね📣 小さくてもいいから、一歩ずつ🩷 雨の後はきっと虹が出るから♪ 今日も素敵な1日にしようね🌈#うなじgirl# 🩷This is not sensitive. She is a fictional character and only SFW💖
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まどマギ 戦利品達💕 推しが多いけど、ほむらとまどかは特装版もあって衣装繋げたかった! そして観た側としての感想は書かないけど個人的にグッズだけで少しの感想として…オラクルカードにもタロットにもなるカードだったので…… 《正位置の ワルプルギスの夜》 .⋆𝜗𝜚もういいんだよ 𓂃 💸もういいの。 私は まどかの為ならいくらでも払える いくらでも出すわ。(カチッ)(財布の開ける音)
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「変わってるね」と言われるたび、 ほめられてるのか、少し不安になる。 みんなと同じにできなくて、 自分だけ浮いてる気がしてきた人へ。 名前に「に」の音を持つ人は、 誰も思いつかない発想が、わいてくる人。 人と違うのは、ズレてるからじゃなく、 人にはない独創性を、持っているから。 無理にまわりに合わせなくていい。 あなたのその感性は、ちゃんと正しい。 今日ひとつ、あなたの「好き」を 大事にするなら、何ですか。
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気づけば、いつも全体を見渡す、 ”まとめ役”。 誰が何をしてるか、抜けはないか、 ぜんぶ見えてしまう。 「私が見てないと、回らないから」と みんなの分まで背負ってしまう。 名前に「と」の音を持つ人は、 高い視点から全体を見て、 うまく束ねられる人。 ぜんぶ背負っちゃうのは、 抱え込みたいからじゃなく、 全体を見渡せる“鳥の目”が、 人より利くから。 でも、全部背負わなくても、 ちゃんとまわる。 見えている分、少しだけ、 誰かに役割を渡していい。 今日ひとつ、誰かに役割を分けるなら、 何にしますか。
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編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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