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池田リリィ茜藍
@ikeda_lily
茜藍(ちぇんらん)。沖縄生まれ台湾育ちの日⇔中ダブルネイティブ。翻訳家三代目。書籍翻訳の他、知事/市長クラスの通訳担当多数。会議通訳、災害通訳、二言語司会。訳業雑感、美術や瑣末事のつぶやき多め。アート北京翻訳、上海PSA通訳、国宝展中訳、坂本龍一さん通訳など。 📨lilylilylily0922@gmail.com
Joined September 2014
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1895〜1945年を指す複数の呼称についての、翻訳雑感。 台湾華語では「日治時代」「日據(拠)時代」「日領時代」「日本殖民時期」など、さまざまな呼称が用いられてきた。「日治/日據」はとりわけ台湾の政治的立場と結びついて語られてきた一方、「日領」には日本の学術界で用いられてきた系譜がある。また「日本時代」は、台湾の閩南語を話す世代が日常的に使ってきた口語表現だったりする。これらは単純に一直線に並べられる言葉ではなく、それぞれ異なる場所や世代、文脈のなかで使われてきた。 日本語の場合、指定がないかぎり、私は「日本統治時代」「日本統治期」とし、台湾華語では「日本時代」としていることが多い。 少し前のお盆、日本に暮らす台湾人キュレーターが、日本語の原稿で「統治」とすること自体にもためらいを覚える、と自嘲していた。言葉を選ぶたびに自分の立場を点検することに嫌気がさし、「台湾人であるために、なぜこんなに大変な思いをしないといけないんだろう」とこぼしたとき、慰めの言葉が見つからず、申し訳なく感じた。 個人的には、日本語でも「日本時代」とするなら、あえて括弧付きで書くことにも意味があるのではないかと思う。単にニュートラルな名称へと置き換えるのではなく、呼称そのものが歴史的・政治的に揺れてきたことを、日本語のなかにも残せないか。翻訳家として、そのぎりぎりのところで言葉を選ぶ。 ただ、最近よく感じるのは、「日本時代」という呼称=「台湾は日本の植民地ではなかった」と考えることが、日本ではしばしば一続きに理解されてしまう。本来、この二つは別の問題なのに。 「日據」も「日治」も、その選択自体が政治的立場の表明として読まれうるなかで、「日本時代」は、そうした政治化された呼称から距離を取る言葉として機能することがある。一方で、「日本殖民時期」と一貫して書く台湾の学者もいる。 ポイントは、同じ「日本時代」の4文字でも、その言葉が置かれる言語空間によって作用が変わること。台湾華語における「日本時代」という呼称は、植民地だったという歴史認識を否定するための婉曲表現ではない。政治化された呼称から距離を取る言葉になりうる一方、日本語では、日本による植民地支配そのものから距離を取る言葉として響くことがある。 これは辞書的な等価性からは見つけられない、「言葉が国境を越えたとき、発話者と受け手の歴史的位置が変わることで何が起きるか」を思索する、翻訳の問題でもあると思う。
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