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国民が望んでる法案はしない それで反省は特になし どんどん頑張る! ”結構です” お前が働くと国が🇯🇵が衰退 壊れる もう期待もしてません 反省しなくいいからすぐ辞めて下さい
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ラストのアレFOX小隊こんなに優遇されて涙止まらん…今後あれが4人分あるってコト⁉︎あとニコってキヴォトス生徒から見ても読モって思われるくらい美少女なんだ!それから連邦生徒会長2人とも可愛いし貧乳だからもう2人いて良くないですか???あとカヤお前マジで最高だよ!!
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ぼくは右翼ではない。左翼でもない。 相互扶助的個人主義者だ。 しかしこの言葉の意味を理解するには相応の知識がいる。 短い言葉ほど理解するのに知識が必要となる。長い言葉、説明は、それを補う。故にぼくのクソ長ツイートは情けであり教育なのだ。バカなお前らに知恵を授けるためのな。 そのお前らが、長文書くのはバカだとあざ笑う。おもしろいこった。 お前らに「相応の知識を前提とした短いツイート」をしても理解できない。だから目にとまらないし記憶にも残らない。当然反応もない。お前らが「長文うぜえ!」と思えるのは、そもそもその長文が短文より圧倒的に理解可能なものであり、お前らでも数パーセントは理解できたからこその反応なのだ。 豚ツイが長いのはお前らの不足しまくっている予備知識を補うためだ。そしてバカにも理解できるからこそバカが反応してくる。「反応することができる」と言った方が正確だな。 これはぼくにとっては苦痛だ。なにしろぼくはバカが嫌い。つまりお前らが嫌いだからだ。ぼくがスマホの画面で指をすり減らしながらクソ長豚ツイを書いてやっていることの意味を、もう少しよく考えてみろ。
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はるか彼方前の議事録を遡ったら、ミッドナイトジュンクラブがミッドナイトジュンクラブという名前になる前のメモが出てきた。候補は4つ。当時はどれもいいなあと思いながら名前を考えたけれど、今思うと、やっぱりこれしかなかった!と思う。 ミッドナイトジュンクラブ。 本屋で朝を迎えるという企画は、丸善ジュンク堂書店で働くわたしたちにとって、かなり馴染みがあるものだった。 #丸善ジュンク堂に住んでみる# があったからだ。 おおよそ一年に一回、(エアはもうちょいある)毎回ちがう店舗で行われるそのお泊まり企画に、わたしも当選したいと本気で思っていたりした。 とはいえ、それはあくまでも本好きとして参加したい!と思うからのことで、自分が準備をするとなったら全然話は別です、としか言うまい。 今年、ジュンク堂書店は創業50周年を迎える。 50周年に向けていろんな企画が動く中、「ジュンク堂らしさってなんだろう」と考える機会が何度もあった。 専門書の取り揃えや、ジャンルの豊富さ、ぎちぎちに詰まった背の高い棚。そういうイメージはもちろんあるけれど、わたしにとってのジュンク堂は、ちょっと文化祭みたいなところがある。 それぞれ好きなものも得意なことも違う人たちがいて、「これやりたい」と言う人がいたら、「じゃあやってみよう」と誰かが乗ってくる。 手作り感があって、ちょっと無茶で、でも妙に本気。わたしは中途入社で社歴も浅いからか、入る前に思っていた「書店員」のイメージとは全然違うなあ、とよく思っていた。 イメージと違うと思っていたとは言え。 「ジュンク堂書店50周年を記念して、住んでみるツアー番外編をやろうぜ」という話がでたときは、えっなんかの冗談?と思った。 アイデア出しも冗談みたいで、まるで深夜の大喜利大会。 理工書のコーナーで鳥の図鑑について語り合いながら、鳥を店内に飛ばしてバードウォッチングするとか。 書店員もお客様もみんなエプロンを着用して、本物の書店員をあぶり出す「書店員人狼」をやるとか。 書店中に謎解きを仕掛けてダンジョンみたいにしたい、50周年にちなんで50歳の人を集めてその数を競いたい、希少な古本を持ち込んでもらってハンマープライスで欲しい本を奪いあいたい、休憩コーナーに人間椅子を置いてみたい、超好きなあの作家に来てもらってこんな話を聞きたい。 本をこよなく愛する書店員たちは欲にまみれた大喜利を積み重ね、「朝まで本屋にいる」という話は、どんどん大ごとになっていった。 最初は「何をしたら面白いかな」だったはずなのに、いつの間にか「鳥を店内に放す場合、何か許可は必要なのか」という、人生で一度も想定していなかった問題について考えている。もしうちの店で殺人事件が起こるとしたらだれが被害者なのかとか、本屋で安全にプロレスをするにはどうするかとか、そんなめちゃくちゃなことばかり。 めちゃくちゃなことに真剣に取り組みすぎて、喧嘩をしたこともあった。 毎日ほんとうにヘトヘトになりながら話し合いと準備を積み重ねて、気がついたら夏になった。お前らといるのが、あんまり楽しくて、さ。 昨日、みんなでいろんなものを準備してはしりまわっていたら、なんか文化祭みたいだねえと言われた。 文化祭みたいなドタバタのなかで、「冗談?」と思っていた企画(のうちのいくつかが)今夜、本当におこなわれる。 8月22日、夜9時まであとすこし。 夜は短し、歩けよ書店員! あなたも一緒に夜の果てへの旅へ! 冗談みたいな日は続く。 #ミッドナイトジュンクラブ#
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緊急事態発生緊急事態発生ゴキブリがトイレの出入り扉に出現戦闘員は寝室私は今便器に座ってる状態でそのゴキブリの存在に気づき困難を極めているおっとまってまってそこはドアノブまってあ、死んだ死んだこれ死んだ終わったどうやらNextFeedはここまでのようだ今までたくさんの人に出会えて幸せでしたありがとうございましたどうやら本当にもうここで死ぬようだこの書き込みをしている間にどんどん近づいているようだ逃げたいがどうやら私は腰を抜かしてしまったようだもうだめだこのままでは間違いなく私の所までくる死んでしまうなんだこの微妙な距離はもう心臓が痛いぞ痛いぞ声出してるぞ情けない声は出てるぞでも大声で叫ぶと唯一のゴキブリに対抗できる人材は起こせてもその衝撃でゴキブリがこちらに飛んでくる可能性があるつまりもうこれは助からない積んでいる奴はブレインだまるでこちらを詰ませる動きをしているこれで別パ(別のゴキブリ)が来たらどうしてくれるんだお前ふざけるなまじでたのむから扉の角に言ってくれどうしたらそっちへいってくれるんだ私は今便座に座ってるんだつまり下着も降ろしてるんだこの状態でどうやって逃げろっていうんだまず移動するにはこの下着をどうこうする前にトイレットペーパーで私自身の汚物を処理しなければいけない次にパンツを履き寝間着ズボンを履かないといけないだが無理なんだ本当に腰を抜かしてしまっていて立ち上がれないんだでも声をあげたらお前ぜったいこっち飛んでくるだろこの前みたんだよ廊下でぶんぶん飛んでる姿をだってお前赤いもんシャアじゃねえかお前ふざけるな特殊個体がここにきて良い理由はないんだよどうしたらいいんだこれは落ち着け落ち着くんだ落ち着いて腰を癒せ腰さえなおれば最悪汚物処理は一旦後に回したっていい最悪もう一度お風呂にはいればいいパンツも寝間着も置いて行っていいリビングにさえいければとりあえず最終兵器のスプレーがあるだがあのスプレーゴキブリの項目だけ無いからマジで効き目が遅いんだ最悪あのスプレーを使うにしても特殊個体のゴキブリを倒すには2分くらい吹きかける必要があるつまり長時間戦う必要がある昔の私だったら足で踏みつぶす手でつかむそしてぶん投げるまでのセットが出来ていたのに今では口にゴッキーが入ったというトラウマの 戦闘員は寝室私は今便器に座ってる状態でそのゴキブリの存在に気づき困難を極めているおっとまってまってそこはドアノブまってあ、死んだ死んだこれ死んだ終わったどうやらNextFeedはここまでのようだ今までたくさんの人に出会えて幸せでしたありがとうございましたどうやら本当にもうここで死ぬようだこの書き込みをしている間にどんどん近づいているようだ逃げたいがどうやら私は腰を抜かしてしまったようだもうだめだこのままでは間違いなく私の所までくる死んでしまうなんだこの微妙な距離はもう心臓が痛いぞ痛いぞ声出してるぞ情けない声は出てるぞでも大声で叫ぶと唯一のゴキブリに対抗できる人材は起こせてもその衝撃でゴキブリがこちらに飛んでくる可能性があるつまりもうこれは助からない積んでいる奴はブレインだまるでこちらを詰ませる動きをしているこれで別パ(別のゴキブリ)が来たらどうしてくれるんだお前ふざけるなまじでたのむから扉の角に言ってくれどうしたらそっちへいってくれるんだ私は今便座に座ってるんだつまり下着も降ろしてるんだこの状態でどうやって逃げろっていうんだまず移動するにはこの下着をどうこうする前にトイレットペーパーで私自身の汚物を処理しなければいけない次にパンツを履き寝間着ズボンを履かないといけないだが無理なんだ本当に腰を抜かしてしまっていて立ち上がれないんだでも声をあげたらお前ぜったいこっち飛んでくるだろこの前みたんだよ廊下でぶんぶん飛んでる姿をだってお前赤いもんシャアじゃねえかお前ふざけるな特殊個体がここにきて良い理由はないんだよどうしたらいいんだこれは落ち着け落ち着くんだ落ち着いて腰を癒せ腰さえなおれば最悪汚物処理は一旦後に回したっていい最悪もう一度お風呂にはいればいいパンツも寝間着も置いて行っていいリビングにさえいければとりあえず最終兵器のスプレーがあるだがあのスプレーゴキブリの項目だけ無いからマジで効き目が遅いんだ最悪あのスプレーを使うにしても特殊個体のゴキブリを倒すには2分くらい吹きかける必要があるつまり長時間戦う必要がある昔の私だったら足で踏みつぶす手でつかむそしてぶん投げるまでのセットが出来ていたのに今では口にゴッキーが入ったというトラウマのせいで何も出来ないどうしたらいい、蜘蛛は、蜘蛛はいませんか我が家のどっかでゴキブリを食べてくれる蜘蛛のお客様はいらっしゃいませんか?2匹ほどいらっしゃいませんか?それとも蛇はいませんか?蛇?蛇美さんはよ福岡Vになって我が家のゴキブリを食べるか倒すかしてくださいマジで名古屋に居てる場合じゃない福岡に来なさいいやもうどうしよまじでもうこれドアノブから動かないんだけど間違いなく特殊個体と目が合ってるでも少し好機到来私の腰の痛みが無くなってきただがしかしだがしかし問題その2だビビってしまって動けないまずは深呼吸、あいつが居ない事を思い込んでとりあえず汚物を拭かないといけないので拭く。そして拭き終わったからパンツを履きたいけどその動作をした瞬間お前飛んで行かないよな?飛ぶなよ?わかってるな?私はお前が飛ぶのが嫌なんだそのまま天井を這うか壁の方に移動してくれないかって思ったら移動し始めたんだけど扉の中央にいくのはそれは違うじゃんお前はどうしてそういう事をする?ドアノブは触れる、うん触れるでもそうじゃない触ってその扉を開くとお前は間違いなく外に逃げるだろお前動きおかしいぞチーターか!?チーターなのか!?お前誰だ転生してんだろお前の前世は部隊長か何かか!?なんでそうやって位置取り出来る!?この世界は理不尽でしかないだが私も動かないぞお前が天井か壁に移動するまで動かないぞ私は負けないこの戦いに勝利して見せる1時間でも2時間でも待つぞと思ったら天井に行ったとりあえず外に出てリビングでスプレー回収して拭きかけて勝ちましたがセミファイナル現象って知ってますか?死んだと思ったら生きてた奴です。私はゴキブリの死骸と思ったものを袋に入れようとしたら生きててびっくりして腰をぶつけて腰を痛めましたあいつまだ生きてるふざけるんじゃない私はお前が死なないと触れないんだどうしてくれるんだマジであのどなたかゴキブリを食べる蜘蛛はいらっしゃいませんか?蜘蛛の方いらっしゃいませんか?食べてくれませんか触れないんですって思ったらトイレでスプレー拭きかけまくったせいで違う虫が死んでるんだよねそこにまちがいなく蜘蛛なんだよね二次災害だねいやむしろお前別パか?別パだったのか?もしかしたらお前ゴキブリを食べてくれたのか?いやでもそれ以前に腰をどうにかしなければいけない。我が家の最強戦力が私が腰をぶつけて変な声を出した事で起きてくれて袋一つでつかんでくるんで片づけてくれたので世界は平和に終わった。
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猗窩座が煉獄さんを侮辱して炭治郎がブチ切れられるシーン。これが性悪が繰り返すあの厄介な《挑発/ベイティング》の本質になってるから解説したいんや。 このとき猗窩座は、自分の言葉のどこが悪いのか分かってないんよ。むしろ最大限に評価してるつもりでおる。 猗窩座の内部では《強者は讃える/弱者には唾を吐く》で完全に一貫していて、煉獄さんは前者。だから侮辱した覚えがない。 でも炭治郎は《お前が殺した人の話を、お前がするな》という別の次元の思いでキレてる。価値観の土俵が違う。噛み合わないまま、片方が滅法傷つけられてキレなあかんのや。 現実でも 《俺は思ったこと言っただけなのに相手がキレた》 《相手を馬鹿にするつもりはないが相手は俺を誤解してる》 で挑発をやめないやつとかおるやろ。 ただそんな相手の内心を推し量る作業は、こちらが消耗するだけなんよ。 《お前が勝手に傷ついたから悪くて、俺はそう思ったのを言っただけ》という返しは、俺が相手を理解するのではなく、相手が俺を理解してくれれば問題ない、という一方通行の要求や。 理解のコストを全部相手に払わせる形になっとる。これが繰り返されるなら、その発言の悪意の有無に関係なく、その関係は消耗性の腫瘍のようなもの。切離すか、距離を取る理由としてはそれで足りるんよ。 猗窩座がなんでこうなったか、ちとそれも深掘りしよう 生前の猗窩座(狛治)は、父の薬代のために窃盗と暴力を繰り返して二度罪人の入れ墨を入れられ、喧嘩っ早く、人を殴り続けてきた男や。小雪に出会って、その暴力が人を守るために向いたが、猗窩座の中では優しさと暴力は最初から同居しとる。 鬼になってもそれが変わってない。向き先が反転しただけや。守るものを失った瞬間、同じ力がそのまま外へ出た。 そのうえで彼には、理想化と脱価値化、あるいはこき下ろしの往復がある。煉獄さん、冨岡、炭治郎に惚れ込むような言葉を吐いたかと思えば、思い通りにならなければ一転して見下す。師匠にも小雪にも、置いていかれることへの怯えが常に透けてる。見捨てられ不安や。 猗窩座は、見捨てられる怯えを、強さへの執着に置き換えて生きてきた人生やったといえるんよ。ここらへんが猗窩座の強さへの執着の根源でもあり、限界でもあった。 他者に投影した弱さを見た瞬間に自分の過去、弱い自分が湯気のように立ち上がるから、弱さを憎む。 憎んでいる間は己を見んで済むから激しく憎むんや。彼が弱者を否定し続けたのは、他人を裁くためやなく、自分を直視せんで済ませるためなんよ。 だから最後、記憶を取り戻して自分の弱さに目を向けたとき、彼は戦うのをやめた。あそこで初めて他者と自己の置き換えが解消する。 猗窩座の例を詳細に分析したのは現実の人間関係でもこのてのメンヘラ気質はたくさんおるからや。 見捨てられ不安がつよいから非常につよい優しさを発露する。他人に執着して、褒め(理想化)まくる、過剰に自己犠牲する、そして一転、望んだ愛の形が得られないと暴れる、、、 猗窩座の行動パターンは境界線パーソナリティ障害や愛着不安に非常ににている。 生前の猗窩座も悲劇が起こらなかったらいい夫、いい先生だったかもしれんが、逆に言うと悲劇(思った愛が成就しないこと)一つで菩薩が悪鬼になるなら、それは単に精神の脆弱やねん。 これは無理解で自堕落な父、厳しく甘えさせてくれない母、面倒を見なければいけない弟などを抱えて最後まで誰も責めたりキレたりしなかった《煉獄さん》と比べて精神的な成熟度が雲泥の差や。だから猗窩座はいつも痣すらでなかった柱の煉獄と比肩される。精神的には対照的な二人やからや。 ただ、この手の人間の性格や、性格であるがゆえの挑発の背景を理解できることと、その扱いに耐えることは別や。事情を知って納得しても、相手してどうも削られるなら離れてええ。 猗窩座に必要やったのは、誰かに理解されることやなく、自分で自分の弱さを見ることやった。それは他人が代わりにやってやれるもんやない。 最後ボロボロになって《もう十分だ、やめろよ》と自分で自分に問わないと怒らん気づきやねん。
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先日のポストで僕は熊のお話も、駆除に反対・賛成のお話もしていません。でも、何かに取り憑かれたように、どうしても熊駆除反していると思い込む方々、落ち着いて文章が読めない方々。「大論争」などと言う言葉で煽る的外れなメディアにコントロールされないでください。まんまと皆さんが大嫌いな「マスゴミ」の思う壺です。あえて熊画像を貼ったのは、メディアへのアンチテーゼです。 今日はあえて宣言して熊のお話をします。 僕には熊出没で大変なエリアにお住まいの知人や、そのご家族が複数います。皆さん信じないかも知れませんが、確かに外出もままならない状況ではあるけれど、テレビで生中継までして、まるでキングコングかゴジラでも現れたかのような異常な報道に、違和感しかなく、逆に熊が可哀想だと言っていました。 ここまで何とか読んだ時点で、「駆除反対」センサーが作動した方々は、中傷コメントを書きに走ってください。 少し前は猟友会や行政へ見当違いなクレームをしてしまう方々がいましたが、最近SNSで見かける「熊が可哀想」の一言を発しただけの人に群がり、中傷する駆除賛成派の方々も、行政にクレーム電話をしていた反対派以上に常軌を逸しています。 そしてテンプレートのように、お前が引き取れ、保護しろ、熊出没エリアに住め、等々。とにかく「駆除大賛成」ではない方々を次々と中傷するのですが、僕の知人のように出没エリアに住んでいる人でも、駆除大賛成ではない場合は叩かれるのでしょうか?先にコメントを想像すると、「土屋の知人だから頭がおかしい。」あたりでしょうか?ちなみにその人は、賛成ではないが、現状ではやむを得ないと言っていて、同じ心情の方は多いと言っていました。 それと、一つ心に留めていただきたいのは、お仕事として心を込めて熊の飼育をされている方々もいます。あまりに度が過ぎた表現は、そういう方々のお気持ちをも傷つけて否定することになります。  本当に危険なのは、人を恐れていたはずの熊が市街地に現れ、人を襲うになり、熊の生態が変わってきてしまっていることです。熊を殺せば解決ではありません。背後にあるのは本当にシリアスな問題だと思います。 あえてもう一度言いますが、僕は「駆除」「処分」という言葉が嫌いです。幼少期は、自然の中で育ちました。ずっと自然も動物も大好きです。人も動物も自然も、傷つかない世界であって欲しい。 「お花畑センサー」が感知した方々、どうぞ。さあ、騒げ! メディアが切り取るとしたら、上の部分でしょうか?「土屋昌巳 熊駆除賛成派を挑発」みたいにね。メディアにコントロールされるのは、こんな煽りに乗るのと同じです。お気を確かに。
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編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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