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BS朝日「そこに山があるから」 金子貴俊 秋田県 森吉山 前編 標高1454m #TVer# #そこに山があるから# #そこ山# @sokoyama_bsa
BS朝日「そこに山があるから」 そこ山絶景SP! #TVer# #そこに山があるから# #そこ山# @sokoyama_bsa
編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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例えばさ、富士山を目指してる人と 筑波山を目指してる人がいたとして これって一緒に歩くこと無理じゃない? 見てるベクトルが違うから 目指してる場所が違うから まぁ何が言いたいか、分からなくなったけど。とどのつまりそー言うことなんだと思うよ これはオタクもアイドルも目指す目標が違うとそこにギャップが生まれて 心が離れる #オタクあるある#
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以前「地元からでも富士山見える~」とツイートしましたが、そこよりずっといいポイントがあるというので朝の散歩がてら行ってみました。 うわ~‼︎富士山と周囲の山々がメッチャ綺麗に見える!!ヽ( *´ω`)ノ 今朝は空気も澄んでたのも僥倖でした( *´ω`)b
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フォロワーさんに観て欲しいと言われたので、YouTuber山ちゃんと鍵盤演奏者HAYATOさんの対談観ました ちょっとズレてると思った ※お二人をディスりたいわけじゃないです 動画内の過激派と穏健派に分けた分析がある それによると俺はいわゆる過激派に当たるんだと思うが、別に思想を大事にするとも言ってないし、政策実現したくないとも思ってない そんな単純な話じゃない 国民に今の腐った政治に気付いてもらう事が最優先だと思ってる 気づかないと変えられないと思うから 俺は山本太郎がれいわ新選組を旗揚げした本質はそこだと考えている 素晴らしい政策も実現可能性もまずは国民が『気付く事』から始まるから 今いのちの党で矢面に立って実行しているのが奥田ふみよをはじめとする一部の議員たち 議席は増えて欲しいが、誰でも良いわけじゃない 本質を見失わないで欲しいと思った 俺はそういうスタンスです ※これは文句ではなく感想です #いのちの党#
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今週のナイトスクープ3本目は… 「生駒山で助けてくれた命の恩人を探して」 東京都の女性(31)から。今から12年前の2014年夏。私は親友と2人で、歩いて奈良の生駒山上遊園地を目指していた。ところが道中、山道で完全に道に迷い、7時間ほど遭難状態に…。携帯の電波も届かず、どうしていいか分からなくなってしまった。そこで、最後の手段としてヒッチハイクを試みたところ、奇跡的に1台の車が停まってくれた。その車には、お母さんと娘さんが乗っていて、事情を話すと私たちを遊園地まで送り届けてくれた。あの時の親子がいなければ、どうなっていたか分からない。そこで、私たちを助けてくれた親子を探してもらえないだろうか。もし再会できたら、12年越しにきちんと「ありがとう」を伝えたい。乗せてくれた人や車の特徴は全く覚えていないが、ナイトスクープならどうにかしてくれると思って応募した。命の恩人を探すお手伝いをして欲しい、というもの。全く雲をつかむような依頼文に悩みまくる永見探偵。依頼者と当時、一緒に遭難した友人のオチコさんと、宝山寺駅へ向かい聞き込みを始める。だが、ヒッチハイクはよくあるそうで、「それは地元の人ではないか?」と言われ…。そこで、近隣の人たちを集めてもらうも…
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「コントロールできることに集中しよう」経営者なら一度は聞いたことがある言葉だと思う。でも実際は難しい。 景気の動向。 競合の台頭。 生成AIの急激な進化。 Googleの仕様変更。 採用市場。 気になることは山ほどある。ボクもそうだった。 でも振り返ると、成果が出た時は、コントロールできない未来を考えていた時ではなく、今日できる行動に集中していた時だった。 未来は操作できない。でも今日の行動は操作できる。結局そこに戻ってくる。
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『山人 縄文の響きが木霊する』 @ 出町座 7/17 金 〜 7/23 木 連日 ▶︎ 11:20-(12:35終) 昭和28年生まれの菅家藤一さんの、山での暮らしを映すドキュメント。春は芽吹いた山菜を採取し、初夏には山ブドウの樹皮を採って籠などの編み組細工をする。今はやめているが、冬には山の鳥獣と共存する狩猟。 行動のひとつひとつに山と共存する根拠があり、人が自然と共にある豊かさがそこに滲む。
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