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検索結果 それはどこでも起こり得る壊れゆく世界への抵抗
それはどこでも起こり得る壊れゆく世界への抵抗 コミュニティ
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書評コーナー更新🧸📰 #日経新聞# 『界隈経済圏』 #日経BPマーケティング# 『観光を忘れた日本』 #講談社# 『カナシイホトケ』 #みすず書房# 『農業で成功するために本当に大切なこと』 #ダイヤモンド社# 『それはどこでも起こり得る』 #文藝春秋# ※在庫ないものはお取寄せ承ります
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また誕生日を迎えさせていただきました🍎It my happiest birthday today😊 沢山のご心配をおかけしています。 実は活動は休みながらも心身共に毎日忙しくしていました。 そしたら、とてもスペシャルな事が起こり、それは連鎖してゆきました。 私にとって正しい道を進んでいる時ってその「サイン」を幾つか受け取り、実行する。するとその物事の達成が早いです。 正しくない道は異常な事が次々と起こるし、結果がついてこない様です。 今日まで達成できたり幸せに過ごす事が出来たのは皆様の支えと、そのサインを逃さない冷静さと判断力だと思っています。 「貴女が行くところどこでもついて行くし応援する」って言って下さった皆様、大きな前進する力をありがとうございました。 応援がある限りは歩みを進めていきます。 これからも小さな幸せの種子を見落とさないで身の回りの親切な人を一人一人大切にしていく人生にしたいなと思います。 今年もありがとうございました。 来年のバースデーもよろしくお願いします☺️❤️ #Anri誕生祭2025# #沖田杏梨誕生祭2025#
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本日、集団浅慮の読書会@人事図書館に参加いたしました。 名古屋商科大学髙木先生の思考への誘いや、参加者の皆さんの様々な思考を聞く機会があり、1人読書とは違う味わい方を体感できました。 「集団浅慮(group think)」 どこの国でもどんな組織でも起こりうる。集団心理。威力は強大で、一度傾いたら台風の渦のように吸い込まれるように抗いがたい圧力が生じてしまう。 抗うのは難しい。 鍵はチームとしてのゴール・目的、それに合わせた運営方法の言語化、そして一人ひとりへの落とし込みなのかなと改めて感じます。 デジタル・AIで意識付けや習慣化、型化もやりようは多様なのは追い風 集団浅慮の抑制と一体感が持つ強みは相反ではなくきっと両立できる。そんな気がします。 まだ霧の中にいるイメージですが、最終的に答えは現場にしか無いので、また来週から現場にダイブしたいと思います。 髙木先生、@miki_hrdesignさん、参加者のみなさま、ありがとうございました!
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最後の音を切った瞬間、合唱はまだ終わっていない。 会場には、自分たちが歌った終止和音の余韻が響いている。 よく整った和音は、声を切ったあともまとまりを保ったまま静かに消えていく。 ところが、残響が「ワンワン」と膨らんだり弱まったりしながら消えることがある。この揺れが「うなり」である。 うなりは、それぞれの声部が少しずつ高かったり低かったりして、和音が十分にかみ合っていないときに起こりやすい。 歌っている間は声量に紛れて気づかなかったずれが、声を止めたあと、残響の揺れとして聞こえてくるのである。 もちろん、会場の反響が影響する場合もあるので、うなりだけを聞いて「誰かの音程が悪い」と決めつけることはできない。 それでも、和音全体を見直す手掛かりにはなる。 稽古では、声を切ったらすぐに動いたり話したりせず、残響が消えるまで耳を澄ます。 揺れが聞こえたら、最後の音だけでなく、その和音へ入る少し前から歌い直すと、どこで響きが崩れたかを確かめやすい。 終止和音は、声を切った時ではなく、響きが消えた時に終わる。
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うまくいかないときに多くの人はもっと頑張らなきゃと考える。 もちろんそれは間違いじゃないし、 同じチームで努力を積み重ね、競争に勝ちスタメンを掴み取ることはとても素晴らしいことだと思います。 でも、忘れてはいけないのはうまくいかない原因が必ずしも自分の努力不足とは限らないということです。 監督が変われば評価も変わるし、チームが変われば求められる役割も変わる。 環境が変われば自分の良さが突然評価されることだってある。 僕自身プロ生活の中で何度もそういう場面を見てきました。 あるチームでは出場機会がなく自信を失っていた選手が移籍してきた途端にレギュラーになり活躍する。 逆に、別のチームでは輝いていた選手が環境が変わることで力を発揮できなくなることもあった。 それだけ環境の影響は大きいということ。 だから今いる場所で苦しんでいる人に伝えたいのは、 「逃げるな」と言う人もいるかもしれないけど、環境を変えることは逃げることではなく自分の可能性を信じて新しい場所に挑戦する勇気であること。 今いる場所で全力を尽くしたけどそれでもなかなか状況が変わらない。 そういうときは自分を責め続けるのではなく一度環境を変えるという選択肢も持っていいと思います。 景色が変われば出会う人が変わるし、出会う人が変われば評価が変わる。 そして評価が変われば自信が生まれ、その自信があなたの人生を大きく変えていくこともある。 大事なのはどこで頑張るかではなく自分が最も成長できる場所で頑張ること。 サッカー人生で感じたのは、環境を変える勇気が人生を変えるきっかけになることもあるということです。
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もし宇宙人がいたとして… 日本が地球の国の中で、どう素晴らしい国なのかプレゼンするとしたら… 独自の文化…それはどこの国にもある 独自の食文化…それもどこの国にもある 独自の宗教文化…それどこでもある 美しい自然…それもどこの国にもある あ、でも富士山はやっぱりいいよね 治安の良さ…17位でまずまず 幸福度…61位なのでちょっと… 日本にあって、他の国にないアピールポイント… 『日本国憲法』どうでしょう? 得に「9条」はかなり先進的でスゴイと思うんですけど
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「私が成吉思汗について一番書きたいと思ったことは、成吉思汗のあの底知れぬ程大きい征服欲が一体どこから来たかという秘密である」。井上靖は本書について、そう書き残している。歴史小説とは何か。史実とフィクションはどこで手を結び、どこで裂けるのか。『蒼き狼』は、その問いを日本文学史に刻みつけた作品だ。 物語の核にあるのは、テムジン、のちのチンギス・カンの出生の影である。彼の母・ホエルンは他部族から掠奪されてきた女性だった。テムジン自身、自分がほんとうに父イェスゲイの血を継いでいるのか、確信が持てない。だからこそ彼は、モンゴルの伝承にうたわれる蒼き狼の末裔であることを渇望し、血の証明の代わりに行為の証明を、つまり征服を積み重ねていく。井上はそう描いた。 ここでモンゴルの神話に触れたい。モンゴル最古の歴史書『元朝秘史』は、天の命を受けて生まれた蒼き狼と、その妻である白い牝鹿が大きな湖を渡ってきたという起源神話から始まる。蒼き狼と白い牝鹿を祖とするこの伝承は、モンゴル民族の誇りの源泉だった。また、掠奪婚は当時の草原では珍しいものではなく、女性をめぐる部族間の争奪が同盟と復讐の連鎖を生む社会の力学そのものだった。テムジンの母もテムジンの妻ボルテも、掠奪を経験している。井上はこの史実の骨格の上に「自分は何者か」という近代的な自己証明の主題を接ぎ木した。そして、この接ぎ木こそが日本文学史に残る論争を呼んだ。 1961年、大岡昇平が「群像」の文芸時評でこの作品を痛烈に批判した。大岡の言い分はこうだ。成吉思汗が出生の秘密に悩み、蒼き狼の伝承に霊感を受けて大征服を行ったという痕跡は史料のどこにもない。『元朝秘史』で家畜を害う獣として現れる狼を井上は都合よく読み替え、史料にない狼の原理を主人公に背負わせている。これが歴史小説と言えるのか、と。大岡は批判の結びにこう突きつける。「何よりまず歴史を知らねばならぬ。史実を探るだけではなく、史観を持たねばならない。この意味で、井上氏の文学は重大な転機にさしかかっているのである」。井上は自作について反論を書き、大岡はさらに再反論した。戦後文学を代表する二人が一冊の小説をめぐって真っ向からぶつかった。 ぼくはこの論争を、どちらが勝ったかで語りたくない。むしろ、小説家と批評家が全力で衝突したこの緊張そのものが日本の歴史小説を鍛えたのだと思う。争点は要するに、歴史小説はどこまで史実を離れてよいかという一点だった。史実に忠実なだけの物語は年表になる。史実を離れすぎた物語は歴史の衣装を借りた空想になる。その細い尾根を歩くのが歴史小説家の宿命だ。 大岡の批判は史学的にはおおむね正しい。今日のモンゴル史研究の水準から見ても、井上のチンギス像は史実から遠い。だが、それでもぼくは思う。井上は史料の裂け目に「人間の孤独」という光を差しこんだ。出自の不安を行為で埋めようとする人間の業。それは十三世紀の草原にではなく、いつの時代のどの人間の内にもある。自分が何者かを血統で証明できないから行為で証明しつづける。この構図は、身分や家柄が効力を失った近代人の姿そのものではないか。 ぼくらは誰も、生まれによっては何者でもない。だから業績で、実績で、フォロワー数で、自分を証明しつづける。井上が成吉思汗に託したのは、たぶん、近代人の終わりのない自己証明の苦しみだった。だからこの小説は、十三世紀の物語でありながら、読む者の現在に刺さる。 『蒼き狼』井上靖(新潮文庫、新潮社)
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