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前髪ぱっつん風にしたの 1歳くらい若返れたと思うんだけどどう? #よく25歳だと言われます#
はるか彼方前の議事録を遡ったら、ミッドナイトジュンクラブがミッドナイトジュンクラブという名前になる前のメモが出てきた。候補は4つ。当時はどれもいいなあと思いながら名前を考えたけれど、今思うと、やっぱりこれしかなかった!と思う。 ミッドナイトジュンクラブ。 本屋で朝を迎えるという企画は、丸善ジュンク堂書店で働くわたしたちにとって、かなり馴染みがあるものだった。 #丸善ジュンク堂に住んでみる# があったからだ。 おおよそ一年に一回、(エアはもうちょいある)毎回ちがう店舗で行われるそのお泊まり企画に、わたしも当選したいと本気で思っていたりした。 とはいえ、それはあくまでも本好きとして参加したい!と思うからのことで、自分が準備をするとなったら全然話は別です、としか言うまい。 今年、ジュンク堂書店は創業50周年を迎える。 50周年に向けていろんな企画が動く中、「ジュンク堂らしさってなんだろう」と考える機会が何度もあった。 専門書の取り揃えや、ジャンルの豊富さ、ぎちぎちに詰まった背の高い棚。そういうイメージはもちろんあるけれど、わたしにとってのジュンク堂は、ちょっと文化祭みたいなところがある。 それぞれ好きなものも得意なことも違う人たちがいて、「これやりたい」と言う人がいたら、「じゃあやってみよう」と誰かが乗ってくる。 手作り感があって、ちょっと無茶で、でも妙に本気。わたしは中途入社で社歴も浅いからか、入る前に思っていた「書店員」のイメージとは全然違うなあ、とよく思っていた。 イメージと違うと思っていたとは言え。 「ジュンク堂書店50周年を記念して、住んでみるツアー番外編をやろうぜ」という話がでたときは、えっなんかの冗談?と思った。 アイデア出しも冗談みたいで、まるで深夜の大喜利大会。 理工書のコーナーで鳥の図鑑について語り合いながら、鳥を店内に飛ばしてバードウォッチングするとか。 書店員もお客様もみんなエプロンを着用して、本物の書店員をあぶり出す「書店員人狼」をやるとか。 書店中に謎解きを仕掛けてダンジョンみたいにしたい、50周年にちなんで50歳の人を集めてその数を競いたい、希少な古本を持ち込んでもらってハンマープライスで欲しい本を奪いあいたい、休憩コーナーに人間椅子を置いてみたい、超好きなあの作家に来てもらってこんな話を聞きたい。 本をこよなく愛する書店員たちは欲にまみれた大喜利を積み重ね、「朝まで本屋にいる」という話は、どんどん大ごとになっていった。 最初は「何をしたら面白いかな」だったはずなのに、いつの間にか「鳥を店内に放す場合、何か許可は必要なのか」という、人生で一度も想定していなかった問題について考えている。もしうちの店で殺人事件が起こるとしたらだれが被害者なのかとか、本屋で安全にプロレスをするにはどうするかとか、そんなめちゃくちゃなことばかり。 めちゃくちゃなことに真剣に取り組みすぎて、喧嘩をしたこともあった。 毎日ほんとうにヘトヘトになりながら話し合いと準備を積み重ねて、気がついたら夏になった。お前らといるのが、あんまり楽しくて、さ。 昨日、みんなでいろんなものを準備してはしりまわっていたら、なんか文化祭みたいだねえと言われた。 文化祭みたいなドタバタのなかで、「冗談?」と思っていた企画(のうちのいくつかが)今夜、本当におこなわれる。 8月22日、夜9時まであとすこし。 夜は短し、歩けよ書店員! あなたも一緒に夜の果てへの旅へ! 冗談みたいな日は続く。 #ミッドナイトジュンクラブ#
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昨夜、妻と長く話をした。 北海道の故郷に戻ることに決めた。 25歳で投資を始め、気づけば52歳。 資産は12億円を超え、月の収益も十分すぎるほどになった正直に言えば、もう“増やす理由”はない。 東京の物価高が話題になる中でも、派手な生活はせず、今も8年前の車に乗っています。 「必要なものを大切にする」──この考えが投資でも人生でも、一番大事だと感じています。 なぜ情報を無料で公開しているのかとよく聞かれますが、子どもの頃から“先生になること”が夢でした。経済的に困 っていないため無料で公開しています。 投資の世界は厳しい。だが、本質は驚くほどシンプルだ。それを知らないまま、多くの人が遠回りをしている。だから決めた。27年分の投資ノートを整理し、無駄な専門用語を削ぎ落とし、“本当に必要な考え方だけ”を残す。初心者でも迷わず進める形にして、すべて無料で共有する。稼ぐためじゃない。ただ、同じように遠回りする人を減らしたいだけ。 興味があれば、いいねとフォローをお願いします。
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#杉本りいな生誕祭2025# りいなちゃんお誕生日おめでとう🐶♡ 17歳だって!未来しかないね! これからもチームSですくすく育ってねっ そして初!!! 僕とジュリエットとジェットコースター🎢💙 どうでしたか?かっこよくできてたかな? #SKE48# #僕の太陽#
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みなさんに質問。 わたしは毎晩、頭を洗いますが この暑さで、寝ている時間や 今みたいに洗濯物を干したりすると 頭や髪が汗びっしりになります…泣 55歳だし、臭いと周りに迷惑だから 洗いたいんだけど こんなに汗だくになったら もう一度シャンプーしてもいいのかな。 あまりシャンプーし過ぎると よくないかなとも思うし。 ドライシャンプーは、 頭が痒くなるのでやりたくないし。 20分くらい時間あるから 洗いたいんだけど 1日に2、3回頭洗ってる女性 いますか?
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24歳Fカップ保育士兼副業メンエス嬢として働くのぞみちゃんの生活【最初は処女並に痛がっているけれど、だんだん慣れて最後はイきます】 今回登場してくれたのは24歳保育士のぞみちゃん。 めちゃめちゃ美人というわけではないものの、少なくともクラスのトップ5ぐらいに入るぐらいには可愛い。 顔面偏差値でいうと55ぐらい。Fカップのおっぱいを加味すると偏差値60ぐらいはあるんじゃね? ぱっちり二重だし、色白だし。何よりめちゃめちゃ愛想が良い...! インタビューの時は終始笑顔で受け答えしてくれるし、話し方からして癒し系オーラが半端ないです。 その上、のぞみちゃん、自炊もできるらしいです。彼氏に振る舞ったこともあるのだとか。のぞみちゃんの手料理食べたすぎる。 仕事の保育士は、まぁお給料が安いらしく、故に副業としてメンエスでも働いでいるらしいです。 以前登場してくれたれいちゃんも、副業でデリヘル嬢をしとるし、 保育士×風俗って、かなりあるあるな働き方なんだろうなって思います。社会の闇です。 ただぁ!!それはそれでエロくていいですよね...! あなたの身近にいる保育士さんも、もしかしたら副業でエッチなお仕事をしているかもしれませんよ...!! そんなのぞみちゃんなのですが、まぁインタビューで色々インタビューで問診した結果、思いの外健全な子だなと思いました。 ちゃんと保育士として働けてるとことか、恋愛遍歴とか、家族の話とか聞く限りとっても健全。 Xを眺めていると、風俗で働いている人=メンヘラみたいなステレオタイプが刻まれていくすけど、実際にこうやって風俗で働いている女の子の話を聞いてみると、そうでもなく、健全な子も多いんだなって思います。(風俗の仲でも、メンエスが特に闇落ちしにくいってのもあるのかも) 家事はもちろん、育児も得意だろうし、ダブルワークするぐらいのバイタリティもある。 結婚するならのぞみちゃんみたいな子が良いと思います。 で、後半のSEXなのですが、俺のちんこがでかいのか、それとものぞみちゃんの処女膜が復活してしまったのか、最初はめちゃめちゃ痛がります。 そもそも、セックスするのが結構久しぶりらしいです。 正直今回はダメかもしれないと思ったのですが、のぞみちゃんも頑張ってくれてなんとか挿入することができました。 最初の正常位のシーンとか、めちゃめちゃ鳥肌たってるので、割と注目ポイントかもです。 で、最初こそかなり痛がっているのですが、慣らしていくと、だんだん気持ちよくなっていきます。エッチな声で喘いでくれます。これは抜ける(確信) 揺れるFカップのおっぱいも絶景。 まぁセックスシーンはもちろん最高に抜けるのですが、やっぱり現実の社会で、のぞみちゃんみたいな女の子がいるんだよってことが知れてよかったです。 世の中にはこんなに心の綺麗な女の子がいるんだぞ、と。健気に生きてるんだぞと。こんなクソみたいな世の中だけど、のぞみちゃんみたいな素敵な女の子が現実にいるっていうのは社会の希望ですよ。
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闇バイトをやろうとしている方々。 実は私、30年以上前、闇バイトに関わったことがあります。 当時、大学生の時給は800~900円くらいだったのですが、「電話回線の簡単な点検作業で時給1500円」だったので応募しました。 詳細を説明すると長くなりますが、簡単に言うと、「NTTのシステムのバグを利用して公衆電話をハッキングする」という仕事…いや、犯罪でした。 いちおう法学部の学生だった私は、一通り説明を聞いて、機材を与えられて考えてみると、これは偽計業務妨害罪に当たるのではないかと考え、大学の図書館で過去の判例を調べると、マジックホン事件というのが出てきた上、刑事訴訟法の教授に相談すると、電子計算機使用詐欺にも抵触するのではないかとわかりました。 ところが、ここからが問題だった。 時代は平成初期。パソコンを持っている人は少なく、まだポケベルの時代。 NTTのシステムバグを、NTTの人に通報しても、警察の人に通報しても、理解してもらえない。 そもそも、首謀者とどこで出会ったのかを問われ、パソコン通信とかNIFTY-Serveと言っても通じない。 NTTも警察も動かないから、横浜地検に告発状を提出したら、やっと話が警察につながり、捜査することになった。 当時、神奈川県警は私の自宅を訪れて、パソコン通信に接続している様子を見る。私をNTTの実験室に呼んで架電実験を行う。 神奈川大学の先輩に当たる巡査部長が自前のノートパソコンを警察署内に持ち込んで再現実験をするなど、手さぐりの捜査を行った。 当時、私は21歳。首謀者は電子計算機使用詐欺で逮捕された。今なら分かりやすい闇バイトなら簡単に裁判は進むが、裁判官も検事も素人。唯一、被告人の弁護人だけがNTT案件に強いとされる弁護士だった。 刑事裁判は長引き、私は検察側証人として証人尋問を受け、結果は有罪。 当時、電子計算機使用詐欺といえば、銀行の端末を利用して女性が金を引き出して男に貢ぐ犯罪というイメージがあったが、公衆電話からハッキングしてダイヤルQ2事業者に架電させて金を得る行為を同罪で有罪にしたのは日本初だった。 読売新聞が密着取材をしてくれて大きく報道。この事件の詳細は三才ブックスの「裏パソコン通信の本」に掲載されることになった。 その後、大学院に進学した私は、横浜地検に捜査資料の閲覧を求めた。本来はダメだけど、「複写はしない」、「修士論文に使うだけ」、「電磁的記憶媒体の証拠の取り扱いについてのみ」ということを約束して閲覧を許された。 で、何が言いたいか。 私はこの事件で得た「電磁的記憶媒体」、つまり当時のフロッピーディスクに落としたNIFTY-Serveのログの証拠調べ方法についての修士論文を書いたのです。 当時、この証拠調べ方法は、A説・B説・C説があり、有名な民訴学者がA説とB説で論争を繰り広げていたのですが、私はC説が正しいのではないかということで、指導教授と対立してしまい、ものすごく悩んでいました。私はC説を主張していた、元裁判官の夏井高人教授に直接メールを送って「私はどうしてもAB説が信じられず、C説が正しいような気がする」、「現に横浜地検はこういう証拠を出していた」と相談したところ、「そんな事件があったのか~い」と驚かれたのでした。 で、いつもの学歴話になる。 私、この一件で、新しい技術について、理系の人はよくわかっていても、文系の人はついていけないことが多く、それは大学教授であっても、裁判官であっても同じってこと。 私が必死に「あれはああいう犯罪で」と説明しても、NTTも警察も問題だとは思わず、後から「うさん臭いビジネスに加担するおまえが悪い」と説教してくる大人たちがいたのです。 で、私は思う。 ここに出てきた登場人物の中で、犯罪ではないかと気付いたのは、まだ神奈川大学の学生だった俺じゃないか。NTTも警察も裁判官も検事も、私が口で説明しても、何の疑問も持たなかったじゃないか。 まともに話ができたのは、神奈川大学の先輩に当たる知能犯係のH警部補だけだったじゃないか。 警察・検察・裁判所が動いて、判決ができてから、教授のみなさんが「あれは詐欺事件」みたいに、後づけで研究対象にするのを見て、学歴ってアテにならないんじゃねーの?…と思った次第です。 長文ごめん。 ちなみに、この一連の事件で、一番金をくれたのは、三才ブックス。原稿料が良かった。10万チョイ。 次が裁判所。検察側の証人尋問30分で3800円。 読売新聞の記者は、2回くらいランチをおごってくれた。 神奈川県警はお茶とアイスクリーム。 NTTはノベルティグッズ。 でもまぁ、お金ではないけれど、大学院の修士論文のネタという意味では、100万くらいの価値はあったと勝手に査定する。 元祖「闇バイト」の私。詐欺の片棒をかつがされたものの、結局お金は貰っていないし、騙されていることがわかってすぐに通報したので、被疑者にはならなくて済みました。ただし、調書に「重要参考人・松本肇」と書かれたのを見た時はドキっとしたよ。 ちなみにその被告人。未決拘留は10月。詐欺事件については初犯だったため、懲役1年6月、執行猶予3年の刑でした。 長文ごめん。
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編集長コラム・伴侶が封じた詩 私が知る祖父は、穏やかでお茶目な人だった。 絵を描くこと、山を歩くことが好き。横浜の祖父母の家に遊びに行くと、大学生の私に「ほら、これ素敵だろ」と、山で拾ってきた石ころをくれた。太極拳の道場では、師匠の指導を無視。独自の舞を繰り出して楽しむ。そんな人だ。 祖父が亡くなった後、祖母から昔語りを聞くようになった。そこには、私の知らない祖父がいた。 祖母は祖父よりも20歳近く年下。満鉄の理事をしていた父、後にイエール大学で博士号を取る兄ら「エリートの家族」で育ったが、20歳そこそこで祖父と出会う。祖母いわく「脱線した」。祖父には、戦前に別れた妻との間にもうけた息子がいて、祖母の親は「苦労する」と反対した。 それでも、「好きになっちゃったんだから仕方がない」。祖母は家を出て、結婚を強行した。 祖母にとって、驚きの連続だった。 同居する祖父の妹が、進駐軍の将校たちを相手に横浜でクラブを営み、家計を支えていた。その妹は、戦時中は上海でクラブのママをしながら、日本軍のスパイとして情報を集めていた。祖母には「お客の米軍の将校に、私がスパイだったことがバレたら大変だから、ヒヤヒヤする」と言った。 大体、祖父が戦前に何をやっていたかがよく分からない。どうやら思想を取り締まる「特高警察」に目をつけられていたらしい。祖父の叔母が、横浜の港から恋人とソ連に亡命した際、祖父が連絡役を務めたことがきっかけだった。 逮捕、勾留された経験もあり、その時のことを祖父は短歌にしている。 あやまちしとは思はねど鉄窓のある室に入れられればかなし 負けるかと歯噛みしあれど鉄の扉に鍵かける音が身に沁みにけり 吾が智慧に思ひあまりて堪えるなしつめたき壁に指触れてみる 指触ればしみじみ寒し留置場の壁隣りの室におんなの声する 吾がためにひとりの母は髪切りて二月の夜半をお百度踏み給ふ 天地のめぐみをうけしうしし世にここだ鉄窓を仰ぎつなくも 耐えてきし男の涙こらへられず母にだきつきて声をあげて泣く ▽「総てが自分の滅びる姿を賭けている」 戦後も祖父は、権力に対する反抗心を持ち続け、出版の仕事を手掛けていた。作家相手に「信念を曲げてまでカネになる作品を書いて恥ずかしくないのか」とけんかばかり。「信念を曲げるくらいなら飢え死にした方がましだ」とまで言った。 だが祖母は構わなかった。むしろ、そういうところに惚れていた。自分が洋裁の仕事で家計を支えるから、嫌な思いをしてまで働かなくてもいいと伝えた。実際、祖母が一家の食い扶持を稼ぎ続けた。私が「おじいちゃんは恵まれ過ぎだな」と羨ましがると、祖母は「金銭的な支えがあるより、心の支えがあった方がいい」と言っていた。 ただ祖母は、共に人生を歩むのに当たり、一つだけ条件を出した。 それは、詩を書くのはやめるということだった。 祖父は詩作をライフワークとしており、戦後も自分が編集・発行人となって『第一書』という詩集を、詩人仲間と共に出版していた。1951年の『第一書』では、「火花の匂い」という詩を発表している。 無慈悲な倦怠と悔恨家たちのために 腐った階段を降りる救世者 酔いどれた最高の地図の前で 人間の乾いた心は火のように息苦しく 白鳥の背に乗った明徹な像は ふたたびこの湖上には還らない 貧しい者は貧しさのまま 傷は傷のまま 権力は王座に眠ったまま 白い紙の鏡はうつろな眼の中で 力学の陰惨な壁に汚される 痛ましい渇望と拙棄と灰の底で 冷酷な火薬に嘯き ああ 総てが自分の滅びる姿を賭けている 祖母は祖父の詩に「気が滅入る」と感じた。自分と暮らすならば、詩を書くのだけはやめてほしいと願った。 伴侶からの願いを受け入れ、祖父は詩作を封じた。 ▽「お前との暮らしがあるだけだ」 1枚の写真がある。祖父母が羽田空港で写した写真だ。戦後しばらくは同居していた祖父の妹は、クラブに来ていた進駐軍の米国人と結婚して渡米。祖父母の家に遊びに来ていた妹が、米国へ戻る際に羽田空港まで見送った。その際に撮影した祖父母のツーショットだ。写真には祖父の言葉が添えられている。 「愛という言葉は知らない。お前との暮らしがあるだけだ」 祖父が亡くなった直後には、祖母の元に手紙が届いた。祖母は「お化けかと思った」とおどけていたが、ふたりが筑波万博へ出かけた際、10年後に届く手紙として祖父が祖母あてに投函したものだった。手紙は「僕はもうこの世にいないだろう。淋しくないかい」で始まり、「僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。ありがとう」と感謝の言葉が綴られていた。 詩作を封じ、愛する人との暮らしを第一に人生を送る。覚悟ある祖父の決断であり、それを最後まで貫いたのは立派だと思う。 しかし同時に、「今の時代を祖父があの世から見たらどう感じるだろう」と思う。政治権力は好き勝手に振る舞い、弱い立場の人が苦しんでいる。戦争の足音が近づいている。権力に抗する表現活動をやめたことを、祖父は後悔していないだろうか。 1949年1月に発行された『第一書』の編集後記で、祖父はこう綴っている。 「前途には希望的な何ものをも見いだし得ないが、この絶望は、人類そのものへの絶望ではない。人為的なからくりに対する憤怒であり、闘魂である。広島、長崎のむごさは、人間に共通する原罪であり、悲哀である。反省である」 「僕らは個の平和を求め得られないことを知っている。僕らの可能は、全人類への信頼と愛情である。戦争がどこで起ころうがそれは僕らを放ってはおかないであろう」 祖母は生前、私に「おじいちゃんに似ている」と言っていた。 だが私は、ペンを手放さない。書き続ける。
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ほぼ徹夜でも時差ボケにならないために昼寝せずに初日は歩き回った! アラモアナで長女のお目当てのヴィクトリアシークレットや、家族へのおみやげを購入し、気づけば2万歩歩いてた今日。 寝不足もあり私は途中足がつったんだけど、長女は足がつることを経験したことがないと言っていて歳の差を感じた。笑 若いっていいですね…🥹 そんな長女もホテルの部屋に帰ってきたらそのまま寝てしまって、私はシャワーや洗顔などもバッチリ済ませての今なので、総合的な体力では負けてないかもしれない😎 アラモアナでも半分は自分たちのもの、残り半分はわが家の男子達へのものを探したり買ったりだったので、離れても結局彼らのことばかり考えてるのかもしれない。 半日前のフライト予約ミスによる顛末は、もし夫だったらこんなことにならなかったのに…としっかり者の夫を恋しがってた。 けど、夫が予約した数年前のある時には、羽田発と思い込んで早朝に羽田に行ったら実際には成田発で、5人全員分の航空券が台無しになって搭乗口でキャンセル待ちして別々の飛行機で目的地に向かう、ということも経験している。笑 そういう自分もやりそうなミスにはお互いキレたり責めたりせずに、うわぁ…涙、って一緒に凹んで励まし合ってきたので、今回も夫は遠隔からサポートしてくれてありがたかった。 そんな大きなミスをした挙句に、私はお気に入りの日傘をタクシーに忘れてきて紛失してしまって、さすがに…と自分のダメさに凹んでいたら、普段無くしものを私以上にする長女が「私もよくやる」と励ましてくれて、ダメさや弱さは優しさにもなると体感。 ダメじゃないほうがいいけど、ダメな場合は人に優しく助け合うしかないね。 明日はミスを起こしませんように…🥹🙏 身も心も疲れたからたくさん寝よう💤
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