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#NLNL2# 仙台公演!ありがとうございました🎄クリスマスイブにライブができるのはテンション上がりますね🤣今日は #イケ兄4# バンドでした。全ての写真にキャラですぎてて愛おしいです。笑笑 赤ニットとデニムの私服を着てきたら、ドラムスさっしさんとペアルックになったので記念に。🤣またくるよー!!
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【停電解消も…断水・テントでの避難生活続く】 | ▼スーパーに電気届かず… 九州電力は熊本県内の停電解消を発表 しかし、熊本・氷川町のスーパーではブレーカーをオンにしても電気がつかなかったという ファミリーフードありさ宮原店 吉田翔太社長 「電力会社の人が『この辺、復旧してきている。確認お願いします』と。まだつかなかった」 「すぐそこがついた『じゃあうちもか』と。そろそろかなと思ったのですけど」 九州電力は午後5時前に高圧配電線への送電が完了したと発表 →地震の揺れで建物への引き込み線などが断線した可能性 店内では水やカップ麺など日持ちのする商品を並べて販売を継続 ファミリーフードありさ宮原店 吉田翔太社長 「自分にできることはあまりないので、できることをやっていこうかなと。少し販売していこうかなと」 ▼市民の間では“支え合い”も 熊本・八代市内の民家では井戸を開放し、井戸水を24時間無償で提供 井戸を開放 吉田さん 「おじいちゃんがもしもの場合に備えてつくった。お役に立てているからありがたい」 「電気を使ってポンプで揚げているので、電気代は恐ろしいけど、命に代えられないので。大好きな地元がこんなになって。とりあえず健康でいてほしいし。健康でいないといけないから」 市の給水所は午後7時まで1回5Lの制限 八代市では県内最多の約2万5000戸で断水 →復旧のメド立たず 井戸水の利用者 「何本も大丈夫というのは、あまりないので助かります。(給水所は)何リットルとか制限が多いので。市内に行くほど人も多いので仕方ないと思う」 別の利用者 「本当にありがたいです。全然(水が)来てないので」 ▼灯りが戻っても続くテント暮らし 熊本・氷川町で家が被災した人は横になるために砂利の上にマットを敷いて過ごす 白丸弘幸さん(71) 「母で92歳、兄で75歳、姉で80歳」 (Q.横になっても背中や腰は痛い) 「痛みはあると思います。痛くなったら椅子に座っての繰り返し。熟睡はできない」 母のレイ子さん(92)は心臓にペースメーカーを入れていて、高齢者や障害者を受け入れられる設備が整った福祉避難所に身を寄せたいと考えるが… 白丸弘幸さん(71) 「何回電話してもつながらなかった。話し中。つながっても切れちゃう。電波の調子が悪い」 日中は木陰で過ごし、車のガソリンを節約しながら冷房を使用 母 レイ子さん(92) 「お風呂入れないのが今。タオルをお湯で濡らして拭くぐらい。拭かないより良い。拭いた後は気持ちが良い」 白丸弘幸さん(71) (Q.何に一番困っている) 「やっぱりガソリン。ガソリンがあればエンジンかけて100Vの電源使えるから。やっぱりガソリンがないと何ともならない」 「電気が来たからと言って、家の中でやることは何もできない」
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『フォールガイ』鑑賞。スタントマンにオスカーを!スタントマンを引退したはずの男がとある事件に巻き込まれ…。スタントマンに最高のリスペクトを込めた、超絶アクション映画。様々な映画のオマージュ、カメオ出演がとんでもなく粋。そして、マヌケに見せかけた爆イケゴズ兄を拝める今年最高の一本。
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【六本木「UNJOUR TOKYO」りこ】 実家から片道2時間のキャバクラ通勤経て上京「お金のために自分を犠牲にしない」 夢を叶えるための“メリハリ術” これまでの人生で一番辛かった経験 「大好きだったおじいちゃんが急に体調を崩して入院した時、神戸から愛媛へ顔を見に帰ろうとしたんです。でも、帰る途中の朝におばあちゃんから電話があって亡くなってしまって…。何年も会えていなかったから、最後に会えなかったのが本当に悲しくて。今いる人とはいつか会えなくなる時が来るから、時間を大事にしないといけないって強く思いました」「お兄ちゃんも去年、急に亡くなってしまって…。本当に悲しすぎました。時間はかかりましたけど、『とにかく頑張らないと』って気持ちを奮い立たせました」
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私の生まれた村では春になると山から小さな獣が降りてきた。 大きさは野兎ほど。ずんぐりした丸い体は翡翠色の被毛に覆われ、そこから短い手足が申し訳程度に生えていて、一見すると大きな毛玉のようだった。 そいつが畑を横切った翌朝には凍土が柔らかくなり、川辺で眠れば氷に亀裂が走り、身体についた雪を払うように身震いすると梅の蕾が開いたので、村の者はただ「春」と呼んでいた。 春。春。春。 祖母の話では昔、春は捕らえるどころか追い払うことさえ禁じられていたという。 納屋へ忍び込んで干した大根の葉を食べても黙って見過ごす。 「春に粟を食わせれば秋になれば太い米になって戻ってくる。小さいけれどありがたい神様みたいなもんだ」と祖母はよく言っていた。 私が十二になった年、父が鉱山の落盤事故で死んだ。 職場から出た見舞金は葬式と借金でほとんどなくなった。 母一人の稼ぎで私と弟を養うのは難しく、夕食の粥は日を追うごとに薄くなっていった。 それでも弟は飯を食い終えるたび「うまかった」と満足そうに笑った。 もう一杯ほしいと言ってはいけないことをまだ六つの子供なりに知っていたのだろう。 二月。 ある朝、納屋で物音がするので戸を開けると、藁の上に春がいた。 干してあった大根の葉を前脚で押さえ夢中で齧っていた。 足元だけ雪が融け、黒い土から小さな草まで芽を出していた。 昔話の中にしかいないと思っていた小さな神様が家にきてくれたことが嬉しくて誇らしくて私は急いで母を呼んだ。 母は春を見るなり私を納屋から追い出し「誰にも言うな」と言って戸を閉めた。 納屋から出てきた母はそのまま「町に行く」と言って出て行き、空が茜色に染まる頃、籠いっぱいに食べ物を詰めて戻ってきた。 母は言わなかったが、春を捕らえて町で売ったのだろう。 私もそれくらい分かる程度には卑屈で大人だった。 その晩、私たちは久しぶりに白い米を食べた。 弟は嬉しそうに飯を頬張り、私も二杯食べた。 それが何より堪えた。 春を売って買った米が、腹の立つほどうまかったのである。 罪悪感で喉を通らないのならまだ救いがあったのかもしれないが、温かい飯が胃へ落ちるたびに、体がもっとよこせと喜んだ。 翌朝、納屋へ行くと春が眠っていた場所だけ雪が融け、その真ん中に黄色い花が一本咲いていた。 私はしばらく眺めたあとその花を踏み潰した。なぜそんなことをしたのかは今でもわからない。 その年は五月近くまで雪が残り、畑に種を蒔いても芽が出なかった。 弟は風邪をこじらせて寝込み、そのまま坂を転げ落ちる様な勢いでやつれていった。 死ぬ二日前、弟は布団の中から窓を見て、 「兄ちゃん、今年は春が遅いね」 と言った。 私は「もうじき来る。その証拠に川向こうのお寺の梅が咲いていた」と嘘をついた。そのころにはお前も起きられるようになると、訊かれてもいないことまでペラペラと話した。 弟はそのまま安心したように眠り。そして死んだ。 私は春が来ない理由を知っていた。 時折あの冬へ戻れたとして、私は母を止められるだろうかと考えるが、どうしてもできないのである。 あの金がなければ弟はもっと早く死んでいただろうし、私もあるいは口減しに捨てられていたかもしれない。 誰が悪かったのだろう。 春を見つけ母に報告した私なのか、春を捕らえて売った母なのか、買った商人なのか、みじめな貧困そのものか。 考えれば考えるほど悪人の顔はぼやけていき、最後には雪の中に春の死体だけが置かれているような気がした。 罪悪感と後悔からか、今でもあの冬の事を思い出し「春を売った金で買った飯など食わぬ」と籠を叩き落とす気高い自分を夢想することがある。 けれど、そんな私の後ろにはいつも腹を空かせた弟がじっと立っている。 だから私は何十年経ってもその先をどうしても考えることができない。
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イケサンパークと中池袋公園遠いのよなぁ😭