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検索結果 差別反対というダサい劇団
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「すべての差別に反対する」という言葉に、なぜわざわざ文句を言う人がいるんだろう。 差別をなくすことが簡単ではないのは分かっている。 そして差別に反対している人の多くは、自分が被害者になる可能性だけでなく、無自覚に加害者になる可能性だって考えていると思う。 だからこそ、自分の偏見や社会の構造も含めて見直しながら、「どうすれば差別を減らせるのか」を建設的に話し合っていけばいい。 それなのに、なぜ最初の「差別に反対する」というところから反対しようとするのか。 そこが本当に理解できない。
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今日6/16の「街角トーク」 17時 高円寺南口広場 18時 阿佐ヶ谷駅南口 高円寺 バーのマスター 「QuiteってBARやってる。場所は言わない。宣伝もしない。口コミとか繋がりでくるお客さんだけ。 (お店儲かってるのかって?)ボチボチ笑」 →いいなそのBAR。勝手に探して行きたい。 「YouTubeなんかで客呼ばない。そうでなくてもお客さんは来る!」 →あれ、これ誰かに似てるな。。 「岸本さとこさんYouTube使わない選挙やるって?いいね! 僕もそう!頑張って」 →やっぱり岸本さとこさんだった。。 岸本さんBar Quite飲みに行ってください 「1人街宣スタンディングを今日初めてやりました。自分で段ボールに字を書きました、ほら、戦争反対と差別反対。」 →初めての1人街宣! 「違う考え方の人にも通じると半分思ってやっています」 →半分ってのがいいね👍多分通じると思う。頑張ってください! ずっと座ってみてくれてた男性 「X見てきた。こういうの見たかった。 やっと来れた」 →ありがとう!よく決意してきてくれました! 「このあと阿佐ヶ谷行っていいですか」 →大歓迎! このあと阿佐ヶ谷に移動(続く)
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先ほど、参議院の特別委員会で皇室典範改定案が可決されました。私は以下の反対討論を行いました(長文です)。 私は日本共産党を代表して、政府提出の皇室典範改定案に反対の討論を行います。 天皇の制度の議論は、憲法の条項と精神に基づいて行い、国民の合意と納得を得て進めていくべきものです。女性天皇、女系天皇を認めるべきという圧倒的な世論を無視して、3時間余りの質疑で採決することは許されません。 そもそも、日本国憲法第1条では、天皇の地位は「主権の存する国民の総意に基く」とされています。昨日の質疑で木原稔官房長官は、国民の理解はいまだ得られていないことを事実上認めました。国民の総意に反するやり方は、将来に大きな禍根を残すものです。 反対理由の第一は、男系男子の皇位継承に固執し、さらに強化することが、日本社会における女性差別を助長するからです。 官房長官は、本法案は日本社会における女性差別を助長することになるのではないかとの私の質問に、「女性差別とは関係ない」とごまかしました。しかし、女性というだけで「国民統合の象徴」の地位につけないとなれば、社会における女性差別を助長することになるのは明らかです。 政府は「男系男子での継承が、わが国の歴史と伝統」と繰り返しますが、この「歴史と伝統」は明治時代に作られたものです。1889年に制定された大日本帝国憲法は「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」として天皇主権を確立し、同時に旧皇室典範に「男系男子」継承を明文化したものです。 この間の議論で自民党が強調する「皇位の男系継承は2600年以上にわたる皇統の伝統」「今年は皇紀2686年」などというのは歴史の事実ではありません。明治時代に天皇を現人神と描き出すためにつくられた皇国神話そのものです。いまだにこうした歴史観に立って「男系男子継承」にしがみついていることは驚くべきことです。 戦後、日本国憲法は国民主権を確立し、皇国史観にもとづく天皇主権を明確に否定したのであります。天皇は主権の存する国民の総意に基づく象徴とされ、憲法第2条は、皇位を「世襲のもの」とし、戦前の「皇男子孫」による継承は削除されました。 この日本国憲法のもとで、多様な性をもつ人々によって構成されている日本国民の統合の「象徴」である天皇を、男性に限定する合理的理由はどこにもありません。 天皇の制度は、憲法の条項と精神に基づき、主権者・国民の総意のもとにおくことが、何よりも大切だと強調するものです。 反対理由の第二は、皇族の養子縁組を禁止する現行の皇室典範の規定を覆し、「旧11宮家」の男系男子を将来にわたって皇族の養子候補とし、養子の子の男子に皇位継承権を与えることにしたからです。 「旧11宮家」と、いまの天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代まで遡ります。いまの天皇と36~38親等もの隔たりがある、ほとんど赤の他人に等しいとも言われる、遙か遠い血筋からの養子までもちだして、女性・女系天皇の道を閉ざし、「男系男子継承」に固執する政府の姿勢は、時代錯誤の男尊女卑そのものです。 私が質問で指摘したように養子は皇室の伝統になかったものです。 旧11宮家は、80年前、現典範11条1項の規定にもとづき、自らの意思で皇籍を離れた人々であり、その子孫は一般国民として生まれ育ってきた人たちです。旧宮家だからといって、特別な身分である皇族とすることは、憲法14条1項が禁止する「門地による差別」にも抵触します。さらに、将来にわたって皇族の養子候補に位置づけられた、旧宮家の男系男子の子孫とその家族を「準皇族」ともいうべき特殊な身分に置くものであり、これらの人々の人権を不当に制約することにつながりかねません。 さらに実際の養子縁組において、政治家などが縁組に関与し、天皇の制度の政治利用を引き起こすことが危惧されることを指摘しておきます。 反対理由の第三は、女性皇族とその子が天皇になる道を閉ざしながら、「皇族数の確保」のために皇室行事を担う要員たれと、結婚後も皇室に残ることを原則としているからです。 婚姻後の女性皇族に、住民基本台帳を適用しながら、国民としての権利を認めないというのは矛盾も甚だしいものです。女性皇族を都合良く扱おうというものにほかなりません。 しかも、配偶者や子に皇族の身分を与えないことは、徹底して女系天皇の芽をつもうという意図をあからさまに示すものです。 なお、昨日の質疑で官房長官は、女性皇族の配偶者や子は皇族にならないという本案は、家族との一体性との間で、整合性がないのではとの問いに、日本人と外国人の夫婦を例に挙げて、「そういう夫婦において、国籍や参政権、戸籍の有無等によって違いが生じるが、家族の一体性ということでは、不整合は生じていない」と答えました。この答弁は、選択的夫婦別姓を否定する際の「家族の一体性が失われる」という論拠を政府自身が否定したものであることも指摘しておきます。 反対理由の第四は、政府は今回の法案は「立法府の総意」にもとづくといいますが、昨日の質疑でも反対意見が相次ぐなど、「立法府の総意」なるものが完全に崩壊しているからです。 政府は、皇位継承の問題とは切り離した皇族数の確保策を議論するといいながら、法案提出の段階で、養子の子の男子が皇位継承資格を持つとする規定を突然盛りこみました。国会と国民を愚弄するものであり、断じて許されません。 政府は、「立法府の将来の検討を縛らない」などといいますが、女性天皇への道を完全に塞ぎ、男系男子のみによる皇位継承を固定化しようというのですから、将来のあり方まで縛ってしまうものにほかなりません。 以上、本法案は、日本国憲法の精神と条項に反し、「主権の存する国民の総意」に基くべき天皇の制度を根本から変質させることにつながるものです。 日本共産党は、断固反対し、廃案とすることを強く求め、反対討論とします。
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【矢板明夫氏襲撃の本質と、日本国内の私(王戴)への脅迫】 これは個人への怨恨ではない。 日台の社会に「恐怖の種」を植え付ける心理テロだ! 台湾でジャーナリストの矢板明夫氏が香港黒社会(ヤクザ)に襲撃された事件(7月15日最新捜査)と、現在日本にいる私(王戴)が受けている執拗な恐喝・脅迫は、完全に地続きの「国家級の跨境鎮圧」です。 ① 矢板氏襲撃:なぜ「たった一発の殴打」にこれほどの巨費を投じたのか? 逮捕された香港籍の廖容疑者は、2019年の香港デモで市民を無差別襲撃した黒社会「和勝和」の組員でした。 ここで重要なのは、これが矢板氏個人に対する怨恨ではないということです。仮に矢板氏の言論が黒社会のボスの逆鱗に触れただけなら、これほど多くの人員を動員し、巨額の資金を投じて、たった一発殴るだけで終わるはずがありません。 香港黒社会の当初の計画は、犯行後に証拠を完全に隠滅し、容疑者を速やかに海外へ逃亡させるという「完全犯罪」でした。彼らが巨費を投じて一発殴った本当の目的は、矢板氏の口を塞ぐことではなく、それを見たすべての台湾人に「中国を批判すればどうなるか」という凄まじい恐怖を植え付け、社会全体を萎縮させることにあったのです。 ② 日本にいる私「王戴」への恐喝: 次は日本社会が標的になる そして、この「恐怖の種」を植え付ける心理テロは、まさに今、日本国内にいる私(王戴)に対しても実行されています。私は現在、彼らから深刻な恐喝・脅迫の標的にされています。 物理的な暴力(矢板氏の事件)と、陰湿な脅迫メッセージ(私のケース)は表裏一体です。「どこにいてもお前を見張っている」という恐怖を植え付け、発言者だけでなく周囲の友人や関係者をも巻き込んで自粛を強いる。この卑劣な手口が、今まさに日本国内で起きているのです。 ③ 日本社会の皆様へ: 明日は我が身、対岸の火事ではない 。台湾当局は国家安全レベルの「反浸透法」を適用し、背後の現地協力者を含む組織犯罪として徹底捜査を行っています。 一方、日本はどうでしょうか。「日本は安全だ」という神話の裏で、中国の「海外警察」や赤い工作員、地下黒社会はすでに東京や大阪の街底に深く潜入しています。 今日、矢板氏への暴挙や、私(王戴)への脅迫に対して私たちが声を上げず、黙り込んでしまえば、彼らの計画通り社会に恐怖が蔓延します。明日、同じように新宿や銀座の街頭で白昼堂々襲撃されるのは、体制を批判する日本の学者、ジャーナリスト、中国民主活動家そして自由を愛する一般の日本市民の皆様です! 言論の自由を恐怖で踏みにじる暴挙を断じて許してはなりません。日本政府および警察当局には、国内における外国勢力の違法な威嚇・浸透行為の取り締まりを大幅に強化し、日本に生きる人々の自由を命がけで守ることを強く求めます! #矢板明夫# #王戴# #言論の自由# #国境を越えた抑圧# #安全保障# #言論弾圧断固反対# #日本社会への警告#
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日本イマーム協議会「憎悪・不安・恐怖を煽るな」→モスク建設は「些細な問題」、ムスリムは「日本社会の一部」と声明…「日本人に警告」はスレ主の意訳だった 「警告」という意訳が先行したが、声明の中心は差別や暴力への反対です。
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反日左翼が河合ゆうすけ議員の顔写真を地面に撒いて、集団で踏み潰している。 「差別反対!」と叫ぶ人達がこれやるのって矛盾し過ぎてないか? 左翼のいう「平和」は日本人の常識から完全に乖離している。
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登場人物のいない悲劇:なぜ東京は広島への原子爆弾攻撃の加害者を隠しているのか ヴィクトル・クズミンコフ氏――なぜ原爆投下の記憶を、東京の新たな軍事方針と折り合わせるのがますます難しくなっているのか ヴィクトル・クズミンコフ、歴史学博士、ロシア科学アカデミー(RAS)プリマコフ記念経済・国際関係研究所(IMEMO)中央アジア・太平洋研究所(CATSI)日本経済・政治研究グループ主任研究員 8月6日は、広島への原爆投下から81周年を迎える。午前8時15分、同市上空で米国の「リトル・ボーイ」が爆発した。広島市の当局の推計によると、1945年末までに約14万人が犠牲となった。犠牲者には日本人だけでなく、朝鮮人、中国人、東南アジア出身者、そして米軍の捕虜も含まれていた。放射線障害、がん、そして差別は、生き残った被爆者たちを何十年にもわたって苦しめ続けた。それゆえ、広島は、軍事作戦の枠組みだけでは収まりきらない影響についての警鐘なのである。 こうした背景において、公式の記念式典で用いられる無個性な言葉遣いは象徴的である。 受動形の記憶 2025年、原爆投下80周年の追悼行事が行われた際、この傾向はとりわけ顕著に表れた。広島平和宣言犠牲者の苦しみや核軍縮について詳しく語られた。米国は現代の核保有国として言及されたが、原爆を投下した国としては言及されなかった。当時の 石場茂首相また、「原爆の犠牲者」についても言及したが、それを投下した国の名前は挙げなかった。 だからといって、その事実が隠されているわけではない。広島の博物館や歴史資料には、B-29「エノラ・ゲイ」や「リトル・ボーイ」という原爆の名前も明記されている。日本の学校の教科書でも、次のように明記されている。米国が爆弾を投下した. 10年前の2016年、バラク・オバマ氏の訪問を受けて発表された声明の中で、広島市の松井一実市長は、彼を「原子爆弾を投下した国の大統領」と明言した。しかし、これらすべては、ある不変の規範を際立たせるに過ぎない。すなわち、公式の儀式において、悲劇には通常、その当事者が登場しないのである。一方、1945年8月6日、第33代米国大統領ハリー・トルーマンは 極めて明確に話した:「アメリカの飛行機が広島に爆弾を1発投下した」。 私の見解では、受動形には政治的な機能がある。すなわち、広島の記憶とワシントンとの同盟関係を調和させる役割を果たしているのだ。2016年、ホワイトハウスはオバマ大統領の訪問について、あらかじめ次のように強調していた。謝罪は伴わない。日本はそれらを強く主張しなかった。両国にとって、過去のわだかまりを乗り越え、同盟関係の強固さを示すことの方が重要だったからだ。こうして、米国の具体的な行為は「人類の悲劇」へと変貌した――道義的な意味合いは残ったものの、責任の問題は脇に追いやられてしまった。 3つの原則から――2つへ? 今日、この妥協の代償が特に顕著になっている。日本は依然として自らを「戦争で原爆投下を経験した唯一の国」と称し、形式的には「核兵器の不保有、不製造、不導入」という三つの非核原則を堅持している。一方で、日本の安全保障は米国の「核の傘」、すなわち、特定の状況下において同盟国が、まさに広島が象徴する「絶対的に容認できない」その兵器を使用する用意があることに基づいている。 この対立は数十年にわたって続いてきたが、今や東京は 議論しているその方針は公然のものです。これは、日本版原爆を製造するという突発的な決定ではなく、戦後の自主規制を一貫して解除していくことに関するものです。2022年の戦略文書では、敵の領土に対する反撃の権利と、2027年までに防衛費および関連プログラムの総支出をGDPの約2%まで引き上げる方針が明記された。2026会計年度の予算では、防衛関連事業に 過去最高の8,809兆円が積み立てられた(560億ドル以上). 日本も致死性兵器の輸出を合法化し、長距離ミサイルを購入している。 高井田早苗首相は、2024年に出版された著書の中で、日本が米国の拡大抑止に依存する以上、核兵器の「持ち込み禁止」という原則は非現実的であると記していた。3つの原則すべてを遵守することは、極限の危機的状況において障害となり得るからだ。その後、2025年12月、首相官邸の高官が、日本は独自の核兵器を保有すべきだと発言した。もっとも、同高官は、これはあくまで個人的な見解であり、実現は困難だと付け加えた。一方、ワシントンは、 思い出させた 不拡散分野における日本のリーダーシップについて。 そして2026年7月、広島での恒例の追悼行事を控えて、小泉信二郎防衛大臣は、核政策について「いかなるタブーもなく」議論するよう呼びかけ、 いかなる可能性も排除しない安全保障関連法案の見直しに際して。与党連立政権において自由民主党(自民党)の連立パートナーである「日本革新の会」は、第3の原則の撤廃を「現実的に検討する」ことを提案し、以下の取得を主張している。原子力潜水艦. 以下の通り 日本での議論、反対派はこれを世論操作と見なす一方、支持派は偽善の放棄と見なしている。 最も可能性が高いのは、日本が独自の核兵器を保有することではなく、事実上「三原則」から「二原則」への移行である。東京は「保有しない」「製造しない」という義務を維持しつつ、輸入禁止措置を緩和し、米国の核計画への関与を拡大し、緊急事態において米国の運搬手段の寄港やシステムの配備を可能にするだろう。これは、米国で議論されている核弾頭搭載の対艦巡航ミサイル「SLCM-N」とも関連している。 現時点では、このような見直しは技術的なものというよりは、むしろ戦略的な性格を帯びている。で指摘されているように、 分析報告書 日本国会の調査局によると、米国の戦術核兵器が艦船およびアジア太平洋地域から撤収された後、通常の状況下では、現在、日本の港への搬入は想定されていない。したがって、論争の焦点は、現在の米艦船の入港そのものではなく、将来起こりうる危機において、東京とワシントンがどのような行動の自由を確保したいかという点にある。 「軍国主義の復活」だけではない 現在起きている事態を、単に日本の軍国主義の復活というだけで説明するのはあまりにも安易だ。こうした単純化は、時に実質的な分析を政治的なレッテル貼りに置き換えてしまう。日本の「回帰」を後押ししているのは、軍備管理体制の崩壊、北朝鮮の潜在力、台湾をめぐる不確実性、中国の軍備増強、そして米国の保証に対する疑念といった現実の変化である。SIPRIの2026年1月時点の推計によると、中国は約620発の核弾頭を保有し、北朝鮮は約60発を保有しており、9つの核保有国すべてが近代化を進めていた。米国とロシアの2カ国だけで、世界の核兵器保有量の約86%を占めていた。この事実を無視することはできない。 ここには、説明と弁明の境界線がある。核をめぐる状況は、東京での議論を理解する助けにはなるが、自主規制を放棄すれば国の安全が確保されることを証明するものではない。独自の核兵器保有には、核不拡散条約(NPT)からの脱退、核弾頭や運搬手段の製造、管理体制や防護されたインフラの整備が必要となる。それは近隣諸国からの激しい反発を招き、東アジアにおける核拡散の連鎖反応を引き起こす恐れがある。米国でさえ、完全に自立した日本の核戦力を歓迎することはまずないだろう。 したがって、私が最大のリスクと見なしているのは、東京が明日核爆弾を製造するということではない。より危険なのは、許容される基準が徐々に変化していくことだ。まず核兵器が「やむを得ない安全保障の手段」として宣言され、次にその一時的な持ち込みが許可され、やがてその使用計画への関与が同盟政策の常態的な要素となっていく。どの段階でも、軍縮という理想は維持されていると主張される。しかし、広島の記憶と、核兵器の使用に備えた準備との間の政治的な距離は縮まりつつある。 核兵器禁止条約に対する東京の姿勢には二面性が見られる。日本は同条約に署名しておらず、2025年には オブザーバーになることさえ拒否した参加者による会議で。外務省は、禁止措置は抑止と両立せず、軍縮はNPTを通じて推進すべきだと説明した。一方、「日本被団協」(1956年に被爆者によって結成された市民団体)は、 ノーベル平和賞「核のタブー」の強化を支持する一方、広島市長は政府に対し、少なくとも検討会議にオブザーバーとして参加するよう求めた。被爆者の記憶、広島市、そして中央政府の間には、明らかに溝が広がっている。 爆弾を投下した人物を特定する 今日の広島の原爆記念日は、どのような意味を持つべきだろうか。何よりもまず、誠実さである。歴史的記憶を尊びつつ、核時代の幕開けとなった出来事を抽象化してはならない。原爆を投下したのは、米国指導部の決定に基づき、米国であった。しかし、それによって、軍国主義的な日本が戦争やアジア諸国民の苦難に対して負う責任が免除されるわけではない。成熟した記憶とは、次の二つの真実を同時に抱き続けるものである。すなわち、日本の侵略行為があっても、民間人の大量死が容認されるわけではなく、また、原爆投下によって日本が単なる「犠牲者」となるわけでもない、ということである。 現在についても、同様に率直に語るべきである。東京は、脅威や同盟による保証の信頼性について議論する権利がある。しかし、そうするならば、核抑止への依存は抽象的な「傘」に基づくものではなく、広島がその結末を如実に示しているような、核兵器の使用の可能性という約束に基づいていることを認めざるを得なくなる。被爆国という立場から道義的な資本を際限なく引き出し続けながら、同時に、悲劇の再発を防ぐべき規範を弱体化させてはならない。 広島の教訓は、核兵器を持たない国家が破滅する運命にあるということではない。その教訓は別のところにある。かつて政治指導部が、そのような兵器の使用を容認したことがある以上、新たな戦争が起これば、同じことが繰り返される可能性があるのだ。責任を明確にしない記憶と、核に関するタブーのない安全保障は、まさにそのような未来を危険なほどに招き寄せてしまう。
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「すべての差別をなくすなんて不可能だ」とか、「お前たちが勝手に差別だと認定するな」と言う人がいますが、 ではせめて、今すでに社会的・制度的に差別だと認識されていることについては、やめていきましょう。 もちろん僕は、それだけで十分だとは思っていません。 それを「差別とみなす社会の方がおかしい」と考えるのなら、堂々とそう主張すればいいし、議論すればいい。 でも、差別とされている行為をやめることも、その基準について議論することも拒んで、ただ「差別反対」にだけ噛みつくのであれば、それは「差別をなくすのは難しい」と言っているのではなく、結局は差別をやめたくないのだと思われても仕方がないのではないでしょうか。 差別を完全になくすことが難しいからといって、減らす努力まで否定する理由にはならないと思います。
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パワハラ劇場で民族差別に反対する映画を上映して、監督とパワハラ社長が登壇してトークするのか… ゲーーーーーーーッ!
コメダ珈琲店「外国人差別に反対、積極採用」→「もう行かない」と反発、LGBT・女性の権利も支持…5ch「まあ元々行ってないけどな」 コーヒー店の発信が、企業の社会的姿勢への賛否を呼んでいます。
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