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本日の #トリビア。# 8/9は #長崎原爆忌# これは1945年8月9日午前11時2分、米軍のB29爆撃機ボックスカーが長崎市上空で世界二例目となる原子爆弾投下を行ったことに由来。 ちなみにオレは原爆三世として、当然、長崎の原爆資料館や一本柱鳥居も訪れています。 平和への思いは大切なので!(・口・)
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あれから81年。広島・長崎の原爆忌や終戦記念日がやってくる夏は、犠牲となった数々の命に祈りを捧げつつ、非戦と平和について改めて考える人も多いのでは。「好書好日」の姉妹サイト「じんぶん堂」の記事から、思考を深めるヒントになる8本の記事をご紹介します。
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今日は8月9日、長崎に原爆が投下された日。 8月6日、広島で行われた原水爆禁止世界大会に参加した高校生にインタビューしました。 2年前に参加した時よりもさらに深い学びがあったそうです。 高市政権が非核三原則を見直すなどと言っていますが、そんなこと絶対にやらせちゃいけない! #原爆#
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「日本は新しい世界築く先頭に」長崎で国際シンポ、核廃絶の道考える 国際平和シンポジウム2026「核兵器廃絶への道~日本被団協結成70年、原点長崎から」(長崎市、長崎平和推進協会、朝日新聞社主催)が25日、長崎市の長崎原爆資料館ホールであった。
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大日本帝国に降伏を求める米英中(実質はヤルタ会談を行った米英ソ)によるポツダム宣言は7月26日だったが、日本は黙殺しました。連合軍に対して決死の反撃をしてダメージを負わせたところで、中立条約を結んでいたソ連に仲介してもらい無条件降伏ではなく条件付き降伏する案があった。しかしソ連は中立条約の持続にサインしなかった(その時点で参戦に気づくことは出来なかったのか?)条約自体は次の年の4月まで有効であるが、戦争とはいろんな決め事を破って当たり前の世界。 ポツダム宣言を即座に受け入れていれば原爆投下は防げたかもしれない。沖縄戦ですでに敗戦を確信していたという軍部にはとにかく最後まで抵抗してすこしでも有利な条件下で降伏したかった続行派がいた。日本軍部の中での戦争続行派と降伏派との意見の食い違い。そして広島、長崎に原爆が投下されポツダム宣言受諾に至った。と大まかには認識しているのですが、もし新型爆弾(原爆)の威力を日本軍部が事前に知っていたなら、もし5日までにポツダム宣言を受諾していたなら。しかし、実際の歴史に「もし」はありません。終戦の日が近づいて広島の日があり長崎の日があり、いつも繰り返してはいけない歴史をかつて宣戦布告をした国の国民として知らなければいけないと思っています。
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典参列等についての記者会見のライブ配信です。
【声明】 「長崎・原爆の日」 (いのちの党 2026年8月9日) 長崎に原爆が投下されてから、81年目の夏となる。 原爆の犠牲となったすべての人々に、心から哀悼の誠をささげる。 また、今なお後遺症に苦しむ被爆者やご遺族の方々に、心からお見舞いを申し上げる。 「長崎を最後の被爆地に」 「ふたたび被爆者をつくるな」 この言葉は、単なる祈りではない。 地獄を生き延びた被爆者が、病気、生活苦、差別と闘いながら、国家補償と核兵器廃絶を求め続けてきた、命懸けの運動の言葉である。 長崎原爆被災者協議会は、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験ののち1956年6月23日に設立され、今年、結成70年を迎えた。また同年8月10日には日本被団協(2024年ノーベル平和賞受賞)が長崎の地で結成された。被爆者たちは、国の援護がないまま放置された状況を変えるべく、原爆医療法や被爆者援護法の制定、原爆症認定の拡大、さらには核兵器禁止条約の実現を求めて、国内外で声を上げ続けてきた。 被爆者健康手帳を持つ人は、2026年3月末で全国9万1,105人、平均年齢は86.66歳となった。 しかし今なお、長崎には、国が定めた被爆地域の外にいたため「被爆者」と認められず、被爆者健康手帳を交付されていない「被爆体験者」がいる。訴訟の原告を含む当事者の高齢化と死亡が進むなか、国による地域の線引きによって救済から取り残された人々を、今すぐ救うべきである。 残された時間は少ない。 受け継ぐべきものは、被爆した瞬間の体験だけではない。被爆者が沈黙を破り、国と社会を動かし、核兵器禁止条約の採択と発効を後押しした「ヒバクシャ運動の歴史」そのものを、次世代へ引き継がなければならない。それは、世界平和の土台となるものである。 長崎市の平和宣言文起草委員会について2014年以前の会議録がすべて廃棄されていたことが明らかになった。市は保存期間を20年に延長し、将来は歴史公文書として永久保存することも検討するとしている。 平和宣言の完成した文章だけでなく、被爆者や市民が何を訴え、どのような議論を経て一つ一つの言葉が選ばれたのか。その過程もまた、世界に残すべき歴史であり、平和への貴重な道標である。 長崎市は、長年、平和宣言などを通じて、「北東アジア非核兵器地帯」の創設を求めてきた。非核地帯とは、国際条約によって核兵器の生産、取得、保有及び管理が禁止された地帯である。世界にはすでに7つの非核兵器地帯(地域)が存在している。 この北東アジア非核兵器地帯構想では、日本、韓国、北朝鮮の3か国が核兵器を持たないと約束し、周辺の核兵器国が条約の附属議定書などを通じて、域内国への核兵器の使用や威嚇を行わないことを約束する。核戦争の危険を減らし、地域の緊張を緩和する具体的な取り組みである。 ところが、小泉進次郎防衛大臣は、防衛政策について「あらゆる政策をタブーなく議論し、進めなければならない」との姿勢を示した。政府は非核三原則を「政策上の方針として堅持する」とする一方、安保三文書改定の個別具体的な内容については明言を避けている。また、連立与党の日本維新の会は、2026年の政策集で「核共有を含む拡大抑止に関する議論を開始」すると掲げ、6月には総理に非核三原則の「持ち込ませず」について「現実的検討を行うべきだ」と見直しを提言した。今こそ、政府・与党は、被爆者をはじめ、長崎の平和宣言の声に耳を傾けるべきである。 日本政府には、非核三原則を国是として堅持し、法制化すること、核共有や核兵器の持ち込みを拒否すること、核兵器禁止条約に直ちに署名・批准することを求める。そして、被爆者運動の記録と証言を国の責任で保存・継承することを求める。 被爆者がつくり上げた歴史を、被爆者だけのものにしてはならない。 「長崎を最後の被爆地に」 その誓いを、次の世代の行動へと引き継ぐ。 わたしたちは、核兵器も戦争もない世界を実現するため、被爆者とすべての世代の市民の皆さんとともに、長崎の被爆体験の継承と核廃絶への取り組みに力を尽くしていく。 2026年8月9日 いのちの党
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長崎原爆資料館を訪問する外国人は、コロナ前水準を超えて過去最高となってきている。資料館訪問者の国籍内訳は不明だが、長崎への訪問客が圧倒的に東アジアが多いことを考えると、また現場の様子を見ても、大半が中国系・韓国だ。欧米諸国からの訪問客が多い広島と比べて、長崎では九州らしい構成となっているのが特徴だ。世界遺産・軍艦島をめぐっても似たような論争がある。ネトウヨの方々の勢力の拡張は、長崎でも顕著ということか。我々に残された道は、国際政治学者に付き従って「中国の認知戦に勝つぞ国民運動」に邁進していく生き方だけか。 長崎原爆資料館の展示変更に海外でも批判広がる──「南京大虐殺」を「南京事件」に変更へ(ARTnews JAPAN) #Yahooニュース#
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高市総理による「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」参列の様子です。
本日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列し、原子爆弾の投下により犠牲となられた多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげました。 被爆から81年。焦土と化した長崎の街が美しく復興を遂げたことに、市民の皆様が積み重ねてこられたご努力、そして平和の尊さを強く感じています。 「長崎を最後の被爆地に」という誓いの下、「唯一の戦争被爆国」の使命として、「核兵器のない世界」の実現に向けた現実的かつ実践的な取組を推進します。 また、被爆者の方々への保健、医療、福祉にわたる「総合的な援護施策」を進めるとともに、特に「原爆症の認定」についてできる限り迅速な審査を行ってまいります。 挨拶では、この街に、81年前のあの日を経験した被爆樹木があることに触れさせていただきました。 被爆樹木の姿は、廃墟から見事に復興を遂げられ、「国際文化都市」として今日の姿を築かれた長崎市民の皆様の姿とも重なります。 式典の後、長崎原爆資料館を視察させていただくとともに、被爆者団体等の代表の方からご要望をお伺いし、さらに恵の丘長崎原爆ホームを訪問させていただきました。 恵の丘長崎原爆ホームでは、ご高齢の方々から笑顔で励ましていただき、私の方が「元気」をいただきました。皆様のご健康をお祈り申し上げます。
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