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検索結果 いくみはなぜ神なのか
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大島育宙『なぜあなたの感想はふつうなのか』 実を言うと、最初は惹かれなかった。 でも、タイムラインで何度も巡り合ううちに、手に取ってみて大正解だった。 まずは第1章「感想検索病の時代」まで読んだ。  『自分の力で観て、自分の力で語れたら楽しい』 まさに、この言葉に尽きると思った。 古代人が生きるために食糧を求めて奔走していた一方で、現代人のわたしたちは、感覚を限界まで酷使したままスマホの画面を無限にスクロールし、情報の洪水で溺死しそうになっている。 この本では、無限の「情報」が飛び交う舞台として、SNSやプラットフォームの滞在時間を伸ばすための設計の意図にまで遡及される。 エンタメでいうところの、「感想」「コメント」をついつい拾いにいってしまう理由が構造の部分からも語られる。 作者の意図を探り、さまざまな角度から読みを重ねる「考察」文化を歓迎しながらも、その先にある「批評」の入り口へと滑らかに論が展開されていく。 批評って、作品を一旦遠くから眺める作業でもある。だから、ちょっと冷たく感じるし、難しく感じられがちだ。 そして、より自分の立ち位置や視点をクリアにすることを求められる作業でもある。 でも、アテンションエコノミーの檻の中で暮らしていると、受動的に無限のコンテンツを浴び続けることでしか自分を満たせなくなってしまう。 果たしてそれでいいんだろうか。 そう考えて立ち止まった時に、この本と出会った。 批評の持つ視点や、そこから形作られる自分だけのものの見方は、きっとこの世界を泳ぐための武器になる。 それに。 わたしは何かを綴る者のほんの端くれとして、コンテンツを生み出す人たちをとても尊敬している。 彼らが何ヶ月も、何年も、時には何十年もかけて産み出したものを簡単に流し込みたくないのだ。それは才能へのリスペクトだと信じたい。 もう一度、しげしげと表紙を眺める。 ふつう、がわざわざ平仮名で色まで変えて強調されていることに、少し笑ってしまう。 良いことを言っているのに、一見するとちょっと煽っている。 そこに薄らとアテンションエコノミーの亡霊を見なくもないのだが、 共鳴を生み出す語りの仕掛けや、大島さんの戦いの姿勢含めて、なんだか、結構嫌いじゃないかも。 そして何より、自分の力で観て、自分の力で語ることは、やっぱり楽しいのだと思った。
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【週末、AIにはできないことを一緒に探求してみませんか。】 デザインセンス探求講座、いよいよ明日、明後日(8/1,8/2) 開催となりました。 もし今週末ご予定がなければ、少しだけ普段と違う2日間を過ごしてみませんか。 AIで資料も画像も文章も、きれいに作れるようになりました。 それでも、 「なんとなく伝わっていない気がする」 「AIの提案にOKを出したけれど、本当にこれで良かったのだろうか」 そんな感覚を覚えたことはないでしょうか。 この講座は、デザインを学ぶ講座ではありません。 「自分は何を良いと思うのか」「なぜそれを選ぶのか」 その判断軸を、作品鑑賞やワーク、AIとの対話を通して探っていく2日間です。 AIが整えることは得意になりました。 だからこそ、人間が意味を見つけ、選び、伝える力には、これまで以上の価値があります。 この週末、自分自身の感覚と向き合う時間を過ごしたい方は、ぜひご参加ください。 #デザインセンス# #AI時代# #感性品質#
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【週末、AIにはできないことを一緒に探求してみませんか。】 デザインセンス探求講座、いよいよ明日、明後日(8/1,8/2) 開催となりました。 もし今週末ご予定がなければ、少しだけ普段と違う2日間を過ごしてみませんか。 AIで資料も画像も文章も、きれいに作れるようになりました。 それでも、 「なんとなく伝わっていない気がする」 「AIの提案にOKを出したけれど、本当にこれで良かったのだろうか」 そんな感覚を覚えたことはないでしょうか。 この講座は、デザインを学ぶ講座ではありません。 「自分は何を良いと思うのか」「なぜそれを選ぶのか」 その判断軸を、作品鑑賞やワーク、AIとの対話を通して探っていく2日間です。 AIが整えることは得意になりました。 だからこそ、人間が意味を見つけ、選び、伝える力には、これまで以上の価値があります。 この週末、自分自身の感覚と向き合う時間を過ごしたい方は、ぜひご参加ください。 #デザインセンス# #AI時代# #感性品質#
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この著者は、心理の世界の言語化がとても上手だと思った。「他人を攻撃せずにはいられない人」の内面への指摘や、攻撃を受けやすい人の特徴、攻撃を受けているのに気づかない人の心理などを描いた言葉に、ハッとさせられる。長いけど、めちゃくちゃ読んで欲しい。Xでよく見かける人たちの心理構造への理解の解像度も上がると思う。以下、引用。👉 「攻撃欲が強い人が欲しているのは、破壊である。他の誰かがうまくいっているのが許せない。それゆえ、他人の幸福や成功に耐えられず、強い怒りや敵意に突き動かされて、とにかく壊そうとする。  そこに利害がからんでいる場合もある。自分自身の願望や利益しか頭にない彼らは、自分が望むものを手に入れるうえでの邪魔者に対して、攻撃の刃を向ける。たとえば、あるポストに自分が就くために、ライバルを陰で中傷したり、足を引っ張ったりして、蹴落とそうとするような場合が典型例だろう。自分の行動がどれだけ混乱を巻き起こしたり、迷惑をかけたりするか、などということには決して目を向けようとしないわけである。  このようなエゴイストはなるべくなら近くにいてほしくないものだが、意図がわかりやすいため、実は対処もしやすい。厄介なのは、自分の利益がからんでいるわけでもないのに、あなたを打ちのめし、あなたがやっていることを台なしにし、ときには、あなたの人格そのものまで破壊しようとするようなタイプである。  しかも彼らは、悪意を隠して攻撃する。もしくは自分自身の悪意に気づいておらず、無自覚のまま、非常に残酷なことをやってのける場合もある。しばしば、『あなたのためを思って』とか、『こういう理由があってやっているんだよ』とかいった言い方で接してくるが、その善良で優しそうな仮面の下に何らかの悪意を隠し持っている」 「自分の近くにいる人の攻撃欲を見抜くことはとても難しい。 『いやいや、化けの皮なんてすぐにはがれる』とお思いになるかもしれない。でも実際には、自分が攻撃を受けていることに気づかないままでいる人はとても多い。  他の人がターゲットになっている場合は、比較的簡単に見破ることができる。気づきにくいのは、自分自身がターゲットにされているケースである。先ほど紹介した女性の事例からもわかるように、自分が痛い目に遭うまでは、はっきり認識するのが難しく、時間がかかることが多いのだ。  しかも厄介なことに、攻撃欲のある人は、攻撃していることを周囲に気づかれないように隠蔽することが多い。先の女性も、『先輩は、私の憧れです』などという歯が浮くようなおべんちゃらを真に受け、安心して愚痴をこぼしたり、新しい企画について相談したりしていた結果、気づいたときにはもう手遅れだったわけである。  このように、相手を直接攻撃するわけではなく、遠回しに打ちのめそうというタイプから身を守ることは、なかなか難しい。そういう人は虚実とり混ぜて語るし、誠実そうにふるまっていたかと思うと突然計算高さをのぞかせる。こうした二面性もあるので、一体どういう人なのかわかりにくく、周囲がころっとだまされることになりやすい」 「攻撃欲の強い人は、世間で一般に『善』として受け入れられているようなことをよく引き合いに出す。  正直でなければならないとか、寛大でなければならないといった、それが適切かどうか、日頃は誰も疑ってみないような考え方を持ち出すことが多い。子供の頃からしつけや教育の中で教え込まれてきた支柱であり、おとなしく従順な人ほど、こういうことがきちんと守られなければ社会は成り立ちえないと信じ込んでいる。(中略)  そこにつけ込んで、自分に都合のいいようにねじ曲げて解釈するのが、攻撃欲の強い人である。もし、あなたが何かを頼まれて断ったら、『友達が困っているのに助けないなんて、冷たい』といった言葉を吐いて、罪悪感を覚えさせるように仕向けるわけである。(中略)  相手に罪悪感を抱かせるうえで何よりも有効なのは、自分が被害者のふりをすることである。そうすれば、自分の責任は全て否認できるのだから。そのため、何か具合の悪いことがあっても、悪いのは常に他の誰かであり、自分はあくまでも被害者なのだという印象を周囲に与えようとする。  ターゲットにされやすいのが、誰かが困っているとすぐに同情して、助けてあげたい、慰めてあげたい、守ってあげたいなどと思うような人なのは、決して偶然ではない。こんなふうに優しい人は、少しでも責められると、悪いのは自分なのかと罪悪感を抱きやすいので、攻撃対象としてうってつけなのである。  そのうえ、攻撃欲の強い人は逃げるのもうまい。もし、あなたが、『私が一体何をしたというのだろう? なぜ私がこんなに責められなければならないのだろう?』と疑問を感じて質問しても、巧妙に話をそらせたり、論点をすり替えたりする。ときには、別のことであなたを攻撃して、あなたの心の中にさらなる混乱の種をまくかもしれない。  だいたい、質問にはちゃんと答えず、はぐらかす達人である。そのため、あなたが、自分には落ち度がないのに責められることが納得できず問いかけても、のれんに腕押しだ。あなたは、痕跡を残さずに殴られ続けているような気になるかもしれない。  要するに、攻撃していることを隠蔽しながら攻撃するのが常套手段である。もし、わかりやすいやり方で直接攻撃するようなことをすれば、反撃されるかもしれない。説明を求められるかもしれない。場合によっては、相手が防御したり、逃げ道を見つけたりするかもしれない。そうさせないために、自分は責めているわけでも、攻撃しているわけでもないと否認しながら、ターゲットを身動きできない状態に追い込んでいくわけである」 「ターゲットを孤立させるのも、攻撃欲の強い人の常套手段である。  従事している仕事や活動をけなしたり、せっかく築いた人間関係にけちをつけたりして、徐々に他の人とのつながりを断ち切るように仕向けていく。そのために脅すこともあれば、いさかいの種をまくこともあるが、いずれにせよ、周囲との関係に亀裂を入れようとする。  これは、ターゲットが他の人との交流によって考えを変えたり、支えてもらったりするようになるのを防ぐためである。そんなことになれば、影響力を行使しにくくなるので、シャットアウトするわけである。  というのも、攻撃欲の強い人は、自分がその場を支配できないとか、影響力を行使できないという状況に直面すると、強い不安にさいなまれるからである。そこで、そういう事態を極力避けるために、自分の思い通りに操作できるよう策を弄することになる。  ターゲットの家族、友人、同僚、さらには仕事や趣味にまでけちをつける。ターゲットが好意的な判断を下しているものでも、批判したり、けなしたりして、締め出そうとする。『あんな親だと、うまくいかないのは全て親のせいにできるよね』『なぜ、あなたがあんなことに貴重な時間を使うのか、わからない』といった言い方で、ターゲットが周囲の人々に対して疑惑や不信感を抱くように仕向けるのである。  このように孤立させようとするのは、自分のあずかり知らぬところで、ターゲットが能力を発揮したり楽しみを見出したりすることに耐えられないからでもある」 「ある人が攻撃欲の強い人だということに気づいたら、最良の解決策は、できるだけ避けるということである。  たとえば、同じ職場で働いている場合、勤務の時間帯を変更するとか、向こうがよく行く場所には足を向けないようにするとかして、なるべく顔を合わせないようにする。場合によっては、異動や転勤を申し出るという選択肢だってあるかもしれない。  そこまでするかと思われるかもしれないが、私の外来に通っていた会社員の女性は、背後を通り過ぎる際に『死ね』とつぶやいたり、すれ違いざまに『邪魔』と叫んだりする先輩に悩まされて眠れなくなり、しばらく休職した後、自ら希望して別の支店に転勤した。  転勤後、受診した際に、『支店が変わって、本当に良かった。ずっと胸につかえていたものが、やっと取れたような気がします。会社に行っても、あの人の顔を見ずにすむのかと思うと、伸び伸びと仕事ができます。ときどき、研修会や会議などで会うこともありますが、もう私とは関係ありませんから』と語った。ちなみに、例の先輩はその後、新たに配属された女性社員をターゲットにして同じような嫌がらせを繰り返したため、パワハラ委員会に告発されたということである」 『他人を攻撃せずにはいられない人』 著者:片田珠美 発行:PHP研究所 @PHP_Business
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執筆日誌:効率と先延ばし ずっとやらなければと思っていることがある。 ・押入れの片付け ・勉強 これらはどれも複雑なタスクだ。手をつける前に、段取りを整えなければ。 そう思っている間に一年が過ぎた。。。 これはあれだね。昔から物事を効率的にやろうとして、何もできぬまま時間だけが過ぎていくというパターンだね。 そう自己分析したところで、動き出せないことに変わりはない。 別に忙しいわけでもないのに、なぜか『物事は効率的にやらねば』という思考の癖が脳に染み付いている。 この癖がある限り、俺は何もできぬまま終わってしまう。 それは良くないね。 というわけで、この行動を阻害する思考の癖を崩壊させるために、真逆の思考を意識してみるのはどうか。 すなわち『物事はあえて非効率的にやるべき』と。 つまり具体的には。。。 勉強は体系づけず、そこらにある本など、気になったものを適当にめくってみて、飽きるまで読む。 押入れの片付けも、とりあえず扉を開けて闇に包まれた混沌の中を覗いてみる。捨てられそうなものがあったら一つだけ捨てる。 これを可能な限り、ゆっくりとやる。 もちろん、こんな非効率な行動をしていたら、効率博士に笑われてしまうかもしれない。それは恥ずべきことだ。 だとしても、このまま何もできず終わるよりはいい! (いつもの小説執筆に関しては、あまり効率など考えずに書くことができます。そもそもが非効率的な作業だからかな)
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【研究論文】現代SNSにおける「読書垢」の生態系とフェードアウトのメカニズム ――抽象・具体の認知ギャップと承認欲求の限界に関する考察 あなたのフォロー欄、かつて輝いていた「読書垢」の静かな墓場になっていませんか? なぜ読書垢は雨後の筍のように現れては、数ヶ月で「いいね履歴」すら残さず絶滅するのか?そこにある『抽象と具体の断絶』について考察してみた。 仮説1:雨後の筍のように現れ、絶滅していく読書垢 TLを見ていると、定期的に「おすすめ本教えて!」というポストが万バズし、それに呼応するように新しい読書アカウントが大量発生する。しかし、その多くは驚くほど寿命が短い。たまに気になってチェックしてみると、独自の投稿はおろか、他人のポストへの「いいね」の履歴すら途絶え、完全にフェードアウトしている。 「自分の周りに読書好きはいないのに、エックスにはこんなに溢れている」という言説をよく目にするが、あの賑わいの大半はどこへ消えてしまうのだろうか。 仮説2:読書とSNSの「致命的な相性の悪さ」 結論から言えば、フェードアウトする読書垢の多くは、読書そのものではなく「読書垢という記号」に惹きつけられた、一過性のバブラーである可能性が高い。そもそも、読書は時間とエネルギーを激しく消費する「孤独で地味な作業」だ。1冊を血肉化するのに数時間から数日を要する(高コスト)。一方で、SNSが求めるのは数時間おきの刺激と即時的な反応(高頻度)だ。この構造的なギャップがあるため、「映える本棚」や「話題のビジネス書」を一通り消費して承認欲求の燃料が切れた瞬間、アカウントを維持する動機そのものが消滅してしまう。 仮説3:三宅香帆氏ブームと「抽象と具体の断絶」 近年、文芸評論家の三宅香帆氏の読書本が爆売れしている。彼女の本がこれほど読まれるのは、現代人が「知的なアイデンティティ」を模索している証左でもある。しかし、このブームもおそらく長続きはしない。なぜなら、そこには強烈な「抽象と具体の断絶」があるからだ。 三宅氏が提示するのは、情報を構造として捉え、歴史や社会の文脈と接続する「抽象思考の読書」である。しかし、ブームに乗って参入した日本の読書家(を志す層)の大半は、「次に読むべき具体的なおすすめ本」や「手っ取り早いノウハウ」という、極めて具体的なレベルでしか本を消費できない。この断絶がある限り、どれほど高尚な読書論が流行しようとも、それは一過性のファッションとして消費され、流行が過ぎればまた静かに忘れ去られてしていく。 考察:読書コミュニティを巡る「3つの階層」 この抽象と具体の断絶、そして他者との距離感を整理すると、現在のSNS上の読書空間は以下の3つの階層に分かれていることが見えてくる。 ① ガチの読書好き(生存者:抽象思考タイプ) 「ミステリ」「海外文学」といった少し広めのカテゴリーの幅で物事を捉え、個別の本を超えた構造や文脈を面白がれる層。抽象思考ができるため、自身と100%趣味が合致しなくても他者と「対話」が可能。結果として読書を一生物の趣味にでき、SNSでも生き残る。 ② 読書垢バブラー(一過性:具体思考タイプ) 知的な記号を消費するが、本質的な抽象思考には馴染めない層。「おすすめ教えて」「これ読んで感動した」という具体的すぎるレベルでしか語れないため、ネタが尽きると承認欲求の枯渇とともにフェードアウトする。 ③ 孤高のライト読者(持続:マイスペースタイプ) 思考のベースは具体(「この作家だけ読む」など)だが、そこに承認欲求が絡まない層。SNSでバズる気もなければ、ガチ勢と議論する気もない。自分の手の届く範囲だけで、ひっそりと、しかし確実に読書を楽しんでいる。 面白いのは、①のガチ勢は②のバブラーたちがどれほどTLで騒ごうとも、最初から交わることなく静かに距離を置いている、という点だ。 示唆:それぞれの読書のあり方 誤解してほしくないのは、この三層構造のどこに属しているかに「良し悪し」や「優劣」は一切ない、ということだ。カテゴリーの幅で語り合える人だけが読書を一生ものにできるのは事実かもしれないが、そうでない人も、自身の範囲内で豊かに読書を楽しめればそれで何の問題もない。 ただ、こうして言葉にしてみると、日頃からこのアカウントで仲良くしてくださるフォロワーの皆様の存在が、いかに貴重であるかがよくわかる。 私の独善的なポストに反応をくれたり、本を通じたゆるい繋がりを維持してくれたりする皆様との交流は、まさにSNSにおける私の「承認欲求」を最も健康的で、心地よい形で満たしてくれている。 絶滅していく多くの読書垢を横目に、こうして言葉を交わせる関係が存在すること自体が、この騒がしいタイムラインにおける一つの奇跡のようなものかもしれない。 さて、あなたのTLで今も生き残っているのは、どの階層の人?
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🔥このアカウントをフォローしてる人に 絶対に絶対に絶対に届けたいお知らせ🔥 初の単著が発売になりました!!! 『なぜあなたの感想はふつうなのか        独自の視点で語る技術』 映画やドラマなどのエンタメコンテンツや推しの存在についてだけでなく時事問題や社会問題についても「感想」や「意見」を毎日発している私なりの責任の取り方です! 考察、言語化、批評、インプット…について、あらゆる場面で質問を頂くようになりました。そのたびに、自分が思っている以上に多くの人が「何かを見聞きし触れた後に自分で言葉にすること」に悩んでいることがわかってきました。 世の中に豊かな言葉が溢れれば世の中はもう少しマシになるかもしれない、という気持ちで、私がやってきたこと、その中で考えてきたことを一冊にまとめました。嘘です。いや、嘘ではありません。半分本当で半分嘘です。 極端な感想が独り歩きする「言ったもん勝ち」「早い者勝ち」の世の中になっていくのがとても怖いです。そんな世の中を少しでも緩やかに、スローに、豊かにしたい気持ちが人一倍強いのは事実です。 しかしそれと同じくらい「何回も聞かれることを一冊にまとめて同じ質問から解放されたい」という気持ちもありました。「言語化」「感想」についてそんなに気になるなら、この本を読んでくれれば大体解決するから!とりあえず読んでくれれ〜!!!という気持ちです。 中高生でも読めるように、とにかく読みやすくまとめました。エンタメに興味があるけど接し方に迷ったり悩んだりしている人はもちろん、就活生や転職活動中の方などが読んでも示唆が得られると思います!たぶん! 「ふつう」の感想から「独自」の感想に飛ぶにはどうしたら良いのか?自分がYouTubeやこのXアカウント、noteなどでこれまで各所で発信してきた中で特にオリジナリティと反響があった「菅田将暉論」「『PERFECT DAYS』論」「『ラストマイル』論」「『海のはじまり』妖怪考察」などを具体例に紐解いています。 佐久間宣行さん オードリー若林正恭さんの 素晴らしい名文の帯が目印です! そのおかげで発売前重版という光栄に至ったのですが、実はお二人のコメントは裏表紙に続きがあります!手に取って確認してみて下さい!
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執筆日誌:夏死 夏が来る少し前に、不調だったエアコンを新しいものに取り替えてもらった。 危なかった。少しでも遅ければ俺は今、この夏の暑さに蒸されて死んでいた。 このキンキンに冷えた自室を出てコンビニに歩くだけで、暑さで朦朧としてくる。フランスでは五千人がこの夏の熱さで亡くなったという。怖いことだ。もう二度と外には出たくない。 などという弱気な思想に被れ、家で日がな一日、Slay the Spire 2をやることを正当化していましたが、これは間違っていると気づきました。 この夏の熱さはむしろ体にいいんです。 なぜならこれはサウナと同じ仕組みだからです。 ・外に出て日光を浴びて急激に体温が上昇する ↓ ・室内でエアコンを浴び急激に体温が低下する この繰り返しは、実はサウナで熱風を浴びた後に、冷水浴することとまったく同じだということに気づいてください。 サウナを浴びると自律神経が整いますね? ですから、この夏の日光とエアコンの往復運動も、実は体に良かったんです。ただ普通に生きているだけで、自律神経が整えられていくボーナスゾーンだったんですよ、夏という季節は! (とりあえず今日の執筆のため、電車でカフェに来てみました。この快適エアコン空間からもう出たくありません)
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「バリキャリやめて、結婚・出産した。」 「仕事より、子育てのほうが数倍ラク。」 「子育てには責任がない。謝れば済む。」 わたしに奢りにくるたびに、なぜか生まれたての『違う赤ん坊』を連れてくる、大阪の常連だ。 彼女は、彼女が大学生の頃からの古参フォロワーで、わたしのことを遠目に観察しながら、バリキャリの道へと進んだ。よく働いた。 彼女が当時、進学した高校はいわゆる""進学校""で、その友人たちは皆、わかりやすく言えば「結婚なんて」という価値観だった。 女も、男に頼らず生きていくんだ。経済的合理性。未来を見据えたキャリア・アップ。手に職を。 そして彼女もまた、まさか自分が20代のうちに結婚をし、こどもを複数人産んで育てているなんて、いちども考えなかった。 その後、SNSに現れた「不快な浮浪者」の発言(いまあなたも見ている、まさにこれ)を見ているうちに、結婚や子育ての現実的、妥協案的、あるいは合理的システムについて考えるようになる。 わたしが本当にしたかったことは、なんだろう? 高収入?キャリア? なんのため? 不自由なく生きるため? 男に抑圧されず自由に生きるため? しかし、そう考えることこそが、まさに抑圧的なのでは? わたしは、自由になろうと、させられているのでは? 彼女はひどく潔く、イノセントだったので、「若いうちにこどもを作り、たまにおいしい酒を飲んで、ぬくぬく家族と生きてたら幸せじゃね?」となった。兄弟の多い育ちが功を奏して、その想像は容易かった。あっけなく、答えは出せた。 そうして実際、驚くほどに潔く、すばやく結婚をし、子を産み、初めてわたしに奢りにやってきた。「結婚してよかった、こども産んでよかった!」と、いつも話す。 とんでもない事後報告である。知らんやつが知らんうちに知らん影響を受けて知らんことして知らん報告をしてきたわけである。 彼女に、ふたたび大阪で再会した。ふたたび、ちいさな赤子を抱えている。こないだ会った男の子は、もう2歳になったそうだ。 「寝てるね」 「はい、ラクなもんです。家事をして子をみるだけで生活ができる。より過ごしやすくするには、まわりに、家族やご近所に愛想良く振る舞っておけばいい。協力してもらえる。そういう意味では、仕事より、子育てのほうが数倍ラクですよ。わたしにとっては。」 「へぇ。具体的に、どんなとこが辛いの?」 「子育てには責任がない。」 「いやいや、さすがに、子育てにも責任あるやろ」 と笑いながら突っ込むと、 「いやいや、こどもなんて、基本わたしのことクソ好きなニコニコ上司ですよ。オムツ替えるのがちょっと遅れちゃっても、謝れば終わり。」 「ごめんね、きょうのご飯は唐揚げだよ、と言う。」 「そうです」 「でもね、仕事はそうはいかない。関係者各位にいくら頭をさげても、取り返しのつかない失態がたくさんある。そこらじゅうにです。わたしの子供は、そうですね。死ななければいい。」 と彼女は言った。 「子育ては、めちゃくちゃラクだし、めちゃくちゃ楽しいです。ツイッターには正反対の意見ばかりで、「結婚最高!」「子供最高!」なんて書いたら炎上しちゃいそうで、絶対に書けないですけどね。」 「ほんとうに幸福なひとは、幸福の瞬間にツイッターを開かない。」 「プロ奢が、ずっと人生なんてくだらない、くだらないことは自分勝手に楽しむしかない、ということを言っていて、良い意味で絶望できた。だからこどもを産めました。ありがとう」 「そっか。なんか感謝されてるのか、恨まれてるのか分かんないけど、それはよかったね。」 「うん!もうひとり、産んじゃおうかな!」 「じゃあ、また新しい成果物ができたら会いましょう。」 「いいですね、成果物!」 そういう勢いで、大阪の大きな商業ビルのカフェのエスカレーター前で別れた。まさに、それは「そういう勢い」と表現するのが相応しくて、ふたたび会うときにも、きっと「そういう勢い」でやってきて、「そういう勢い」で別れるのだろう、と思う。 ややこしいことを考えるとキリがない。というか、かろうじて考えることはできても、すっきりとした答えが出ない問題で、世界は覆われている。 こどもは幸せになるのだろうか?わたしはこどもを生むべきだろうか?そんなもの、だれにも分からない。分かる必要がない。 ただやったり、やらなかったりすればいい。しかし、やってみたほうが考えるヒントは増える。それだけのことなのだろう。 他者を人としてリスペクトする姿勢というものは、つまり、勝手にやれ、と言い切ることなのかもしれない。 生まれたな、じゃあ、あとは勝手にやれ。幸せになれ、不幸せになれ、自由になれ、不自由になれ。なんてひどいことだろう。 でも、なんてすてきなことでもあるんだろう。信頼の香りがする。 出産、それは、あまりに暴力的で、昨今の厳しいコンプライアンスに抵触しうる、極めて反社会的な行動にすら思える。でも、より正しいのはどっちだろう? いや、そう考えても分からない。だから、こう考える。よりくだらないのはどっちだろう?好きな方を選ぶしかない。信じた先で転んでも、タダでは起き上がらない、そう信じられるような道を、じぶんで選びとるしかない。
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