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にじ~🙁 ▼ただいま生放送中!こちらから聴けます! ▼今日のテーマ  #わたしの知らないところで# ▼ゲスト #中田花奈# (@nakada_official) ▼メッセージはこちらから! #おおまえチャン# #TOKAIRADIO# #大前りょうすけ#
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昨日6/18も「街角トーク」 京王本線の八幡山駅とJR阿佐ヶ谷駅 八幡山駅は 世田谷区との区界でわたし世田谷区みんなのって方結構いました。 「岸本さとこ区長になって公園で花火ができるようになった。公園で子供が自転車の練習できるようになった。岸本さんになる前ダメだったなんて。岸本さんありがとう。」 →これ意外と知られてない。 花火も気をつけてやるようにすればいいし、自転車で転びながら学ぶのは子供の仕事。一律禁止ナンセンス!岸本さとこ区長ありがとう! 「岸本さとこさんが区長選勝った時に杉並区に引っ越してきた。それからは 政治のこと社会のこと色々を自分のこととして考えられるようになった」 →社会に参加する喜び!人間の本能! 阿佐ヶ谷 「古本屋で1947年の初代杉並区長の日記を見つけた。自由と反骨の区長だったらしい。さすが杉並区」 →古本屋で見つけたこともすごいし初代区長も興味津々! 「犬を散歩できる公園がない。 ドッグランも遠い。犬はただのペットじゃない。社会の一員。」 →犬好きとしてすごく共感。。。 FMすぎなみの菅沼さん、1人の候補者がドタキャンして話題になった杉並区長選候補対話会の司会だった話、あくまでFM杉並ではなく個人の立場から! 「政治家の仕事は矢面に立つこと。どんなに不本意でも選ばず人前に立つ、それが仕事。」 そこから逃げる政治家をどう思いますか。 「卑怯だと思います。あ、これあくまで僕個人の意見です。」 よく言ってくれました。尊敬。 そこで聞いていた方から 「放送局は自治体や国の圧力から自由でいるために、市民区民をスポンサーにしたらどうですか」と言う投げかけに 「そうしていきたい。そのためにも。。。 先日の対話会の模様をラジオで聞いてください!」 いいやりとりが聴衆と喋り手の間に! FM杉並、応援します! 「清水さんあなたの昔を知っている。 あなたは昔シンバル漫談をやってましたね」 →ひえー!昔の歴史がわたしに襲いかかる!やってました、シンバル漫談。。 かなり長くやっていて諦めた芸だった。 オチのところでシンバルを思い切り叩くっていう。。 対話をすることでシンバル漫談の記憶も甦る。。! 色々な人の声を聞く面白さ! 対話!この社会に生まれた大事な価値 それを進める守る広げる深める。。 えーと、がんばります!頑張りましょう! いよいよ明後日6/20(土)は 「対話フェス」を開催します! 阿佐ヶ谷南口噴水広場で朝10時から よる19時まで! 街の色んな人の声を聞いていきます! ゲストも駆けつけてくれます! ナビゲーターは私清水宏! 雨天決行!カッパとか傘とかペンライトとか、持ってきてご参加ください! 一人一人の市民の力を見せてやりましょう! 前日の6/21今夜は明日と同じ場所 阿佐ヶ谷南口噴水広場で17-19までぶちかまします。 あなたの声を聞かせてください!
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【語彙収集】 #アガサ・クリスティ # 「知れる」という表現はいかにも悩ましい。 最近出逢った一文は、アガサ・クリスティ作品の翻訳に登場する「わたしたちの態度ですぐにそれと知れたことだろう」だ。私の感覚では、この「知れた」は現代の「知ることができた」という意味ではなく、「分かった」「判明した」「自然に明らかになった」に近い。古典文法でいう自発の「~れる」の流れを感じる。 例えば 「故郷が偲ばれる」 「昔のことが思い出される」 のように、人が意図して行うというより、自然とそうなる感覚。 実際、近代文学には 「正体が知れた」 「素性が知れた」 「居所が知れた」 といった表現が頻繁に登場する。これらは「知ることができた」というより、「明らかになった」「判明した」と言い換えた方がしっくりくる。 ところが近年、学生の文章やアンケートで 「授業で新しい知識を知れた」 「この授業で多くのことを知れた」 という表現をよく目にする。 私は長らくこれに違和感を覚えてきた。なぜなら、「知識を知れた」という表現は「正体が知れた」とは異なり、「知ることができた」という可能表現として用いられているように見えるからだ。しかし、この違和感について周囲に尋ねると意外な反応が返ってくる。 学生は「普通に使う」と言う。 若い教員も「特に気にならない」と言う。 ベテランの国語教員からは、「大丈夫です。十分通用する表現ですよ」という意見をいただく。 そこで改めて調べてみると、「知れる」は必ずしも誤用ではなく、辞書にも ・知られる ・明らかになる ・知ることができる といった意味が掲載されていた。 どうやら「知れる」は本来、「判明する」「明らかになる」という意味を持ちながら、時代の流れの中で「知ることができる」という可能表現としても使われるようになったようだ。 そう考えると、この問題は単純な正誤の話ではない。 むしろ、「知れる」という言葉の意味領域が広がった結果、世代によって受け取り方が異なっている現象なのだろう。 私自身は今でも、 「正体が知れた」 「理由が知れた」 には違和感がなく 「知識を知れた」 「歴史を知れた」 には少し引っかかる。 だが、それを直ちに誤りだと断じることもできない。 結局のところ、「知れる」をめぐる違和感は、日本語の変化そのものを見ているのかもしれない。読書を続けていると、古い表現に慣れ親しむ一方で、新しい表現との距離も感じるようになる。「知れる」は、その世代差と言葉の変化が交差する、なかなか興味深い日本語なのではないだろうか。嗚呼、悩ましい。
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西川美和監督「わたしの知らない子どもたち」新予告公開! 二階堂ふみ、岡田准一が太鼓判「『火垂るの墓』の後継作はこの作品。今観るべき作品」 ▼記事詳細・動画はこちら #わたしの知らない子どもたち#
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西川美和監督『わたしの知らない子どもたち』トロント映画祭コンペ部門選出、オープニング上映決定【コメントあり】(写真 全3枚)
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上田ロケ作品映画『#わたしの知らない子どもたち』# 10月16日(金)全国公開🎬 10月は上田ロケ作品が続々公開となります✨ こちらも上映館など情報が更新されましたらまた情報発信していきます🎥 #上田市# #西川美和# #二階堂ふみ# #映画# #長野県#
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息子と二人で旅に出る    わたしの知らない息子を見る わたしがふだん気付かぬ成長を知る    きっと息子は うすうす、わかっているのだろう わたしが善かれと思ってつく、小さな嘘も わたしが善かれと思って行う、ささやかなお節介も    息子はわかっていて うまく、やりすごし 自分で判断しはじめているんだろうと思う    もちろん子どもっぽさも残っている。 大人と子どもが同居しているようにも思える。    間違いのないことは 親にできることは 少なくなっていくということだ    息子がやりたいことや 息子だけの世界が 広がる    それが順調な「定め」なんだろう    息子との二人旅とは そんな「定め」を知る旅である    そして人生はつづく
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