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#ブラダス2コスモオーディション# ①希望のキャラクター ・エレニール ・ジェニス ②なぜそのキャラを選んだか 2人とも可愛さの中に凛とした正義感があるのが好きです!勿論見た目も好みです♡ エレニールはスキルの表情神です…✨ ジェニスはモーションのニコッにやられました…可愛すぎます… 身長154cmで少し足りずですが…つり目金髪ハーフツインも赤茶髪も得意です‼️ 自分でもブラダス2のコスプレたくさんしていきたいです☺️
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「いい話だけど出版は無理。書店さんに並べる棚がない」 と何回か言われたことがあります。 「ジャンルがない小説」はそもそも出版が難しい。 『ファルティマの夜想曲』 二つの月がある、架空の港街を舞台にした24歳の娼婦が主役の物語。 企画会議を通したければ、 「主役を10代、娼婦もなし」「娼婦が書きたいなら、実在の歴史にはめるか、現代の風俗店に問題提起を入れ込む」 等しないと無理。 私自身商業作家として、普段は「棚はどこ」「ターゲット」「売りは何か?」ということを当然考えるし、編集さんに「こういうものを書いてほしい」と言われば120%応えたいと努力します。 なにより作家買いをしてくれる読者さんの期待を裏切りたくはない。 葉山透に求められているのは、ハラハラドキドキのサスペンス、ミステリ、SFを用いたギミック、娯楽映画のような爽快感だろうと思うから。 でも「ファルティマ」に限って言えばこの形を変えたくはなかった。 棚がないのはわかっていても、たくさん売れてメディアミックスなんて絶対ならない物語だとしても、変えたくなかった。 本読みの方なら理解していただけると思うのですが、読者として「この小説、メジャーにはならないけど自分はめっちゃ好き」という作品ありますよね? わかりやすくてキャッチーで王道は正義。私も普段はそういう小説を書きたくて書いてます。大好きです。 しかしファルティマは、好きな人にはぶっ刺さるけど、刺さる人はごくわずかだろう、むしろ嫌いという人もいるだろう、でも書きたかった。 いえ、正直に言いましょう。 この物語は運よく商業で出たけれど、商業用にプロットを練ったものではありません。 友人、ではない。知人というのも憚られる。そんな遠い関係の人でしたが、吉原で働いている人がいました。 貧乏のどん底で育ち、頭がいいのに中卒。会社ではゴミのように扱われ、仕事をやめ吉原で働き始めました。 貧しい母子家庭に育った彼女は、このお金で母親にまともな暮らしをさせてあげられる、自分も生まれて初めて欲しいものを好きに買えた、私は今の生活に満足している、誰にも同情なんかされたくない、と言いました。そう言う彼女に、私は何も言えませんでした。でも、やっぱり、いけなくないけどよくもないだろう、という気持ちがありました。友人として何か言えるほど近くもない。そこで私がしたことは物語を書くことでした。なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。 さらに、吉原の闇を書くわけでもなく、ファンタジー世界観の美しい月と花と潮の香りに満ちた綺麗な夜の話を書いた。頭の中にだけあった一大冒険譚の中の脇役の娼婦を主人公にして、物語を書き始めた。 我ながら謎すぎる。   しかし、公募やコンテストに出すことを考えずに書いたこの物語は、私の作家としての本質と、美点と、同時に限界を顕現しています。 酷い現実を直視して言語化したいのなら私は新聞と評論でいいだろうと思います。少なくとも読者としての私は。 フィクションには、美しいものや愛や夢や希望や信頼が書いてあってほしい。たとえ綺麗事でも「浅い」と言われようとも。私が好きなのは楽しくてワクワクする小説で、現実で死ぬほど落ち込んでいる時、読みたいのは明るい綺麗な小説だったから。 そして恋も嫉妬も友情も信頼も、誰かを想う気持ちはそんなに簡単に名前をつけられない――そんな感情のグラデーションと、読後には明るさと希望と少しの寂しさが残る物語になりました。 さて結局、その人に小説を見せたのか。答えは否です。書き上げた頃には連絡先も解らなくなり、そもそもその人を説得しようとか烏滸がましいことを考えていたわけでもない。ただ、人生の不公平、世の中の矛盾に対し、私は物語を書いた。それも「綺麗事」の物語を書いた。それがすべてで、自己満足の極みです。 でも「たくさん読まれることを狙って考え抜いた小説が売れること」が正義であるように「究極の自己満足」もまた創作の正義でありましょう。   当時の文庫本の 後書きにこう書きました。 「どうしようもなく寂しくて、誰かに電話をしようと アドレス帳を開く。でも結局ボタンをそのままそっと携帯を閉じる。そんな夜に読んでほしい」   いつもの葉山透からはかけ離れた ポエティックな文章⋯。 でも 誰にだってそんな夜は あると そんな夜にこそ横にいて欲しい物語があると、そんな気持ちで書きました。 と、文字数もギリギリになってきたので、まとめに入ると、20年前に絶版になってしまった物語を、同人誌で復刊しました。 「この世界の何処かにいる誰か」に届くことを願って。20年越しに書いた続編「ヴィオレッタ」と一緒に。 文庫本 2冊分に、一人の作家の20年が詰まっています。 通販もしています。 リプ欄にのせておきます。   一人でも多くのやるせない夜を抱えた方に届きますように。
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「いい話だけど出版は無理。書店さんに並べる棚がない」 と何回か言われたことがあります。 「ジャンルがない小説」はそもそも出版が難しい。 『ファルティマの夜想曲』 二つの月がある、架空の港街を舞台にした24歳の娼婦が主役の物語。 企画会議を通したければ、 「主役を10代、娼婦もなし」「娼婦が書きたいなら、実在の歴史にあてはめるか、現代の風俗店にし時代的な問題提起を入れ込む」 等しないと無理。 私自身商業作家として、普段はプロットを作る時「棚はどこ」「ターゲット」「売りは何か?」ということを当然考えるし、編集さんに「こういうものを書いてほしい」と言われば120%応えたいと努力します。 なにより作家買いをしてくれる読者さんの期待を裏切りたくはない。 葉山透に求められているのは、ハラハラドキドキのサスペンス、ミステリ、SFを用いたギミック、娯楽映画のような爽快感だろうと思うから。 でも「ファルティマ」に限って言えばこの形を変えたくはなかった。 棚がないのはわかっていても、たくさん売れてメディアミックスなんて絶対ならない物語だとしても、変えたくなかった。 本読みの方なら理解していただけると思うのですが、読者として「この小説、メジャーにはならないけど自分はめっちゃ好き」という作品ありますよね? わかりやすくてキャッチーで王道は正義です。私も普段はそういう小説を書きたくて書いてます。大好きです。 しかしファルティマは、好きな人にはぶっ刺さるけど、刺さる人はごくわずかだろう、むしろ嫌いという人もいるだろう、でも書きたかった。 いえ、正直に言いましょう。 この物語は運よく商業で出たけれど、商業用にプロットを練ったものではありません。 友人、ではない。知人というのも憚られる。そんな遠い関係の人でしたが、吉原で働いている人がいました。 貧乏のどん底で育ち、頭がいいのに中卒。会社ではゴミのように扱われ、仕事をやめ吉原で働き始めました。 貧しい母子家庭に育った彼女は、このお金で母親にまともな暮らしをさせてあげられる、自分も生まれて初めて欲しいものを好きに買えた、今の生活に満足している、誰にも同情なんかされたくない、と言いました。そう言う彼女に、私は何も言えませんでした。でも、やっぱり、いけなくないけどよくもないだろう、という気持ちがありました。友人として何か言えるほど近くもない。そこで私がしたことは物語を書くことでした。なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。 さらに、吉原の闇を書くわけでもなく、ファンタジー世界観の美しい月と花と潮の香りに満ちた綺麗な夜の話を書いた。頭の中にだけあった一大冒険譚の中の脇役の娼婦を主人公にして、物語を書き始めた。 我ながら謎すぎる。   しかし、公募やコンテストに出すことを考えずに書いたこの物語は、私の作家としての本質と、美点と、同時に限界を顕現しています。 酷い現実を直視して言語化したいのなら私は新聞と評論でいいだろうと思います。少なくとも読者としての私は。 フィクションには、美しいものや愛や夢や希望や信頼が書いてあってほしい。たとえ綺麗事でも「浅い」と言われようとも。私が好きなのは楽しくてワクワクする小説で、現実で死ぬほど落ち込んでいる時、読みたいのは明るい綺麗な小説だったから。 そして恋も嫉妬も友情も信頼も、誰かを想う気持ちはそんなに簡単に名前をつけられない――そんな感情のグラデーションと、読後には明るさと希望と少しの寂しさが残る物語になりました。 さて結局、その人に小説を見せたのか。答えは否です。書き上げた頃には連絡先も解らなくなり、そもそもその人を説得しようとか烏滸がましいことを考えていたわけでもない。ただ、人生の不公平、世の中の矛盾に対し、私は物語を書いた。それも「綺麗事」の物語を書いた。それがすべてで、自己満足の極みです。 でも「たくさん読まれることを狙って考え抜いた小説が売れること」が正義であるように「究極の自己満足」もまた創作の正義でありましょう。 文学フリマ。 「自分が文学と信じるものを作り手が自ら売る」 商業のように「儲けを出さなければいけない」という前提はありません。書き手が負債を請け負う覚悟があればいい。 (同時に、商業で確立されている編集テクニック、装丁、営業広告、全国どこでも1冊から取り寄せできる流通と書店さんというものが、どれだけ洗練されていてありがたいものか実感します。このシステムを持続可能にするには、やはり売れなければいけないな、と) とまあ、文字数もギリギリになってきたので、まとめに入ると、細々と通販しているぶんを、文学フリマ大阪14にも持っていきます。 商業ベースにはのらなくても 「世界の何処かにいる誰か」に届けたい物語を、20年越しに書いた続編「ヴィオレッタ」と一緒に、一冊の同人誌にまとめて。
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#アイディールセミナー# アミティ・ロケッツ、堺萌香さん ジャシステからの3連続相棒。安心感がすんごい。おいも氏は多くは語らないけど、凄く熱い想いを持ってお芝居に臨んでくれるのが心から伝わります。今回のアミも凄く想いがとても籠ってた。おいも氏は台本の深いところまで読み込める人。正義の心とオケッツへの信頼、そしてオケッツとのび田の恋を見守ってくれてたからこそのヨシザワへの強い言葉。1stからファイナルまで共に駆け抜けられるのがとても嬉しいです。麗しのバタフライ。 こひがし、長澤茉里奈さん 6年ぶりおと小参戦。おと小作品が好きすぎて大阪まで観に来てくれた事もある猛者。しかし今回は秋本オタクとして参戦。 まりちゅう氏はグラビアのイメージが強いですが、本人は凄くお芝居が大好きなので取り組み方もとても素敵です。こひがし役はご自身のオタク度を存分に活かしてハスハスしてくれましたね。オケッツのことボロカス言ってましたが、本当は誰よりも脚とお尻を誉めてくれます。合法オケッツここにあり。 漢ノ鉄拳、井川勇樹くん 今回は新しい漢ノ鉄拳を魅せたかった。井川の熱血いい奴はそのまま、でものび田の理想とは一体なんかのか、どうしてヤンキーのアイディールを産み出したのか。原点に立ち返り共に創り上げました。漢ノ鉄拳という人気キャラは彼にしかできない彼だからこそのキャラクターです。殺陣師補佐としても日々の殺陣返しや、みなにアドバイスを送ってくれたりと、裏でも活躍してくれました。千秋楽の蹴りは完璧に入ってました。
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頭のいい人が中年で狂う問題。 極めて頭がよい人・実績もある人でも中年以降になると、そこそこの割合でおかしいことを主張するようになる。 なんでなんだろうと不思議だったが、自分が中年になってわかった。 イデオロギーに侵されてしまうから。 自分の待遇や評価、よく知っている人の状況、世の中の理不尽など、感情に訴えるような経験をたくさんする。 その結果、特定のイデオロギーに染まってそれが強化される。年齢とともに強くなる。 イデオロギーに染まれば、若い頃はキレキレで実績もある人がトンデモなことを主張するようになる。 イデオロギーは一定の説得力をもつし、話もうまいし、実績もあるのでフォロワーもたくさんつく。 正義感や倫理感が強い人はかえってイデオロギーに染まりやすい。 身の回りにもいるし、有名人でもたくさんいる。 頭がいいから、実績があるから、でイデオロギーに染まった人の言う事を信じるのは極めて危険である。現実をまっすぐに見れてないから。 森永卓郎さんを信じて株を買わずに現金にした人は価値がどんどん目減りしてしまった。 その点、頭のいい若者はまだイデオロギーに侵されてないので、間違える率が中年以降よりずっと少ない。 できるだけフラットに現実をみれるようにしたい。
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ASDの"良い側面"として『正義感の強さ』、"良くない側面"として『融通の効かなさ』が語られるシーンを良く見かけますが、これは同じ特性の2側面であるように思います 心理学には「認知的柔軟性」という働きがあります 状況に応じて自分の思考 / 行動を柔軟に切り替える能力のことですが、ASDはこれが利きにくいとされています そのため、同一法則 / 手順へのこだわりを持ち、小さな変化に対して苦痛を覚えるんですね ASDの判断基準に「正義感が強い」という項目はないものの、正義は基本的にそれが正論であるが故に他者にも通用"しやすい"概念であるため、状況に応じて対応が変わることが苦手という特性と相性が良いのです 念の為補足しますが、私はこの傾向を貶したいわけでも褒めたいわけでもありません ASDの人が遭遇する生きづらさに対して当事者以外の人が理解を深める、その上で当事者がその特性と向き合いつつよりストレスなく生きていけるように一緒に方法を探す、という方向に向いて欲しいと思います
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ハラスメント問題の専門家です。 大谷翔平さんの第二子が年子であったことに対して、「多産DV」だの「モラハラ夫」だのと信じられない批判をしている方が一部おられるようですが、「自分が気に入らない」ことを「ハラスメント」と都合よく言い換えるのは、実際にハラスメント被害で苦しんでいる当事者にとって迷惑でしかないんで、本当に止めて頂きたいですね。 そもそも「無事2人目が生まれてよかった!おめでたい!!」で済むお話なのに、賛否の「否」があるってどういうことよ!? 他人の家庭の慶事にまで自分の価値観を持ち込み、勝手に被害者と加害者を作り、祝福より先に断罪を始める。正気の沙汰じゃありません。本人は正義感のつもりで言ってるのかもしれませんが、こんなの他人の幸せに水を差したいだけの過干渉でしょうよ。 だいたい「ハラスメント」とか「DV」というのは、支配や強制、人格否定、意思決定の妨害といった具体的な事情があって初めて問題になるものなんで、他人の家庭の出産間隔だけを見て、外野が気分で貼っていいラベルじゃないんですよ。 もちろん、産後の妊娠間隔について医学的な注意点があることは確かです。ただ、それらは当事者が個別事情に応じて判断する話であり、我々第三者には「夫婦間でどんな話し合いがあって」「どんな医療判断やサポート体制のもとで出産に至ったのか」なんて分かるはずないんですから、「年子だからDV」とか「夫が無理に産ませたに違いない」などと決めつけて人格攻撃にまで至ってしまうのは、リスク説明でも心配でもなく、他人の家庭に土足で踏み込む、かなり悪質な「ハラスメント的言動」といえるでしょうね。 特に気になるのは、大谷さんをモラ夫扱いしながら「真美子さんが可哀想!」「私なら絶対イヤ!」と、勝手に真美子さんを被害者扱いしてる点です。これは一見真美子さんに寄り添ってるように見えて、実際には「夫に妊娠させられる妻」みたいな受動的存在として見てるんですよね。こんなに無節操で非礼なことがありますか。このタイミングでの妊娠出産はお二人の意志であり、真美子さんご自身の希望かもしれないのに。 実際、年子の家庭など世の中にいくらでもあります。育児を短期間に集中させたい、年齢的に早めに産みたい、きょうだいの年齢差を小さくしたいなど、事情は家庭ごとに異なりますからね。それを外から一律に「モラハラ!」だの「多産DV!」だのと呼び始めたら、世の中の年子の父親まで全員加害者扱いされかねません。ホント、何様のつもりなんですかね。 「ハラスメント」とか「DV」という言葉を、気に入らない男性を叩くための棍棒かのように雑に使えば使うほど、本当に助けを必要としている被害者の声も「また何でもハラスメントか」「また何でもDVか」と軽く扱われてしまうでしょう。そうなった時、最も不利益を受けるのは本物の被害者ですからね。 産む自由も、産まない自由も、いつ産むかを決める自由も、基本的に当事者本人たちのものです。自分の価値観に合わない出産を見た瞬間に「可哀想!」「DVだ!」「ハラスメントだ!」と騒ぐ人たちは、女性に寄り添ってるフリをして、単に自分の思想に合う選択だけを認めているにすぎません。 頼まれてもない被害者認定を始める前に、ご自身の中の過剰な正義感と、他人の幸福を素直に祝えない感情のほうを点検されたほうがよいのでは。 改めてこの度は大谷翔平さん、真美子さん、第二子のお誕生おめでとうございます!!
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先日、出張先でいま話題の映画『開戦前夜』(NHKスペシャルを映画化)を観ました。早朝の回にもかかわらず満席で、若い人も多かったです。 主演の池松壮亮さんはじめ若手俳優たちの熱演は素晴らしいし映画としては面白かったけれど、歴史的に重要な出来事を「頑迷な権力者vs正義感の強い若者」という類型的な構図で描こうとしたことは少し残念に思いました。 1940年に設立された内閣総理大臣直轄の総力戦研究所は、官僚・軍人・民間企業から30代前半の若きトップエリートたちを集め、日米戦のシミュレーション(机上演習)を行わせました。結論は「日本は緒戦こそ優勢なものの、物量差により数年で敗北する」というもので、後の太平洋戦争の推移とほぼ一致する正確な分析でした。 この結果は当時の近衛文麿内閣に報告されますが、「頑迷な権力者」の象徴である東條英機・陸軍大臣の「あくまで机上演習に過ぎない。戦(いくさ)は精神が重要だ」のひと言で無視され、日本は破滅的な戦争へ突き進むことになります。 また映画では、総力戦研究所の所長を、若者たちに日米開戦を肯定するよう求める卑劣で陰湿な人物として描いています。「頑迷な権力者」側の身近な人物に仕立てたかったのかも知れませんが、事実は違います。 実際の所長は国際派で日米開戦を憂えていた飯村穣・陸軍中将が務め、若者たちに自由闊達な議論を奨励していました。孫の飯村豊氏(元駐仏大使)はこの映画が事実を歪曲し祖父の名誉を毀損しているとして現在、NHKなどを提訴しています。 NHKや映画の製作者は、無理にでも「頑迷な権力者vs正義感の強い若者」という対決構図にした方が、若い観客の共感をえられるとでも考えたのでしょうか。 この映画のテーマは、負けると知りながら戦争に突き進んだ「時代の空気」とは何だったのかを問うことだそうです。しかしその答えは創作からは生まれません。 私はむしろ、関東軍参謀長も務めた飯村陸軍中将までもが若者たちと同じく日米開戦は回避すべきとの思いを持っていた事実を観客に伝えた方が、「時代の空気」の危険な本質に迫り、映画も深みを増し、若い人の心も打つのではないかと思いました。 ※参考文献 『現代の防衛と政略―名将・飯村穣の憂国定見 (上法快男)』 『総力戦研究所と海軍第一委員会(工藤美知尋)』 『総力戦研究所の真実(飯村豊)』 『昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹)』
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【衝撃】寺田心さんが電車内で泣く子どもを怒鳴る乗客を注意したところ賛否が分かれてしまう ■何があった? 6/16 俳優の寺田心さんが日本テレビ系「上田と女がDEEPに吠える夜」に出演 ↓ 番組では「アクティブバイスタンダー」といういじめやハラスメント、痴漢などを何らかの形で指摘し、被害を拡大する前に止める人たちの話題に ↓ そして、寺田さんは「僕はたぶん、けっこう正義感が強いタイプで…」と自身の体験談を話し始める ■物議を醸した言動 寺田さんは電車内で泣いている子供に「うるさいんだよ!」と怒鳴る乗客を目撃 ↓ その際に、寺田さんはキレる乗客を「うるさいのはあなたですよ」と注意する ↓ また、その相手は「なんだよ」と反抗したものの、寺田さんは「いやいや、赤ちゃんは泣くのがお仕事なので、それ以上やめてもらっていいですか?」と追撃する ↓ その後、相手は気まずかったのか次の駅で降りたとのこと ↓ 共演者の上田さんは「ごめんね、心くんとか言って。心さんにするね」とコメント ↓ その後、視聴者からは「勇気ある行動すぎる」「ダサい乗客が言い負かされてよかった」と称賛の声が殺到 ↓ 一方で、「寺田さんの行動は無敵の人を引いたときにヤバいから絶対にやってはいけないと思う」との疑問の意見もあがっている ■視聴者の反応 ・正しいことをしてる人が損する社会も歪だけどな ・最近無敵の人が多すぎて嫌になる #キリン時事系#
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モラハラのお手本のような事例で非常に良い問題提起であるように思いました まず、この手の人に本当に「モラル」があることはまずありません 正しさ、誠実さ、理由、こういった概念を格好の言い訳に使っているだけで、根本は『自分の要求が通るか』しか考えられていないのです モラハラの原因は2つあります 1点目は、『自分の正しさ』を最優先するマインドが根底にあることです そもそも自分は正しいという自認があり、相手がその正しさと異なる選択をした場合、良くないことをしたのだからまずその非を説明するべきだ、という(無意識の)懲罰意欲が湧くんですね 話し合いたいと口では言うものの、本当に話し合おうとは思いきれていないのです バンデューラという心理学者は『道徳的正当化』という人間の深層心理があると指摘しており、 人間は無意識に「これは価値がある / 正しい行いである」と、自分の行動を勝手に良い方向に再解釈し、罪悪感を抱かずに良くない行動をとってしまう生き物なんですね 例えば、本当は相手を「詰めている」のに「話し合う」だと思い込む、「監視する」を「心配する」、「従わせる」を「教える、躾ける」だと思い込んでしまいます 大前提、自分が正しかったとしてもそれを理由に人を責めるべきではありません 人間は「正義」や「正しさ」を盾にした際に最も強い加害性を持つ生き物です むしろ自分が正しい時ほど、相手を追い詰めないように言葉選びや態度に細心の注意を払うべきなんですね モラハラが起こる理由の2点目は、『不確実性への耐性(ネガティブ・ケイパビリティ)が低い』ことです パッと答えが出ない状況で、すぐに結論を急がず、その不安や不確実さにとどまり続ける耐久力のことですが、 この能力が低いと、相手が今抱いている複雑かつ矛盾を孕んだ感情や態度を慮ることもできないので、自分が欲しい正解を相手に出させようとしてしまいます 本人は「正しい説明なら納得する」と言いますし、本院は本心から言っているのだと思いますが、 返ってきた答えが論理的で妥当なものかを精査する能力は本人には無いため、結局のところ自分の欲しい回答に沿っているかどうかでしか判断できません 想像と違う回答が来て納得することはなく、また次の追及を始めてしまいまうんですね そもそもですが、相手に対して答えを追及するやり取り自体が「話し合い」ではありません 話し合いはあくまでディスカッションであるべきで、ディベートや裁判であってはいけないんですね 結局のところ、本人は自分のことを冷静で論理的に判断していると思っているものの、 実態は非常に感情的で、モラルや論理性が無いと他者から評価されています 最期には「もう変わらないな」と呆れられ、理由も教えてもらえず周囲から人が離れていってしまいます ただ、こうやって自分の側の問題として気づけたということ自体はとても重要で大切な一歩だと思います 私は昔こういう人間でしたし、今でも(特に自分に余裕の無い瞬間に)過去の自分が出てこないか常に意識しています 「もしかしたら自分は結構わがままな人間で、そのわがままを通すために理屈や言葉を組み合わせているのかもしれない」 こう思った瞬間から少しずつ変わることができます 過去の自分への戒めもこめて強い口調で書いてしまいましたが、このような性格で人間関係が悪化するのは勿体無いことだと思います ぜひ諦めないで正しい知識をつけて欲しいです
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