登録して招待リンクを共有すると、動画再生報酬と紹介報酬を獲得できます。

検索結果 自分を知らない人にも分かるように自分の特徴を5個上げる見た人もやる
自分を知らない人にも分かるように自分の特徴を5個上げる見た人もやる コミュニティ
1つのキーワードが1つのコミュニティです。
コミュニティ作成
アカウント
見つかりません
自分を知らない人にも分かるように自分の特徴を5個上げる見た人もやる を含む検索結果
#自分を知らない人にも分かるように自分の特徴を5個上げる見た人もやる# ●小説や漫画シナリオを書いてる ●呼吸と執筆がほぼ同義 ●ケダモノ系男子・人外♂好き ●食道楽 ●死ぬほどの出不精(美味しいものを食べるためだけに外出てるレベル)
もっと見る
#自分を知らない人にも分かるように自分の特徴を5個上げる見た人もやる# ◯Web小説を投稿して16年経過 ◯恋愛ジャンルがメインの投稿サイトで狂ったようにファンタジー小説を投稿してた人 ◯自創作キャラを高確率で川に落とす ◯お絵描きもする  ◯最近フロムゲーに性癖を開拓されてる
もっと見る
今日で日本コロムビアグループに来て5ヶ月になります。 2004年に独立してから、ずっとフリーランスとして生きてきた自分が、44歳で初めて会社員になりました。環境も、立場も、背負うものも大きく変わった5ヶ月でした。 生成AIという大きな変化の真ん中で、新しい技術で何ができるか、だけではなく、この技術を使って何を世の中に残せるのか、ずっとそれを考えて走ってきた気がします。 COLOTEKを通じて出会った、たくさんの才能。企業やアーティストとの新しいクリエイティブ。イベントや登壇で出会った人たち。そして、まだ名前もついていない企画や作品たち。 この5ヶ月で本当に多くの人と出会いました。同時にAIクリエイティブの世界には、まだ世の中に見つかっていない才能がたくさんいることを改めて実感しました。 技術はものすごいスピードで進化しています。昨日できなかったことが今日できるようになる。半年後には、今の常識さえ変わっているでしょう。 でも、どれだけ技術が進化しても、最後に人の心を動かすのは「誰が、何を想って創ったのか」だと思っています。だから、自分は技術だけを追いかけるのではなく、その向こう側にいる創り手を大事にする。 才能があるのに、まだ知られていない人。圧倒的な世界観を持っているのに、届ける場所がない人。AIという新しい道具を手にして、これから何者かになろうとしている人。 そんな原石たちが、原石のままの個性を失わず、もっと大きな舞台で輝ける場所をつくりたい。その想いが少しずつ形になってきました。 完成された人だけが主役ではありません。荒削りでもいい。尖っていていい。誰にも理解されていなくてもいい。そこに、その人にしかない何かがあるなら、それを信じたい。 ここだけの話。 人と喋ることが、本当は得意ではありません。大勢の人の前に立つことも、今でも決して好きではありません。 もっと社交的で、もっと器用で、もっとプロデューサーらしい人間だったら楽にできることもたくさんあるのかもしれません。 でも最近は、こんな人間だからこそ、できることもあると思うようになりました。うまく輪の中に入れない人の気持ちが分かる。自分の作品を見せることが怖い人の気持ちも分かる。才能があるのに、自信を持てない人。言葉にするのが苦手な人。自分の居場所がまだ見つかっていない人。そういう創り手を見つけたとき、たぶん放っておけない。 会社員としては、まだ5ヶ月。 分からないことも多いし、正解ではない動き方をしていることもあると思います。それでも、会社の中にいるからこそできることと、22年間フリーランスの現場で生きてきた自分だからできること。その両方を使って、今までにない場所をつくりたいと思っています。 そのためなら、苦手なこともやる。人前にも立つ。会社の中でも外でも、必要なところに飛び込んでいく。そして自分自身も、創ることだけは絶対にやめない。たぶん、それが自分にできる役割なんだと思っています。 長文失礼しました。来月も全力で走り続けます! 今日は早めに布団の中に入るぞと、、お疲れ様でした!!
もっと見る
「バリキャリやめて、結婚・出産した。」 「仕事より、子育てのほうが数倍ラク。」 「子育てには責任がない。謝れば済む。」 わたしに奢りにくるたびに、なぜか生まれたての『違う赤ん坊』を連れてくる、大阪の常連だ。 彼女は、彼女が大学生の頃からの古参フォロワーで、わたしのことを遠目に観察しながら、バリキャリの道へと進んだ。よく働いた。 彼女が当時、進学した高校はいわゆる""進学校""で、その友人たちは皆、わかりやすく言えば「結婚なんて」という価値観だった。 女も、男に頼らず生きていくんだ。経済的合理性。未来を見据えたキャリア・アップ。手に職を。 そして彼女もまた、まさか自分が20代のうちに結婚をし、こどもを複数人産んで育てているなんて、いちども考えなかった。 その後、SNSに現れた「不快な浮浪者」の発言(いまあなたも見ている、まさにこれ)を見ているうちに、結婚や子育ての現実的、妥協案的、あるいは合理的システムについて考えるようになる。 わたしが本当にしたかったことは、なんだろう? 高収入?キャリア? なんのため? 不自由なく生きるため? 男に抑圧されず自由に生きるため? しかし、そう考えることこそが、まさに抑圧的なのでは? わたしは、自由になろうと、させられているのでは? 彼女はひどく潔く、イノセントだったので、「若いうちにこどもを作り、たまにおいしい酒を飲んで、ぬくぬく家族と生きてたら幸せじゃね?」となった。兄弟の多い育ちが功を奏して、その想像は容易かった。あっけなく、答えは出せた。 そうして実際、驚くほどに潔く、すばやく結婚をし、子を産み、初めてわたしに奢りにやってきた。「結婚してよかった、こども産んでよかった!」と、いつも話す。 とんでもない事後報告である。知らんやつが知らんうちに知らん影響を受けて知らんことして知らん報告をしてきたわけである。 彼女に、ふたたび大阪で再会した。ふたたび、ちいさな赤子を抱えている。こないだ会った男の子は、もう2歳になったそうだ。 「寝てるね」 「はい、ラクなもんです。家事をして子をみるだけで生活ができる。より過ごしやすくするには、まわりに、家族やご近所に愛想良く振る舞っておけばいい。協力してもらえる。そういう意味では、仕事より、子育てのほうが数倍ラクですよ。わたしにとっては。」 「へぇ。具体的に、どんなとこが辛いの?」 「子育てには責任がない。」 「いやいや、さすがに、子育てにも責任あるやろ」 と笑いながら突っ込むと、 「いやいや、こどもなんて、基本わたしのことクソ好きなニコニコ上司ですよ。オムツ替えるのがちょっと遅れちゃっても、謝れば終わり。」 「ごめんね、きょうのご飯は唐揚げだよ、と言う。」 「そうです」 「でもね、仕事はそうはいかない。関係者各位にいくら頭をさげても、取り返しのつかない失態がたくさんある。そこらじゅうにです。わたしの子供は、そうですね。死ななければいい。」 と彼女は言った。 「子育ては、めちゃくちゃラクだし、めちゃくちゃ楽しいです。ツイッターには正反対の意見ばかりで、「結婚最高!」「子供最高!」なんて書いたら炎上しちゃいそうで、絶対に書けないですけどね。」 「ほんとうに幸福なひとは、幸福の瞬間にツイッターを開かない。」 「プロ奢が、ずっと人生なんてくだらない、くだらないことは自分勝手に楽しむしかない、ということを言っていて、良い意味で絶望できた。だからこどもを産めました。ありがとう」 「そっか。なんか感謝されてるのか、恨まれてるのか分かんないけど、それはよかったね。」 「うん!もうひとり、産んじゃおうかな!」 「じゃあ、また新しい成果物ができたら会いましょう。」 「いいですね、成果物!」 そういう勢いで、大阪の大きな商業ビルのカフェのエスカレーター前で別れた。まさに、それは「そういう勢い」と表現するのが相応しくて、ふたたび会うときにも、きっと「そういう勢い」でやってきて、「そういう勢い」で別れるのだろう、と思う。 ややこしいことを考えるとキリがない。というか、かろうじて考えることはできても、すっきりとした答えが出ない問題で、世界は覆われている。 こどもは幸せになるのだろうか?わたしはこどもを生むべきだろうか?そんなもの、だれにも分からない。分かる必要がない。 ただやったり、やらなかったりすればいい。しかし、やってみたほうが考えるヒントは増える。それだけのことなのだろう。 他者を人としてリスペクトする姿勢というものは、つまり、勝手にやれ、と言い切ることなのかもしれない。 生まれたな、じゃあ、あとは勝手にやれ。幸せになれ、不幸せになれ、自由になれ、不自由になれ。なんてひどいことだろう。 でも、なんてすてきなことでもあるんだろう。信頼の香りがする。 出産、それは、あまりに暴力的で、昨今の厳しいコンプライアンスに抵触しうる、極めて反社会的な行動にすら思える。でも、より正しいのはどっちだろう? いや、そう考えても分からない。だから、こう考える。よりくだらないのはどっちだろう?好きな方を選ぶしかない。信じた先で転んでも、タダでは起き上がらない、そう信じられるような道を、じぶんで選びとるしかない。
もっと見る
日本の平均年収は478万円。この数字を自分と比べるのは、あまり意味がない。 国税庁の民間給与実態統計調査で、1年を通じて働いた人の平均給与は478万円だった。4年続けて増えていて、過去最高になっている。 ここまではニュースで流れるとおりだ。問題は、この数字の使われ方のほうにある。 478万円は、正社員も非正規も、全業種を、20代から60代までまとめた平均だ。男女で分けると、男性が587万円、女性が333万円になる。業種で分けても、年代で分けても、この数字から大きく離れる。つまり、478万円と一致する人はほとんどいない。 それでも人はこの数字と自分を比べる。上回っていれば安心し、下回っていれば焦る。どちらも、比べる相手を間違えているだけだ。 意味のある比較はひとつしかない。同じ職種で、同じくらいの経験年数の人が、外でいくらもらっているか。これは求人票を10件も見れば分かる。全国平均より、はるかに自分に関係がある。 平均と比べて安心するのがいちばん危ない。平均を上回っていても、同じ職種の相場を大きく下回っていることは普通に起きる。会社は、あなたが相場を知らないことを前提に値付けをしている。 あなたの職種の求人を、今日10件だけ開いてみてほしい。比べるべき数字は、そこに書いてある。
もっと見る
【保存推奨】 独立や副業を考える人が、最後に必ずぶつかる「結局、私には何が売れるの?」にお答えします。 そもそも会社員として過ごした時間は、独立する側から見ると値札を貼り忘れた宝の山みたいなものです。会社の中では当たり前すぎて誰も褒めてくれなかったものを具体的に挙げていくと、 ・電話の取り次ぎで鍛えた、初対面の3秒で空気を読む力 ・議事録づくりで身についた、話を一枚に要約する技術 ・上司への報告で染みついた、結論から先に言う癖 ・毎朝の挨拶回りで育った、名前と顔を一致させる記憶 ・後輩指導で気づいた、相手が「できない理由」を言葉にする力 ・飲み会の幹事で身についた、人数と予算を同時にさばく段取り ・異動のたびに覚えた、知らない集団に数日で馴染む適応力 ・稟議を通すために磨いた、決裁者が気にする一点を先読みする勘 ・取引先との雑談で貯まった、業界の"裏の相場観" ・クレーム対応で作られた、怒っている相手を落ち着かせる胆力 ・接待で身についた、店選びと席次だけで信頼を渡す細やかさ ・満員電車の通勤で鍛えられた、理不尽に折れない心の筋肉 ・社内政治を生き抜いて得た、誰に話を通せば物事が動くかの地図 ・経費精算や年末調整で、いつのまにか触れていた数字とお金の基礎 ・「あの人に聞けば分かる」と頼られてきた、社内での小さな信用 ・部署をまたいで飲みに行って作った、"弱いつながり"の名簿 ・上司の無茶ぶりに応え続けて身についた、ゼロから調べて形にする力 ・長い会議に耐えて得た、退屈の中から要点だけ抜き取る集中力 共通しているのは「会社の中では当たり前すぎて誰も値札をつけなかった」か「お金をもらいながら、いつのまにか身についていた」ものです。 対人、段取り、信頼。この3つに関わる経験は、そのまま外でも通用する。まず棚に出すべきは、ここ。 自分の職種で覚えたことだけが武器だと思っている人には、その周りにこそ、値札のついていない資産が眠っていることを知ってほしい。 今、副業やフリーランスを視野に入れる人は4割にのぼると言われます。そしてAI時代に価値が上がると言われているのは、AIには代われない"対人能力"のほう。皮肉なことに、あなたが「ただの雑用」だと思ってきた経験ほど外に出たとたんに値がつく。消費される側から選ばれる側に回れる余白は、たぶん今がいちばん大きい。 これから一歩を踏み出す誰かの棚卸しに参考になったら、いいねとブックマーク、リポストをいただけたら嬉しいです。
もっと見る
インスタ見てくれている方は分かると思うけど 毎日、友達や関係者、仲間たち、 昔の仕事仲間が来てくれていて だいたい5組くらい 多い日は10人以上で来てくれる人たちもいます。 私の周りには 今回のきっかけがなかったら ストリップに行く人も 行ったことがある人も ほとんどいなかったと思います。 正直 ストリップって人生の中で 知らなくても生きていけるものかもしれない。 でも長い人生の中で一度経験してみても 損はしないものだと思っています。 亜衣が出るなら行ってみようかな そんなきっかけで全然いいと思っていて。 劇場はお客様がいてこそ成り立つ場所。 見てくれる人がいるから 私たちはステージに立てています。 そこからハマってくれたらもちろん嬉しいし その初めての体験を 一緒に共有したいと思って いろんな人に声をかけています。 正直 知り合いに裸を見せるのってどうなんだろうって 思わないわけじゃないけど、 恥ずかしいとかではなく 努力してきた自分があるから ちゃんと自信を持って立てています。 この感覚は人とは違うと思うけど。 今は ただただ目の前に来てくれる すべてのお客様に楽しんでもらいたい。 その気持ちだけでステージに立っています。 感動して泣いてくれる女友達 何度も足を運んでくれる人たち。 そんな人たちが周りにいることが 本当に誇りです。 10年前 4年前もたくさん声をかけたけど、 今回が一番声をかけていて そして一番たくさんの人が来てくれて 感動して帰ってくれている気がします。 それだけ 今の自分のすべてを出し切ろうとしています。 あと10日間。 よろしくお願いします。
もっと見る
人間は比較対象がないと 物事を認識できません。 醜さを知らないと美しさも知れない。 悪を知らないと善も知れない。 他人と自分を比べないと 自分が何者なのかすら分からない。 他人と自分を比べるな、 などと言う人がよくいますが そんなことは不可能です。 “格上の他人とばかり比べるな” と言ってるだけであって 比較行為そのものはなくせません。 哲学的な話で 説明すると長くなりますが この世界を無限に続く 長い砂浜だとして その中の多種多様らしき砂粒を 脳はどう認識しているかというと、 言語体系という言葉の網の目を被せて 網の目で区切られた ひとつひとつの区画に 名前を付けてるんです。 こっちはアレ、そっちはコレ、 この網の目は更に細分化して アレにも色々ある、みたいな。 つまり、口に出そうが出すまいが 言葉で区切って名付けない限り 人はそれを認識できない、 それはこの世に存在すらできない、 ということです。 この世界に客観なんてものはなく 全ては自分が五感を駆使して 自分で勝手に構築している 主観的な世界です。 巨大な主観的な世界の中で 主観と客観を区別してるだけ。 一見自分とは無関係に存在してそうな 他人も、事件も、全てあなたが 認識したから存在できているだけ。 あなたが認識してくれないと 僕も存在できません。 Aを知るためには 非Aがなくてはならず 非Aと並べて比較することで 差異を見出して やっとそこで Aとは何かを知れます。 Aだけ見てても永遠に なんだか分かりません。 というかそもそもAと非Aは コインの裏表のように常にセットであり A単独では存在すらできません。 喜怒哀楽の喜楽を認識できるのは 怒哀を知っている人だけ。 毎日喜楽ばかり味わっていると それが当たり前になり もう喜楽を認識できなくなります。 つまり活き活きした生活には 怒哀も適度に必要ということです。 癒しだけでは飽きてしまい 刺激だけでは疲れてしまい 両方バランスよく必要。 人生は自分でプロデュースするドラマです。 喜怒哀楽全てをくっきりはっきり 味わい尽くして死ぬのが 最高の贅沢というもの。 僕はもう十分に味わい尽くしたので いつ死んでも後悔はありませんが 意外となかなか死なないので まだ生きてるならもう少し味わおう、 あれまだ生きてるやんもう少し、 と毎日を楽しんでおります 笑
もっと見る
おはようございます 現在、セントラルパークにてImpressPhotoExhibition ノリタケの森ギャラリーにてJPS東海展と 2つの合同展に展示させていただいています 連日、感想のDMをいただき 昨日は会場でお声かけを多くいただきました 「個展」は個人の魅力や実力で人が集まります そして「合同展」は自分の作品の事を知らない人も来てくれます 自分の作品を好きになってくれる人は100名のうち1人かもしれません。ってことは1000名来てくれる会場なら10名の方が自分の作品を好きになってくれるかもしれません リアポでも闇の王でも沢山の人たちが来てくれる場所で 自分を知ってもらえることに意義があります 自分の作品を好きになってもらう確率が上がるのです いつも、そんな気持ちで合同展に参加しています 皆様もぜひ、ご覧ください 今日が良い日になりますように 今日も良い撮影ができますように
もっと見る
「関係を、壊したくて壊しているわけじゃない」 人は時々、 同じような関係を繰り返す。 近づきすぎて苦しくなる。 急に怖くなる。 相手を試してしまう。 逃げたくなる。 信じたいのに、 疑ってしまう。 そして関係が揺れるたび、 「また同じことをしてしまった」 と、 自分を責める。 大切な相手ほど、 怖くなる。 失うのが怖くて、 先に離れたくなる。 本当は繋がっていたいのに、 身体が警戒してしまう。 でも最近、 少しずつ分かってきた。 それは、 壊したいからではなかった。 “安全な関係” を、 身体が知らなかったのだ。 小さい頃から、 安心する前に傷ついてきた人は、 近づくほど、 警戒が強くなる。 本当は大切なのに、 失うのが怖くて、 先に終わらせたくなる。 信じたいのに、 裏切られる準備をしてしまう。 それは、 性格が悪いからではない。 愛が浅いからでもない。 むしろ、 本当は深く求めてきた人ほど、 怖くなることがある。 傷は、 「記憶」だけで残るわけではない。 人との距離感。 愛される時の苦しさ。 助けを求められない感じ。 不安になった時の反応。 そういう、 “生き方” として残っていく。 だから人は、 安全な関係を知らないまま大人になると、 傷つかないために反応し、 その反応で、 また関係が壊れてしまう。 するとさらに、 「やっぱり私は愛されない」 が強くなる ——- 少しだけ違う体験をした。 怖くなった時。 もう無理かもしれないと思った時。 それでも、 すぐには切り捨てられなかった。 揺れても、 戻ってこれた。 その時、 初めて少し分かった。 回復って、 急に傷が消えることではないのかもしれない。 「今回は、少し違った」 を、 身体が経験していくこと。 怖くても。 弱さを見せても。 関係が全部壊れるわけではないと、 少しずつ知り直していくこと。 だからもし今、 同じように苦しさを繰り返している人がいたら、 「また壊してしまった」 だけで、 自分を責めすぎないで。 壊したいのではなく、 “安全な繋がり方”を、 身体が学び直している途中なのかもしれないから。
もっと見る