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池田リリィ茜藍
@ikeda_lily
茜藍(ちぇんらん)。沖縄生まれ台湾育ちの日⇔中ダブルネイティブ。翻訳家三代目。書籍翻訳の他、知事/市長クラスの通訳担当多数。会議通訳、災害通訳、二言語司会。訳業雑感、美術や瑣末事のつぶやき多め。アート北京翻訳、上海PSA通訳、国宝展中訳、坂本龍一さん通訳など。 📨lilylilylily0922@gmail.com
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積もり積もった 絶望を薄める 良薬あり それは 丁寧に扱われること #岩崎航 ##五行詩#
日中通訳・翻訳雑感 大学の中国語学科でも「731部隊」という言葉自体を知らない学生がいたことに、びっくりしたことがある。 日本に限らず、被害の記憶というのは、「何が起きたのか」という共同体の記憶として継承されやすい。加害の記憶は、「何をしたのか」という自己像を揺さぶるため、教育や記念の制度から抜け落ちやすい。 しかも厄介なのは、両者の記憶には、二つの軸で非対称性が生まれる。 ひとつに、やられた側では、年月日や個々の証言まで具体的に記憶されているのに、やった側では具体性が失われていく。 つぎに、「先祖のしたことだから関係ない」という言い方自体、翻訳家として興味深いところでもある。国家の経済的発展や偉人、文化の継承など、誇れるものは「私たちの歴史」として語るのに、加害の歴史になった途端、「自分がやったわけではない」と個人単位に切り替えることができる。 つまり「私たち」と「私」の範囲が、語りの内容によって伸び縮みする=これは「主語の翻訳」の問題でもある。 日中通訳・翻訳の現場では、同じ歴史的事件でも、固有名詞が双方に同じ密度の記憶を呼び起こすとは限らないことは、日常茶飯時。
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「731部隊」職員表など公式文書見つかる 旧日本軍で細菌戦研究 #nhk_news#
我が街、高円寺。古道具屋の友人も取材を受けたとのこと、楽しみすぎる。
次回のアド街は #高円寺# 8月最後の週末は 本場徳島に次ぐ規模の #阿波おどり# 夏を熱く締めくくります! #みうらじゅん# #堀田真由# #小宮浩信# #三四郎#
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『#月刊みんぱく』2026年7月号特集「青の人類」をみんぱく公式ウェブサイトにて公開中!# 想像してみよう、青の語彙がない言語を。想像してみよう、青が作れなかった時代を。想像してみよう、青の鬼神がいない祭礼を。「地球は青かった」。巻頭エッセイはグラフィックデザイナーの #松田行正# さんです。 #国立民族学博物館# #みんぱく#
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【「敵」だけではなかった――人体実験にされた日本兵】JVL|8.17 戦時中の日本軍による人体実験と聞けば、まず731部隊と中国人・捕虜などの被害者が想起される。しかし今回明らかになった事例は、その歴史像にもう一つ重要な側面を加える。 1940年、千葉県の国府台陸軍病院で、陸軍軍医学校の軍医が統合失調症などで入院していた日本兵10人を、マラリア原虫に感染した蚊に刺させ、発症の経過を調べていた。被験者には高熱や身体の痛みが生じたという。明治学院大学国際平和研究所の松野誠也氏が、1941年に軍医団の機関誌へ掲載された伊熊健治「マラリア感染蚊に依る人体接種実験」を確認した。 被験者が「敵国人」でも捕虜でもなく、日本軍自身の兵士だった。 国府台陸軍病院は当時、日本陸軍の精神・神経疾患治療の中心施設だった。これまでの「病床日誌」研究によれば、精神疾患を抱えた兵士は軍の士気や統率を乱す存在とみなされ、国府台に隔離される側面があった。敗戦を越えて残された8002冊の病床日誌からは、戦闘恐怖、軍隊への不適応、私的制裁、さらには自らの加害行為への罪責感によって精神を病んだ兵士たちの姿も明らかになっている。 つまり今回の発見は、一人の軍医の逸脱としてだけ見るべきではない。 軍隊という巨大な組織の内部で、人間の身体が「戦力として有用か」という尺度によって序列化され、病気や障害によってそこから外れた者の自己決定がどこまで尊重されたのか、という問題を突きつけている。 そして近年、731部隊研究そのものも変化している。2025年に公開された新資料などからは、731部隊だけを孤立した「特殊な秘密部隊」として見るのではなく、南京の1644部隊、広州の8604部隊などを含む陸軍防疫給水組織のネットワークとして人体実験・細菌戦研究を捉える必要性が改めて示されている。 今回の国府台の事例をそこに重ねると、さらに重い問いが浮かぶ。 戦時医学にとって、どこまでが「患者」で、どこからが「研究材料」だったのか。 捕虜や占領地住民への暴力と、自国の精神疾患兵士への扱いを同一視することはできないが、両者の背後に、人間を戦争遂行のための「資源」として評価する総力戦の論理がどこまで共有されていたのか。 今回の発見は、その問いを日本国内の史料から改めて突きつけている。 #日本近現代史# #戦争史# #医療史# #軍事医学# #731部隊# #国府台陸軍病院#
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済州島、沖縄、ハワイ──軍事化はなぜ島々で進むのか。 「それぞれの島が関連する国家によって周縁に追いやられた現場である一方で、これらの島々をめぐっては非常に強い観光的な美的イメージが存在しています。そのようなイメージによって島々の歴史や現実は隠されているとも言えるでしょう」
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沖縄の中学生、高校生って卒業式の時、学生同士でメリケン粉((小麦粉)を投げ合う風習があるのよ。 で、俺らの中学の卒業式前に、生徒指導の教師金城がさ、朝礼で、 金「お前ら!卒業式!メリケン粉投げやったらくるす(ころ◯)からな!食べ物がもったいないだろ!」と。 そしたら賢い生徒会長が手を挙げてさ、 生「先生!じゃあ何故、プロ野球の優勝のビールかけは許されるんですか!?」と聞いたのよ。 そしたらさ、生徒指導教師の金城が悩んで、 金「ゆ、優勝したからだ!」と。 生徒だけじゃなく、他の教師陣も肩を震わせて笑いをこらえていたよ。 ちなみに、メリケン粉は小麦粉がアメリカから輸入された当時「アメリケン」からメリケン粉になったそうです。 読んで下さりありがとうございました。
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「過去のことに囚われすぎている」とか、「もっと未来について考えるべきだ」とか、「学者きどりか?」とか。もっと冷たい人には、「だから?」と言われることもある。そのたびに、「自分の仕事なので」と答えてきた。 たとえば歴史博物館の学芸員に、「歴史ばかり研究していても前に進まない」とヤジはとばないのに、通訳者や翻訳者が歴史について語れば、とたんに「そこまでやる必要があるのか」と首をかしげられてしまう。 おそらくそのことに想像が及ばないのは、台湾の文学や美術そのものが、どれほど日本統治期から現在まで、幾重もの歴史の層の上に成り立っているのかを知らないから、という部分もかなりあるのかなと。 台湾の文学や美術を訳していると、日本との関係は、「歴史に興味があるからわざわざ掘り返している話」ではなく、作品の内部に最初から存在していたりする。日本統治期の制度や教育、言語の形成、そして戦後の断絶や継承まで、作品を読もうとすれば必然的に出会う。 若い頃は、ただでさえ自分の家族の歴史も複雑で、当事者性が強いぶん、いちいち向き合うのは本当に辛いと思っていた。 台湾の文学や美術をきちんと扱おうとした結果、歴史も読まざるを得ない。本当に歴史理解は、専門性を固めるための付加価値というより、作品を訳すための条件になっている。 そして、学びはつきない。
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1895〜1945年を指す複数の呼称についての、翻訳雑感。 台湾華語では「日治時代」「日據(拠)時代」「日領時代」「日本殖民時期」など、さまざまな呼称が用いられてきた。「日治/日據」はとりわけ台湾の政治的立場と結びついて語られてきた一方、「日領」には日本の学術界で用いられてきた系譜がある。また「日本時代」は、台湾の閩南語を話す世代が日常的に使ってきた口語表現だったりする。これらは単純に一直線に並べられる言葉ではなく、それぞれ異なる場所や世代、文脈のなかで使われてきた。 日本語の場合、指定がないかぎり、私は「日本統治時代」「日本統治期」とし、台湾華語では「日本時代」としていることが多い。 少し前のお盆、日本に暮らす台湾人キュレーターが、日本語の原稿で「統治」とすること自体にもためらいを覚える、と自嘲していた。言葉を選ぶたびに自分の立場を点検することに嫌気がさし、「台湾人であるために、なぜこんなに大変な思いをしないといけないんだろう」とこぼしたとき、慰めの言葉が見つからず、申し訳なく感じた。 個人的には、日本語でも「日本時代」とするなら、あえて括弧付きで書くことにも意味があるのではないかと思う。単にニュートラルな名称へと置き換えるのではなく、呼称そのものが歴史的・政治的に揺れてきたことを、日本語のなかにも残せないか。翻訳家として、そのぎりぎりのところで言葉を選ぶ。 ただ、最近よく感じるのは、「日本時代」という呼称=「台湾は日本の植民地ではなかった」と考えることが、日本ではしばしば一続きに理解されてしまう。本来、この二つは別の問題なのに。 「日據」も「日治」も、その選択自体が政治的立場の表明として読まれうるなかで、「日本時代」は、そうした政治化された呼称から距離を取る言葉として機能することがある。一方で、「日本殖民時期」と一貫して書く台湾の学者もいる。 ポイントは、同じ「日本時代」の4文字でも、その言葉が置かれる言語空間によって作用が変わること。台湾華語における「日本時代」という呼称は、植民地だったという歴史認識を否定するための婉曲表現ではない。政治化された呼称から距離を取る言葉になりうる一方、日本語では、日本による植民地支配そのものから距離を取る言葉として響くことがある。 これは辞書的な等価性からは見つけられない、「言葉が国境を越えたとき、発話者と受け手の歴史的位置が変わることで何が起きるか」を思索する、翻訳の問題でもあると思う。
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「共同体」という言葉をさんざん訳してきて、その限界を感じているいま、石倉先生の本が少し前に出版され、読み進められるのが嬉しい。 私も石倉先生と同じく、韓国のr:eadで「共異体」の概念を教えてくれたイ・チャンウクさんに、たいへんお世話になった。 断続的にだけれど、自分の職能や職業倫理に照らし合わせて考えてきたテーマでもある。かつて翻訳・通訳には、文化間の「誤解」を解き、矛盾して見えるものを整合させる役割が強く期待されていたと思う。Aの文化ではこう、Bの文化ではこう、だからこの違いを埋めるために、橋を架けようみたいな。 でもとくにここ3年、それだけではないと強く感じる。 とくに植民地経験では、「相互理解」という善意そのものが、ときに危うい。 矛盾を解消するのではなく、「なぜそれが矛盾して見えるのか」をあえて残す。理解しやすい物語へ統合するのではなく、複数の記憶や立場が同時に存在している状態を壊さずに運ぶにはどうしたらいいのかを悩んできた。 ましてや「〇〇人にとって日本統治とはこういうものです」と訳者が分かりやすく説明した瞬間、その内部にある世代差、族群差、政治的立場、個人の記憶まで解像度を下げてしまう。 かつて文化翻訳が「違いを理解可能なものにする」仕事だったとすれば、いまはそこに、「理解可能にしすぎない」「矛盾を解消しない」「誰かを文化の代表者にしない」という倫理も加わってきた。 「相互理解」とは、違いをなくして同じ目的地へたどり着くことではなく、理解しきれないもの、矛盾して見えるもの、互いに異なる記憶を抱えたまま、それでも関係を結ぶことはできる。 「共同体」という言葉を数え切れないくらい訳してきて、翻訳について考えなおすこと自体が、「共異体」へ自分も近づいている。 #共異体の人類学#
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台湾有事雑感 去年、那覇で開催された琉台交流で、地元の高校生が練習でつくった沖縄の文化紹介のパワポをもとに、台湾からの視察団へ通訳したときの話。 台湾側の代表が壇上で、「台湾有事は日本有事。沖縄と台湾は運命共同体。友好関係を築き、ともに戦いましょう」といった趣旨の話をされた。 その瞬間、沖縄側の表情は少しこわばり、正面から応答しなかった。台湾側は、私の通訳がうまく伝わっていないと思ったのか、同じ話をもう一度繰り返してしまう。 「沖縄を戦争の島としてイメージづけたり、固めてはいけない」という意見を見るたびに、あの日、台湾人に向かって苦笑する沖縄の人たちの顔を思い出す。 台湾の人たちが、こうした言葉を悪気なく口にしてしまうほど、沖縄戦の記憶や、沖縄の人々が何を語り継いできたのかが、まだまだ伝わっていないのだと。 とくに沖縄のガマ(自然洞窟、鍾乳洞)の中で台湾の作家に向けて通訳をしたときに強く感じたこと。それは「台湾有事」という安全保障の言葉だけが先行し、互いの戦争の記憶や、歴史的経験があまり理解されていないということ。 沖縄で仕事をするときはとくに、琉台双方の間にある温度差も含めて、相互の複雑な歴史や記憶まで訳さなければ、「本当の意味での対話」にならない。 そんな問題意識を忘れずにやってきたつもりだけれど、その難しさを痛感することばかり。
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台湾側の人たちに実際に聞けば聞くほど、むしろ「植民地だった/ではなかった」という二元論のなかで、日本語を介して誰かに台湾の歴史認識を代表させること自体が危ういのだと見えてくる。 「日本統治下の台湾を植民地と呼ぶことに抵抗がある、あるいは植民地ではなかったと考える人が少なからずいる」ことが、そのまま「台湾史研究において日本統治が植民統治として位置づけられていない」ということにはならない。 台湾関連の文をよく翻訳する身として、「正しい歴史認識」を一つにして日本語へ運ぶことではなく、台湾社会の内部にある複数の歴史認識や記憶を、どれかに回収しすぎに運ぶことなのだと思う。 よく「あなたの言っていることがもう分かりにくい」と言われる。私のなかに分かりやすくすることへの抵抗があるとすれば、それは、人の記憶も歴史認識も、本来きれいには分かれていないと思うからに尽きる。 矛盾して見えるものが同じ人のなかに存在すること。その矛盾を、矛盾のまま残すこと。分かりやすさのために整理しすぎないことも、歴史に向き合う翻訳の態度だと思っている。
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1895〜1945年を指す複数の呼称についての、翻訳雑感。 台湾華語では「日治時代」「日據(拠)時代」「日領時代」「日本殖民時期」など、さまざまな呼称が用いられてきた。「日治/日據」はとりわけ台湾の政治的立場と結びついて語られてきた一方、「日領」には日本の学術界で用いられてきた系譜がある。また「日本時代」は、台湾の閩南語を話す世代が日常的に使ってきた口語表現だったりする。これらは単純に一直線に並べられる言葉ではなく、それぞれ異なる場所や世代、文脈のなかで使われてきた。 日本語の場合、指定がないかぎり、私は「日本統治時代」「日本統治期」とし、台湾華語では「日本時代」としていることが多い。 少し前のお盆、日本に暮らす台湾人キュレーターが、日本語の原稿で「統治」とすること自体にもためらいを覚える、と自嘲していた。言葉を選ぶたびに自分の立場を点検することに嫌気がさし、「台湾人であるために、なぜこんなに大変な思いをしないといけないんだろう」とこぼしたとき、慰めの言葉が見つからず、申し訳なく感じた。 個人的には、日本語でも「日本時代」とするなら、あえて括弧付きで書くことにも意味があるのではないかと思う。単にニュートラルな名称へと置き換えるのではなく、呼称そのものが歴史的・政治的に揺れてきたことを、日本語のなかにも残せないか。翻訳家として、そのぎりぎりのところで言葉を選ぶ。 ただ、最近よく感じるのは、「日本時代」という呼称=「台湾は日本の植民地ではなかった」と考えることが、日本ではしばしば一続きに理解されてしまう。本来、この二つは別の問題なのに。 「日據」も「日治」も、その選択自体が政治的立場の表明として読まれうるなかで、「日本時代」は、そうした政治化された呼称から距離を取る言葉として機能することがある。一方で、「日本殖民時期」と一貫して書く台湾の学者もいる。 ポイントは、同じ「日本時代」の4文字でも、その言葉が置かれる言語空間によって作用が変わること。台湾華語における「日本時代」という呼称は、植民地だったという歴史認識を否定するための婉曲表現ではない。政治化された呼称から距離を取る言葉になりうる一方、日本語では、日本による植民地支配そのものから距離を取る言葉として響くことがある。 これは辞書的な等価性からは見つけられない、「言葉が国境を越えたとき、発話者と受け手の歴史的位置が変わることで何が起きるか」を思索する、翻訳の問題でもあると思う。
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1895〜1945年を指す複数の呼称についての、翻訳雑感。 台湾華語では「日治時代」「日據(拠)時代」「日領時代」「日本殖民時期」など、さまざまな呼称が用いられてきた。「日治/日據」はとりわけ台湾の政治的立場と結びついて語られてきた一方、「日領」には日本の学術界で用いられてきた系譜がある。また「日本時代」は、台湾の閩南語を話す世代が日常的に使ってきた口語表現だったりする。これらは単純に一直線に並べられる言葉ではなく、それぞれ異なる場所や世代、文脈のなかで使われてきた。 日本語の場合、指定がないかぎり、私は「日本統治時代」「日本統治期」とし、台湾華語では「日本時代」としていることが多い。 少し前のお盆、日本に暮らす台湾人キュレーターが、日本語の原稿で「統治」とすること自体にもためらいを覚える、と自嘲していた。言葉を選ぶたびに自分の立場を点検することに嫌気がさし、「台湾人であるために、なぜこんなに大変な思いをしないといけないんだろう」とこぼしたとき、慰めの言葉が見つからず、申し訳なく感じた。 個人的には、日本語でも「日本時代」とするなら、あえて括弧付きで書くことにも意味があるのではないかと思う。単にニュートラルな名称へと置き換えるのではなく、呼称そのものが歴史的・政治的に揺れてきたことを、日本語のなかにも残せないか。翻訳家として、そのぎりぎりのところで言葉を選ぶ。 ただ、最近よく感じるのは、「日本時代」という呼称=「台湾は日本の植民地ではなかった」と考えることが、日本ではしばしば一続きに理解されてしまう。本来、この二つは別の問題なのに。 「日據」も「日治」も、その選択自体が政治的立場の表明として読まれうるなかで、「日本時代」は、そうした政治化された呼称から距離を取る言葉として機能することがある。一方で、「日本殖民時期」と一貫して書く台湾の学者もいる。 ポイントは、同じ「日本時代」の4文字でも、その言葉が置かれる言語空間によって作用が変わること。台湾華語における「日本時代」という呼称は、植民地だったという歴史認識を否定するための婉曲表現ではない。政治化された呼称から距離を取る言葉になりうる一方、日本語では、日本による植民地支配そのものから距離を取る言葉として響くことがある。 これは辞書的な等価性からは見つけられない、「言葉が国境を越えたとき、発話者と受け手の歴史的位置が変わることで何が起きるか」を思索する、翻訳の問題でもあると思う。
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熊本地震でお困りの方へ。東京・高円寺にある書斎を、一時的(最大2週間、延期希望の場合は相談可)な滞在先として無償でお貸しします。 アートトランスレーターが運営するオルタナティブスペース「みんなの書斎」📚️です。 避難や一時的な滞在先が必要な方は、どうぞ遠慮なくご連絡ください。短期滞在用としてご利用いただけます。 🚉JR高円寺駅から徒歩約6分 ・通常1泊 5,500円→無料 ・お2人でのご利用も可 ・簡易キッチンとお手洗い、冷房あり。 お風呂は、すぐ近くの小杉湯 さんへ。 ご希望があれば朝食もぜひご一緒に 🥪 作家、研究者、アート・文芸関係者など優先。外国からのお客さまも、大歓迎です。日本語のほか、英語・中国語での対応可。ご興味のある方は、ぜひDMにてお気軽にご連絡ください✒️
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熊本で足止めされている台湾などからの旅行者の方で、言語でお困りの方いらっしゃいましたら、いつでもご連絡ください。日中通訳サポート(医療通訳可。無料)090-7065-8808 若有台灣的旅客被困在熊本,請隨時聯繫。中日口譯,免費專線服務090 -7065-8808 ※能登半島地震、台湾DMAT災害派遣医療チーム通訳。
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台湾有事雑感 去年、那覇で開催された琉台交流で、地元の高校生が練習でつくった沖縄の文化紹介のパワポをもとに、台湾からの視察団へ通訳したときの話。 台湾側の代表が壇上で、「台湾有事は日本有事。沖縄と台湾は運命共同体。友好関係を築き、ともに戦いましょう」といった趣旨の話をされた。 その瞬間、沖縄側の表情は少しこわばり、正面から応答しなかった。台湾側は、私の通訳がうまく伝わっていないと思ったのか、同じ話をもう一度繰り返してしまう。 「沖縄を戦争の島としてイメージづけたり、固めてはいけない」という意見を見るたびに、あの日、台湾人に向かって苦笑する沖縄の人たちの顔を思い出す。 台湾の人たちが、こうした言葉を悪気なく口にしてしまうほど、沖縄戦の記憶や、沖縄の人々が何を語り継いできたのかが、まだまだ伝わっていないのだと。 とくに沖縄のガマ(自然洞窟、鍾乳洞)の中で台湾の作家に向けて通訳をしたときに強く感じたこと。それは「台湾有事」という安全保障の言葉だけが先行し、互いの戦争の記憶や、歴史的経験があまり理解されていないということ。 沖縄で仕事をするときはとくに、琉台双方の間にある温度差も含めて、相互の複雑な歴史や記憶まで訳さなければ、「本当の意味での対話」にならない。 そんな問題意識を忘れずにやってきたつもりだけれど、その難しさを痛感することばかり。
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去年、京都で見かけた自衛隊の入隊募集ポスター。 沖縄をリゾート地のように描き、「自衛隊に入って沖縄へ行こう」と呼びかけていた。 青い海、白い砂浜が君の舞台(部隊)――南国的な風景を、セールスポイントとして消費しているように見える。 沖縄が人の暮らす場所ではなく、バカンスへ出かけるような感覚で語られていることに、悲しくなった。
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翻訳雑感 つい最近、日本の博物館が台湾の視察団を歓迎する文言をAI翻訳したものを読んだところ、「ご来館ありがとうございます」が「感謝惠顧」と訳されていた。 「ご愛顧ありがとうございます」という意味になっていて、行政交流なのに、商店のようなニュアンスに。 台湾の方々が帰ったあとに、通訳者として館長にお伝えしたら、少し落ち込まれていた。 AI翻訳は誤訳だけでなく、このような「誤用」も多い。単語の意味は合っていても、その言葉が実際に使われる場面や社会的なニュアンスまでは判断できず、不適切な表現になってしまう。つまり、一語一語の意味の正しさではなく、社会文化的なレジスター(場面に応じた言葉遣い)の問題。 ネイティブチェックの本当の価値は、誤訳の修正だけでなく、場面や文化にそぐわない「誤用」を是正するためにある。
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