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\社会・政治の本が読み放題/ 2026年9月末まで、下記作品が読み放題中! 是非ご覧ください👀 #PR# 著:内藤陽介(@naito_yosuke) 『世界はいつでも不安定 - 国際ニュースの正しい読み方 -』
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フィリピンのシャオガオ島で少しの間生活してました。 初めての島生活。 なかなか簡単ではなかった。笑 でも、すごくいい人生勉強になったなって思ってます。 今までLAと東京という便利なところで生活してきて、ノマド生活に切り替えてからも、ヨーロッパやオーストラリアの便利な街にばっかり行ってた。 今回の島の生活で、当然のようにどこにでもエアコンがあって生活ができること、普通に24時間不自由なくご飯がいつでも食べれること、熱いシャワーがあたりまえにいつでも浴びれること、電気がある部屋でいつでも安心して生活ができること、などなど、今までの普通が普通じゃないんだなーって気付けました。 島にいる人は、本当にみんな優しくて、笑顔で、助け合って生きていく精神がすごくあって、自分がずっと戦ってきた世界とは違う世界がここにはありました。 今までいた世界はつねに戦いの場所。つねに戦闘モードになっていないと、自分が置いていかれる感じ。 でも、ここにいると生きているだけで、幸せなんだなー、って改めて感じれて、本当にいい経験をしました。 人の優しさにもたくさん触れて、心が温かくなりました。 I spent some time living on Siargao Island in the Philippines, and it was my first experience living on an island. To be honest, it wasn’t always easy. Before this, I’d spent most of my life in places like Tokyo and Los Angeles. Even when I started living more nomadically, I found myself in big cities across Europe and Australia, surrounded by convenience and comfort. Siargao was different. Living there made me realize how many things I had always taken for granted. Air conditioning whenever it’s hot. Food available at any hour of the day. Hot showers whenever I wanted them. Reliable electricity and all the comforts that come with it. For most of my life, these things felt normal. But being on the island reminded me that they’re actually privileges many people don’t have. What struck me most, though, wasn’t what was missing. It was what the people had. The people of Siargao are some of the kindest I’ve ever met. There’s a genuine sense of community, people look out for each other, help one another, and carry a warmth that’s hard to put into words. It felt like a completely different world from the one I came from. Back home, life often felt like a race. A constant push to achieve more, do more, and stay ahead. But on the island, I was reminded of something simple. Sometimes, just being alive is enough. That lesson stayed with me. The kindness I experienced from so many people there genuinely touched my heart, and it’s something I’ll carry with me long after leaving. Thank you, Siargao.
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試写で『#温泉シャーク2# 九州大決戦』拝見したので簡潔に感想を。 サメ映画史を追う者として、まずは歴史的な背景について触れさせてください。サメ映画50年の歴史の中で、様々なサメ映画が生まれ、先人たちは道なき道を切り拓いてきました。「希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」、そう魯迅は『故郷』で語りましたが、これはサメ映画の歴史そのものと言えます。 『ジョーズ』の軛からサメを解放したのは、『シャークネード』であるのは周知の通りです。恐怖の象徴だったサメは、竜巻に乗って空を飛び、人々に笑いをもたらすエンターテイナーに姿を変えました。その頃からサメ映画におけるサメはシリアスなキラーと不条理なコメディアンという、『ダブルヘッド・ジョーズ』さながらに2つの顔を持つようになります。 『シャークネード』が切り拓いた道には、サメであることをやめた後進が次々に現れました。しかし、これは一つの陥穽でもあったのです。ハイコンセプトな方向に舵を切ったサメ映画たちの前には、常に『シャークネード』が立ちはだかりました。極限まで予算を削りゲリラ戦に身を投じたZ級サメ映画たちは隆盛しましたが、一般的な視聴に耐えうる予算をかけながら、『シャークネード』ほどに正気を失えたサメ映画は、結局その続編しかありませんでした。ニーチェが「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」と述べたように、解放者はいつのまにか大きな壁になっていたのです。 『シャークネード』の本質は、 “ありえなさの追究” にあります。ネード世界ではたまたま海を泳いでいた大量のサメが巨大ハリケーンに巻き上げられ人々の上に降り注ぎます。やがてサメを伴った台風は勢力を増し、宇宙に進出したり世界を滅ぼしたり時空を超えるようになっていきます。目の前で起こる信じられない事態が、視聴者を置き去りにして全力で明後日の方向に駆け抜けていくことの快感。それこそが数多くのシャークネーダーを産んだ原動力でした。そしてその快感の高みこそが、後続にとっての壁になっていたのです。 こんな分厚い壁に極東から立ち向かったのが、米国生まれのサメ映画という概念を見事にローカライズした『温泉シャーク』です。日本に深く根付いた温泉文化をベースに、特撮でサメ映画を撮るという試みは、サメ映画界隈のみならず多くの賛同者を生み出しました。ありえない嘘を真剣につき、時たま嘘をつくことを諦める姿勢には、確かにサメ映画スピリットが宿っています。 前作の時点で『温泉シャーク』はサメ映画界の絶対王者の玉座に手を伸ばすことが出来ていたと思います。しかしこの『温泉シャーク2』は、その王位を奪い取ってしまいました。本作は九州全土を舞台にし、筋肉、特撮、サメ、キャスト、音楽、あらゆる点でスケールアップしていますが、特筆すべきは正気を疑う脚本です。ひとたび本編が始まれば、観客に思考は許されません。「なんて?」「なんで?」「そうなの!?」「そっかぁ!」という知能剥奪サイクルが数十セットも繰り返されることで、観客は温泉シャークの世界にのめり込むように調教されていきます。そしていつの間にか、訳の分からない展開を手に汗握りながら見守ることしか出来なくなっていくのです。常識という名の森には上映開始数分で火が放たれ、中盤には焼け野原となり、それでも何かが燃え続け、最後には素晴らしいテーマ曲とともに「いやなんか凄いものを観た気がするけどこれは何?」という大きな疑問と感動が残ります。 これからご覧になる方は、ぜひどのシーンでもいいので人に説明してみてください。あり得なさすぎて誰も信じないと思います。そんな信じがたいことが88分間、連続で起こり続けます。もちろん前作を観てからの鑑賞をお勧めしますが、そういう感じの作品なのでスタート地点は結局同じです。「まずは予習してから」などと宣う非温泉シャーク者をバシバシ劇場に連れ込み、思うがままに蹂躙される九州に頭を抱えさせてください。 サメ映画の魅力は、「思いついたことを映画にしてみる」というクリエイティビティの爆発にありますが、狂人でなければ思いつかないことを映画にされては、もはや我々に打つ手はありません。その意味で、『温泉シャーク2』はサメ映画の王を名乗っても決して不遜ではないでしょう。 『BAD CGI SHARKS 電脳鮫』という作品では、「サメ映画の歴史は『ジョーズ2』から始まった」と語られていますが、『温泉シャーク2』は新たなサメ映画の歴史を開闢したのです。ですが果たして、温泉シャーク製作陣はいまや自分たちが新たな怪物と化したことに気づいているのでしょうか。サメ映画の道は常に獣道です。付き合わされる観客も、たまったもんじゃないですよね。
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【ツクール作品史上最高傑作の鬱ゲーム】 『ゆめにっき』 本作は一般的なRPGのようなストーリー、セリフ、戦闘、明確な目的などはほとんど存在せず、ダークで不気味な夢の世界をひたすら探索する独特な世界観からカルト的な人気を誇り、後のインディーゲームにも大きな影響を与えました。 ------------------------------------ ■なぜ人気なのか? ・自由な考察 ゲーム内での説明が一切ないため、奇妙なキャラクターや不気味な背景から「主人公の過去に何があったのか」を自由に想像・考察する楽しさがあります。 ・独特なBGMとグラフィック 短いフレーズがループする不穏な音楽と、ドット絵で描かれるシュールでドリーミーな空間が、唯一無二の恐怖感と心地よさを生み出しています。 ------------------------------------ ■ゲームの流れ ・現実世界 主人公の部屋からスタートします。部屋の外に出ることはできません。 ・夢の世界 ベッドで眠ることで、夢の世界へ移動します。 ・扉の部屋 夢の世界の拠点となる部屋には12の扉があり、それぞれ異なる不気味な世界(森、ネオン、白黒など)へと繋がっています。 ・目覚める 夢の中でピンチになったり、プレイヤーが「頬をつねる」操作をしたりすると、いつでも現実の部屋に戻れます。 ------------------------------------ ■主な目的と「エフェクト」 ゲームの唯一の目的は、夢のあちこちに落ちている「エフェクト」と呼ばれるアイテムを24個集めることです。 エフェクトを装着すると、主人公の見た目が変わったり、特殊なアクションが使えるようになります。 ------------------------------------ ■配信プラットフォーム 現在、オリジナル版は Steamのゆめにっき公式ページ から無料でダウンロードしてプレイすることができます。また、3Dグラフィックで新たに構築されたリイマジン作品『YUMENIKKI -DREAM DIARY-』なども配信されています。 ・オリジナル版 ・リイマジン作品 【Steam版】 【Nintendo Switch版】 ------------------------------------ #ホラゲー# #ホラーゲーム# #鬱ゲー#
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【最悪】うわぁぁぁ...コレ知ってました???コーヒー豆を使わず、遺伝子組み換えコーンや香料、乳化剤を使用したコーヒーの販売開始。香料は3000種類以上もあって、しかも何が使用されているかも分からない。乳化剤は悪名高き界面活性剤です。さらに↓ ※遺伝子組み換え作物を中長期的に食べた影響↓ ①免疫機能への悪影響 ②子孫が減少したり、ひ弱になる影響 ③肝臓や腎臓など解毒機能の損傷 引用:米国環境医学会 ついでに日本人が1年間に摂取する食品添加物の平均摂取量は約5.8kgから6.72kgに及ぶと推定されています。その中には発がん性が認められているものも沢山あります。いくらなんでも摂り過ぎです。遺伝子組み換え作物も食品添加物も世界で1番食べている民族こそが、残念ながら日本人ということ。だから不健康だらけ病人だらけになってしまったのです。 これから本物の食材が宝石レベルの価値になっていきます。そうなればとても庶民には買えません。そうすると今よりも不健康な日本人だらけになってしまいます。 ボクはそんな日本の未来を拒みます。クラファン挑戦中(最終日)↓ 日本の農家の平均年齢は67.7歳。米農家に関しては72歳。担い手はおらずこのままいくと生きる為に必要な食を海外に頼りきることになるでしょう。それは奴隷を意味します。実際、海外依存度を考慮した真の食料自給率は既に9%程度。種も、肥料も、家畜の餌もほぼほぼ全てを海外に依存しています。 ボクはこの状況に危機感を覚え5年前に仕事をやめて、固定種の種、無農薬栽培で農業を始めました。安心・安全な食料自給率を上げていかなければこの国の未来は暗い。そう確信したからです。 政治の暴走、移民問題、きな臭い国内〜国際情勢...etc。あらゆる問題が山積みの日本。しかしながら、いま最もこの日本にとっての問題は食料自給率の低下と食の安心・安全の劣化にあると考えます。 みなさん、いつもありがとうございます。人生をかけて一次産業を軸とした日本人の日本人による日本人の為のコミュニティーを拡大してみせます。賛同してくれる同志の方がいましたらどうかお力を貸してください。尽力。
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「バリキャリやめて、結婚・出産した。」 「仕事より、子育てのほうが数倍ラク。」 「子育てには責任がない。謝れば済む。」 わたしに奢りにくるたびに、なぜか生まれたての『違う赤ん坊』を連れてくる、大阪の常連だ。 彼女は、彼女が大学生の頃からの古参フォロワーで、わたしのことを遠目に観察しながら、バリキャリの道へと進んだ。よく働いた。 彼女が当時、進学した高校はいわゆる""進学校""で、その友人たちは皆、わかりやすく言えば「結婚なんて」という価値観だった。 女も、男に頼らず生きていくんだ。経済的合理性。未来を見据えたキャリア・アップ。手に職を。 そして彼女もまた、まさか自分が20代のうちに結婚をし、こどもを複数人産んで育てているなんて、いちども考えなかった。 その後、SNSに現れた「不快な浮浪者」の発言(いまあなたも見ている、まさにこれ)を見ているうちに、結婚や子育ての現実的、妥協案的、あるいは合理的システムについて考えるようになる。 わたしが本当にしたかったことは、なんだろう? 高収入?キャリア? なんのため? 不自由なく生きるため? 男に抑圧されず自由に生きるため? しかし、そう考えることこそが、まさに抑圧的なのでは? わたしは、自由になろうと、させられているのでは? 彼女はひどく潔く、イノセントだったので、「若いうちにこどもを作り、たまにおいしい酒を飲んで、ぬくぬく家族と生きてたら幸せじゃね?」となった。兄弟の多い育ちが功を奏して、その想像は容易かった。あっけなく、答えは出せた。 そうして実際、驚くほどに潔く、すばやく結婚をし、子を産み、初めてわたしに奢りにやってきた。「結婚してよかった、こども産んでよかった!」と、いつも話す。 とんでもない事後報告である。知らんやつが知らんうちに知らん影響を受けて知らんことして知らん報告をしてきたわけである。 彼女に、ふたたび大阪で再会した。ふたたび、ちいさな赤子を抱えている。こないだ会った男の子は、もう2歳になったそうだ。 「寝てるね」 「はい、ラクなもんです。家事をして子をみるだけで生活ができる。より過ごしやすくするには、まわりに、家族やご近所に愛想良く振る舞っておけばいい。協力してもらえる。そういう意味では、仕事より、子育てのほうが数倍ラクですよ。わたしにとっては。」 「へぇ。具体的に、どんなとこが辛いの?」 「子育てには責任がない。」 「いやいや、さすがに、子育てにも責任あるやろ」 と笑いながら突っ込むと、 「いやいや、こどもなんて、基本わたしのことクソ好きなニコニコ上司ですよ。オムツ替えるのがちょっと遅れちゃっても、謝れば終わり。」 「ごめんね、きょうのご飯は唐揚げだよ、と言う。」 「そうです」 「でもね、仕事はそうはいかない。関係者各位にいくら頭をさげても、取り返しのつかない失態がたくさんある。そこらじゅうにです。わたしの子供は、そうですね。死ななければいい。」 と彼女は言った。 「子育ては、めちゃくちゃラクだし、めちゃくちゃ楽しいです。ツイッターには正反対の意見ばかりで、「結婚最高!」「子供最高!」なんて書いたら炎上しちゃいそうで、絶対に書けないですけどね。」 「ほんとうに幸福なひとは、幸福の瞬間にツイッターを開かない。」 「プロ奢が、ずっと人生なんてくだらない、くだらないことは自分勝手に楽しむしかない、ということを言っていて、良い意味で絶望できた。だからこどもを産めました。ありがとう」 「そっか。なんか感謝されてるのか、恨まれてるのか分かんないけど、それはよかったね。」 「うん!もうひとり、産んじゃおうかな!」 「じゃあ、また新しい成果物ができたら会いましょう。」 「いいですね、成果物!」 そういう勢いで、大阪の大きな商業ビルのカフェのエスカレーター前で別れた。まさに、それは「そういう勢い」と表現するのが相応しくて、ふたたび会うときにも、きっと「そういう勢い」でやってきて、「そういう勢い」で別れるのだろう、と思う。 ややこしいことを考えるとキリがない。というか、かろうじて考えることはできても、すっきりとした答えが出ない問題で、世界は覆われている。 こどもは幸せになるのだろうか?わたしはこどもを生むべきだろうか?そんなもの、だれにも分からない。分かる必要がない。 ただやったり、やらなかったりすればいい。しかし、やってみたほうが考えるヒントは増える。それだけのことなのだろう。 他者を人としてリスペクトする姿勢というものは、つまり、勝手にやれ、と言い切ることなのかもしれない。 生まれたな、じゃあ、あとは勝手にやれ。幸せになれ、不幸せになれ、自由になれ、不自由になれ。なんてひどいことだろう。 でも、なんてすてきなことでもあるんだろう。信頼の香りがする。 出産、それは、あまりに暴力的で、昨今の厳しいコンプライアンスに抵触しうる、極めて反社会的な行動にすら思える。でも、より正しいのはどっちだろう? いや、そう考えても分からない。だから、こう考える。よりくだらないのはどっちだろう?好きな方を選ぶしかない。信じた先で転んでも、タダでは起き上がらない、そう信じられるような道を、じぶんで選びとるしかない。
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人間は比較対象がないと 物事を認識できません。 醜さを知らないと美しさも知れない。 悪を知らないと善も知れない。 他人と自分を比べないと 自分が何者なのかすら分からない。 他人と自分を比べるな、 などと言う人がよくいますが そんなことは不可能です。 “格上の他人とばかり比べるな” と言ってるだけであって 比較行為そのものはなくせません。 哲学的な話で 説明すると長くなりますが この世界を無限に続く 長い砂浜だとして その中の多種多様らしき砂粒を 脳はどう認識しているかというと、 言語体系という言葉の網の目を被せて 網の目で区切られた ひとつひとつの区画に 名前を付けてるんです。 こっちはアレ、そっちはコレ、 この網の目は更に細分化して アレにも色々ある、みたいな。 つまり、口に出そうが出すまいが 言葉で区切って名付けない限り 人はそれを認識できない、 それはこの世に存在すらできない、 ということです。 この世界に客観なんてものはなく 全ては自分が五感を駆使して 自分で勝手に構築している 主観的な世界です。 巨大な主観的な世界の中で 主観と客観を区別してるだけ。 一見自分とは無関係に存在してそうな 他人も、事件も、全てあなたが 認識したから存在できているだけ。 あなたが認識してくれないと 僕も存在できません。 Aを知るためには 非Aがなくてはならず 非Aと並べて比較することで 差異を見出して やっとそこで Aとは何かを知れます。 Aだけ見てても永遠に なんだか分かりません。 というかそもそもAと非Aは コインの裏表のように常にセットであり A単独では存在すらできません。 喜怒哀楽の喜楽を認識できるのは 怒哀を知っている人だけ。 毎日喜楽ばかり味わっていると それが当たり前になり もう喜楽を認識できなくなります。 つまり活き活きした生活には 怒哀も適度に必要ということです。 癒しだけでは飽きてしまい 刺激だけでは疲れてしまい 両方バランスよく必要。 人生は自分でプロデュースするドラマです。 喜怒哀楽全てをくっきりはっきり 味わい尽くして死ぬのが 最高の贅沢というもの。 僕はもう十分に味わい尽くしたので いつ死んでも後悔はありませんが 意外となかなか死なないので まだ生きてるならもう少し味わおう、 あれまだ生きてるやんもう少し、 と毎日を楽しんでおります 笑
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執筆日誌:酒船石の謎 小説を書くにあたり世界観構築の素材として、歴史はかなりコスパ良く使えるものである。 そんなわけで自分の脳の処理できる範囲で少しずつ歴史知識を摂取している。 最近は『日本書紀』をオーディブルで聴いている。これがなかなか面白い。 飛鳥にある謎の『酒船石』がある山のあたりは、日本のミステリースポットの中でも、個人的にかなりミステリー度が高いと感じている。 日本に残る巨石文明の名残なのか、、、というようなムー的な想像力が羽ばたく土地なのだ。 だが、日本書紀を読むと、その土地にある各種の謎の奇岩の由来が見えてくる。 どうやらその一帯は、斉明天皇が七万人もの人夫を集めて、山を切り開き石を運んで人工的に作った地形らしい。 この事業は当時の人にとっても、何か不合理で意味がないものと思われていたらしく、狂心渠(たぶれごころのみぞ)と呼ばれていたと日本書紀に記述されている。 まあ古代の謎の巨石などと言っても、もう7世紀に入ってる頃で、世界史的にはつい最近のこととすら感じられる時代のものだ。 そう考えてみると、飛鳥の遺跡に感じていたムー的想像力もだんだん薄らいでいく。 いやしかしそれにしても、酒船石というなんに使ったのかわからない謎の巨石があるのは事実。 斉明天皇の命令によって作られたとしても、この巨石やその周辺のへんてこりんな遺跡は、当時のどういう流行から生まれたのか。もしやこれは斉明天皇の個人的センスから生まれたのか。 考えるほどに謎が謎を呼ぶ古代ミステリー。いつかタイムマシンができたら、当時の飛鳥に見学に行きたいと思います。 (何年か前の旅行で撮影。酒船石と私↓)
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深夜十一時四十七分。オフィスに残っていたのは、あたしと、机より高く積み上がった書類だけだった。窓の向こうでは、終電へ急ぐ人々が小さな光の粒になって流れている。「今日も終電終わったコースね……」冷え切ったコーヒーを飲み、ため息をついた。仕事が嫌いなわけではない。むしろ、頼まれたことには応えたかった。「クレアなら大丈夫」その言葉がうれしくて、断れない仕事を一つずつ引き受けているうちに、いつの間にか「大丈夫な人」でいることが、彼女の仕事になっていた。 そのとき、寝てしまい、不思議な夢を見た。ここはオフィス、給湯室の奥から小さな機械音が聞こえた。 現れたのは、古びた清掃ロボットだった。両手で大きな赤いボタンを差し出している。 ボタンの上には、ただ一言。 「押すな」 「いちばん押したくなる書き方ね」 あたしが指先で触れた瞬間、オフィスの照明が一斉に消えた。 パソコンの画面には、 「強制退勤モード」 という文字が浮かび、ロボットは散らばった書類を猛烈な勢いで棚へ押し込み始めた。最後に鍵をかけると、今度はあたしの背中を出口へ押す。 「えっ、ちょっと!? まだ終わってないの!」 ロボットは答えない。 ただ、彼女を会社の外まで運び出した。 気づけばあたしは、夜の公園にいた。 仕方なくコンビニで買ったアイスを食べながら空を見上げると、ビルの隙間に細い月が浮かんでいた。 こんな時間に空を見るのは、いつ以来だろう。 隣に座ったロボットが、小さな札を掲げる。 「明日やれ」 クレアは思わず笑った。 明日に回した書類は、確かに残っている。けれど会社は爆発していない。街も止まっていない。世界は何事もなかったように回り続けている。 「世界は、残業しなくても回ってた」 ロボットの目が、うれしそうに弧を描いた。 その夜、あたしは夢の中で初めて気づいた。 仕事を明日に残すことは、怠けることではない。自分を明日まで残すことなのだ。気がついたら、朝になっていた。 そして、あの赤いボタンの押すなは、命令ではなかったのかもしれない。頑張りすぎる人だけに向けられた、不器用な救難信号だったのである。
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